20200711:秘密クラブへようこそ
【第121回 二代目フリーワンライ企画】
<お題>
中間管理職
同類相哀れむ間柄
招かれざる郵便物
今日の星占いで一位
見なかったことに
<ジャンル>
(これでも)SF
================
招かれざる郵便物を大量のダイレクトメールの合間に見つけたとき、心臓が確かに鳴った。上がる心拍数を隠すようにそれを手に取った。ダイレクトメールをひとまとめにしてシュレッダーへ押し込みながら、それだけは鞄の中に滑り込ませた。
それについては噂にばかり聞いていた。SNSやWebサイト、そんなオンラインの無責任な噂ではない。同業種の会合で、年末年始の挨拶で、技術交流会の片隅で、飲み屋の席で。スマートフォンをオフにした場所で、マイクの届かない席で、サウナで汗をかきながら。同類相哀れむ間柄の、時にはライバルとして時には協力者として、交流し合うその中で。
それは何気ない白い封書の形で届くという。中にはカードと地図が印刷物で入っている。今時QRコードも3D加工も何もない。
会員制クラブの招待状とでも思えばいいさ。誰かが言った。
絶対に秘密で、完全に秘密で、SNSなどもってのほか、スケジュールやアドレス帳や、そんなものへの記録登録ももちろん不可。秘書への伝言ももってのほか。家族親族親兄弟にも決して漏らしてはいけないと聞いた。
もし、どれか一つでも破ったなら。
資格は永久に剥奪される。
「氷川君。今日はもういい。たまには定時で上がりなさい」
「ですが、社長。明日の会議の資料がまだ」
「チェックだけだろう。問題ないよ」
「わかりました」
若い秘書は幾分か表情を緩ませて明日の予定を読み上げる。
朝から重役会議。昼には技術交流会のランチミーティング。午後一には取引先との会合があり、午後二は工場の視察がある。夕方からは新規案件の取引先と接待を兼ねた会食だ。
私は手元の端末で確認しながら、一つ一つに頷いていく。
秘書が予定を読み上げるたび、欄にチェックが入っていった。
「では、お先に失礼します」
「あぁ、お疲れさま」
秘書が部屋を去るのを待って、私は荷物をまとめていく。通勤に使う車は置いて帰ることを選択し、歩いて小さな自社ビルを出た。
門の外で、スマートフォンの電源を切る。完全に切る。
そして私は、地図をこの目で確かめながら、歩き出す。
*
『裏の店』と聞くと何を思い浮かべるだろう。
賭博、非合法ドラッグ、売春宿。店は紫煙に包まれていて、怠惰な雰囲気の女達が給仕する。犯罪者が屯して、時には銃や火薬や、そんなものまで飛び交って。
映画の見過ぎとか、中学生を引きずっているとか、いろいろ言われかねないとの自覚はある。
監視カメラの張り巡らされた表通りから一本折れて、二本折れて。ビルとビルが重なり合ったために生まれた不可思議なコンクリートのひさしが続くその路地の、どこかのレストランの裏口のような扉を前に立ちすくむ。すぐ横のポリバケツからは生まれたばかりの生ゴミがあふれ、足下をドブネズミがよぎっていく。もしここで素行の良くない少年達に囲われたなら、私は身の安全を計るために、そして、損失を大きくしないために頭をフル回転させるだろう。監視カメラはここにはない。上空から写されることもあり得ない。GPSは記録されない。スマートフォンの位置測定も役に立たない。それでも地図はその扉を示している。
息を呑む。示されたナンバーを打ち込んで、重いドアを引き開ける。思わず止めた息をゆっくり吐き出し吸い込んで。思いのほか、何の匂いもしないことにようやく気づいた。
扉の奥はありがちなことに階段になっていた。原始的なセンサーが淡く段を照らしている。私はゆっくり歩を進める。扉が音を立てて閉まり、覚悟を決めて一歩一歩下っていく。
階段の先、これまたナンバーを入力し、重い扉を押し開けた。
「へい、らっしゃい!」
「らっしゃい!」
『大将』と言いたくなる声が飛んできた。目の前左にカウンター席が広がっていた。右には掘りごたつ型の座敷席が三テーブル。奥にはテーブル席がいくつか見えた。
生一つ! 鍋ちょうだい! ハイボールね。焼酎ある?
