20200530:最後に笑うための戦略
【第115回 二代目フリーワンライ企画】
<お題>
アドバンテージ
餌付けすればいいとでも?
はやく行って
どこからともなく
楽しいのが第一
<ジャンル>
現代/ある事務所でのやりとり
====================
小柄な手のひらに叩かれて机が大きく鳴った。鳴らした本人は気にするでもなく身を乗り出す。そして鳴らされた当人は眉一つ動かさなかった。
「餌付けすればいいとでも!?」
「餌付けは基本じゃないか。腹が空いていなければ、不満の半分は片がつく」
「そういう問題ではありません!」
「そういう問題なんだよ」
椅子に座る男は、机に着いた手の指を組み、上に顎をのせる。立ったままの叩いた女性を上目遣いに見ながら笑む。口の端だけの『決して表で見せてはいけない』顔だ。
少しばかり背筋を正した女は、男の視線を受け止めた。
「一過性が過ぎます。財源も」
「なに、猶予は四年だ。景気次第で挽回できる。それに一過性にしない手も」
女の眉根が不意に寄った。眇めた目で男をにらみ、ふと、見開かれた。
「奴隷税を低くする。猶予は二年」
「それって」
男は大きく大きく頷いた。
「奴隷が増えるだろう。輸入も増える。そして、コストの引くい方法で労働力を手に入れることができればその後の経済にも役がある」
「しかし」
男の視線はまっすぐに女へと向いていた。女は毛足の長い絨毯の上で細いヒールを一歩引かせた。
男の視線はまっすぐに。
「『市民』に犠牲者は一人も出ない。むしろ歓迎されるだろう」
「ですが、国際法上」
女は引いた足を再びそろえた。腰までの高さの桜材の黒光りするデスクの上へ音を多立てて指紋をつけた。
男の視線は、動かない。
「他国に指を指されるのがなんだ。この国では奴隷に関する法律が少ないことは事実だろう。だから堂々とできる」
男は一度目を閉じる。椅子を立ち、前のめりに女性の顔を執拗に見回した。
「どこからともなく現れて助けてくれるヒーローなんてどこにもいない」
「そうですが」
「ヒーローがいないのなら、いる人だけでなんとかするしかない」
男の口元が大きく左右に引かれた。表に出たら間違いなく、人々に不安を与える顔だ。
「あなたは何のために上を目指すの」
ペテン師顔、詐欺師顔、悪巧みしている顔、本心のありかを悟らせない顔。
「そりゃあ、楽しいのが第一。しんどい思いをしたくないのが第二」
女は顔を不意に背けた。眉間に皺が生まれている。握った拳は小さく細かく震え続ける。
男は再び椅子に腰掛ける。大きな椅子は軋みも悲鳴一つあげなかった。
「わかったらはやく行ってくれ。私は無意味な問答に時間を使うつもりはない」
「わかり、ました」
女は書類を抱え直す。男へと会釈をすると細いヒールによろめくでもなく、去る方向へと一歩を踏み出す。
立ち去りかけて女は男を振り返った。
「第二以降を聞いても良いですか?」
男は目を眇めたようだった。入り込んだ西日は男を影にしていた。
「残念ながら、第三、第四は無い。ただ、つらいって声が聞こえないのは、楽しいね」
女は、ドアの取っ手をつかんだ手を止めた。男へと振り返る。
女の返事を待つこともなく、男は一人で言葉を続ける。
「アドバンテージを持ってる奴らに遠慮している余裕はない。きれい事を実現するためには、実現できる力を手にする必要がある。力のためには挽回可能なことぐらい何でも公約に乗せてやる。誰に眉を顰められよと構うもんか。」
男の顔はすっかり陰の中にあった。正面に夕日を見やる女には、その表情はうかがい知れない。
「そうは思わないか?」
それでも。女は居住まいを正した。
「あなたは」
「掛け金は今なら安くすむぞ」
男の声は女の返答を聞くこともなく。
「乗るなら、はやく行って、ポスターの準備でもしてもらおうか」
「……はい!」
女は頷くと取っ手を回した。ドアを押し開け、足音を響かせながら去って行く。
男は椅子を回した。夕日を真正面から目に捉える。
その口元には先ほどまでの表情はなく、ほんの僅か頬が上がっているだけだった。
「最後に割られるなら、何だってしてやる」
*
選挙期間の開始とともに、男のポスターはパネルに街角に、あちらこちらに貼り付けられた。荒唐無稽とも思われる公約は内容故に人の口に上り、あまりの差別に国内外から批判がとんだ――しかし、法的に男を問うことはできず、法整備の重要性もまた叫ばれた。
投票日まで、あと――。
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