飛び交う声は居酒屋そのもの。声を出すのは見事にくたびれた親父ばかりで、ちらほら程度にスーツ姿の女性も見えた。
扉に近い幾人かが談笑したまま視線をよこし、そのうちの一人が目を見開いて手を上げた。
「藍上工業の和元さんじゃないですか!」
取引先として長く付き合いのある企業の代表取締役だった。
「柿本さん」
「初めてですか? さぁ。こっちへ!」
柿本は壁側へと少し尻をずらした。開いた座敷に私を誘う。『大将』を見やれば人が良さそうに笑っている。柿本の相席者はどうぞどうぞと身振り手振りで誘ってくれた。喜んで。私は相席させてもらう。
「和元さんが来るなんて、話の幅が広がりますな!」
「あの、その前に、ここは」
「秘密クラブですよ、秘密クラブ! 完全にオフラインの、極秘情報飛び交いまくる秘密クラブですよ!」
柿本はそう言って、見たこともないほど晴れやかに笑んだ。
*
「企業ってものの評価にAIを導入したのが運の尽きってヤツさ。この世界は終わったんだ」
柿本はボトルを掴むと私のジョッキへ何言う間もなく注いできた。
「和元さん、あんたもベンチャーで苦労したクチでしょう? 上手くいかず今の会社に拾われて、社内改革もことごとく失敗しましたよね!?」
柿本は酔っているのか声が大きい。そんなこと誰かに聞かれたら。SNSに書かれたら、AIに拾われたら。
「勘弁してください、我が社の信用が……」
「心配無用!」
だん。見事な泡のジョッキが置かれた。
「AIにオレたちの気持ちが分かるはずがないんだ!」
「柿本さん!」
それはタブーといえる発言だった。
AIは今や社会の至る所で使われていた。各種サービスのサポートから、様々な診断まで。企業診断もまた、例外ではなかった。
企業診断AIは、誕生時点の社会を学習し、その評価軸で以降の企業に診断を下すものだった。AIの診断の信頼性は高かった。AIが高評価を付けた企業は数年後、業績を大きく拡大した。数年経つとAIの評価を市場が信じるようになった。
すると、AIが評価しなかった企業、特にベンチャー企業の株価が軒並み低迷した。かつて大手ベンチャーの上場でストップ高をたたき出した、なんて伝説は夢のまた夢になった。
その夢に乗れなかったひとつが私が学生時代に起こした企業だった。
新しいことにAIは評価を下さない。AIの評価がなければ、市場は動かない。AIが信用されだしたあのときに評価軸は未来永劫固まってしまったのだ。
AIは古いんだ。柿本は酔った目で力説する。
「もちろん、AIは常に学習を繰り返している。しかし、AIの評価が一次基準となった今、大きく評価を動かす可能性を秘めた真新しい企業は評価されない。新しい芽はことごとく潰されている。まるで、超高齢化社会で若者が次々と自殺していくように、だ」
私のベンチャー企業は、僅か数年で立ちゆかなくなった。今の企業の二代前の社長にかろうじて技術ごと拾われたのだ。
「社長なんて名ばかりさ。売り上げのためには社員を抑制する必要がある。上司は市場でAIだ。管理職になったとき、これでもっと活躍できると思ったもんさ。中間管理職だとか揶揄されようと関係ないと思ったさ。それがどうだ。部下から嫌われ、上司にどやされ、それでも這い上がって這い上がって上り詰めたと思った先が世間様と社員の板挟み。やってられんよ!」
柿本は次にハイボールを注文する。
ほどほどに。相席した人たちは言いつつ止めようとはしなかった。
「分かるでしょう、こういう場が必要だって」
ここにはネットに繋がるものはなかった。私たちの足跡も遙か以前から途切れている。
AIに知られることのない、同類相哀れむ間柄連中だけの安息所――秘密クラブだと理解した。
*
「良いかい、お客さん。この店で見聞きしたことはどんな些細なことも他言無用です。いっそ見なかったことにしてください」
店長はすっかり片付いたカウンターの内側で、包丁を研ぎながら穏やかな口調で言った。
「もし、もし、誰かに話したら」
それは好奇心だったかも知れない。私の少しばかり震えた声に、『大将』は同じ口調で穏やかに続ける。
「『人伝』の噂話なら構いやせん。困るのは……おわかりでしょう?」
SNS、スケジュール帳、電話帳、その他ありとあらゆる、オンラインサービス。それは即ち、ビッグデータ。
見つかってはいけない敵は。
「私はね。人間様の未来ってヤツを見たいんですよ」
『大将』は刃先を洗い、指で研ぎ具合を確かめる。おっと。ささやかな声に、背筋が伸びた。
手が滑った。多分、きっと。
「今日の星占いで一位だった結果がこれとはね。人間様相手の占いは合いませんや」
切れた『大将』の指から覗くその中身は。血でも肉でもなく。
「スタンドアロンタイプの――」
『大将』はにやりと笑む。
「さ、今日は店じまいです。またのご来店をお待ちしていやす」
ひとりでにドアが開いた。背中を押されるように階段を上っていく。
深夜を越えた裏路地は、来たときのまま、来たとき以上に、機械音一つせずに完全に静かで。
私は角を折れ、通りへ出、大通りまで戻った後で。
初めてスマートフォンの電源を入れた。
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