20200509:戦場に響く声
【第112回 二代目フリーワンライ企画】
<お題>
せんじょう(変換自由)→戦場
どうしてそう極端なんだ
こちらとあちら
砂糖はなしでミルクだけ
一日だけはだけじゃない
<ジャンル>
少しだけ未来の現代/『戦場』で育った少女の思い
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――戦場だとそのとき誰かが呟いた。
戦いの場は医療現場。戦場は罹患者の体内で病院のうち。戦うのは医療従事者。
戦場を広げないための施策がとられ、街は破壊されることなく仮死に陥る。
体力がなければ仮死はすなわち死につながり。終戦が宣言される頃には、街は半死になっている。
――焼け野原。
きれいなままで確かにそこは焼けていた。
*
「先生。戦争とは国と国が争うことではないですか?」
手を上げた優等生は指名も待たずに発言する。
そうだねと、定年間近の先生はひげをなでつつ、口を開く。
「定義では、戦争は国家間の争い、紛争はもっと広い争いごととされている。しかし、君たちは『受験戦争』という言葉も聞いたことがあるだろう? 激しい争いごとをひとくくりに『戦争』と表現する」
曖昧な頷きが教室を満たし。また一人が手を上げた。
「では、君」
「はい。戦争なら、敵はなんですか?」
先生はまじまじと手を上げた彼を見た。少し考える風に視線をそらして、ふっと口元のひげが揺れた。
「後ろの君は何だと思う?」
「えっ。えっと。ウィルス、ですか?」
指された生徒は少しばかり慌てながらも回答する。頷く声がまた満ちる。
「そうだね。ウィルスだ。では、ウィルスが街を焼け野原にしたのかな」
「えっ」
ウィルスと答えた彼は、下を向いて黙り込んだ。
「街を焼け野原にしたのは人間です」
ざわりと空気が動いた。教室中の視線が隅の一角に集中した。
教室の隅の本ばかり読んでいる一人が、手も上げずに発言していた。集まってくる視線を気にすることもなく、本から顔を上げ先生をまっすぐ見る。
「人の敵は、人です」
「なぜそう思うね?」
問い返す先生の声は、僕には楽しそうに聞こえた。
*
戦争とは、敵がいて味方がいることだと彼女は言った。
『敵』とは敵対するもので、『味方』とは信用信頼できるものだと彼女は続けた。
敵は悪であるから、味方は善。悪に与するもは味方ではない。
敵がAであれば、味方はB。Aだと言っては決していけない。
こちらとあちらは違うもので、あちらとこちらが重なることは決してない。二つの間には線が引かれ、線は深い谷になる。
――どうしてそう極端なんだと思うこともたくさんありました。
彼女は本の表紙をなでてみせる。何年も前、僕らが生まれる前の災害を扱った本だ。巨大地震、巨大嵐、大洪水、大事故、病禍。
――誰かが『良い』と言ったら、『良い』って言わないといけないんです。『良い』じゃないものはなくなっても仕方ないって思われました。
一回だけ。その一日だけ。そう映像資料の中で男の人は言っていた。だって、それは良くないことだと思ったから。
一回だけ。その一日だけ。そう違う映像資料で女の人は言っていた。それは良くないって言っている人がいたでしょう?
一回だけ。その一日だけ。良くないことなんだから、一回だけ、注意しただけ。アーカイブの中に発言があった。
――一回だけ。一日だけ。良くないと言っていた人がいたから。良くないんだと思ったから。そうやって、敵ができて味方ができた。
――一日だけはだけじゃない。一回だけは広がっていく。一日だけは続いていく。
だって俺は一回だけ。だって私は一日だけ。良くないんだと言われていた物に良くないと言っただけ。
――敵は攻撃してもいい。『同じ』であればそれは味方。
――敵はウィルスじゃありません。
*
放課の鐘が響く頃、階段を上がったカフェの隅に彼女はいた。狭い机の間を抜けて近づく僕に気づいて、興味なさそうに目を逸らされた。
彼女はカップを持ち上げ、ゆっくりと口元で傾けた。彼女の前には空いたミルクフレッシュが置かれ、ソーサーの上には琥珀色をまとわりつかせたコーヒースプーンが置かれていた。砂糖の袋は見当たらなかった。
砂糖はなしでミルクだけのコーヒーを彼女は独りで飲んでいた。
「砂糖なし? 飲んで良いの?」
コーヒーは大人の飲み物。飲みたいというと眉を顰められ、それでもねだると砂糖とミルクとこれでもかと入れられた。子供には良くないものよ。母さんの口癖だ。
「悪いわけないじゃん。慣れてるだけ」
僕をチラリと一瞥すると、彼女は窓の外へと視線を移す。
窓から見えるのは狭い狭い街だった。車がようやくすれ違うだけの幅の車道があり、車道の脇には人が二人並べるかどうかの歩道が一段高く作られている。歩道に面して店や家のドアが並んでいて、こちら側には学校の玄関が面しているはずだった。大抵のドアは2、3段の階段を持ち、いくつかのドアの上方にはベルが設えられていた。
車はひっきりなしに行き交っている。人々は狭そうにしながら歩道の上を歩いて行く。
少しばかり狭いけれど、どこにでもある、当たり前の街だ。
「この町、嫌いなのよね」
ぽつりとこぼされ、僕は返すことができない。彼女は答えてもらいたかったわけでもないのだろう。外へと目を向けたまま、言葉を続ける。
「本当は開発されるはずだったんだって。この学校の敷地を削って、道路も歩道も広くなるはずだった。段差がなくなって、電子掲示板なんかの設備もつけられるはずだった」
「そんな話も、あったね」
僕らがもっとずっと小さい頃。戦争だと誰かが言い出す前。
この学校に入学したとき、学校の歴史として学長先生は演説していた。
――伝統ある学校は幸運な事に伝統のままの姿で君たちを迎えることができました。
「なんで残ったか知ってる?」
僕は素直に首を振る。開発されなかった。その事実しか知らない。
「戦争があったから」
「さっきの」
彼女は頷く。そしてそれきり、言葉を続けることはなかった。
僕は自販機で飲み物を選ぶ。僕らに良いとされる飲み物ばかりが並んでいる。僕らはそれを選ぶしかない。悪い物は選べない。
彼女は。
振り返るとまた、彼女はコーヒーを口へと運んでいる。
*
――古い学校で。伝統のある学校で。学長先生は壊されたくないと思っていて。
選んだ野菜ジュースは、少しばかり苦く青臭く。ついため息がこぼれてしまう。
――壊すことは悪いことだと、たった一人誰かが言い出したとしたら。
例えば、卒業生。例えば、少しばかり有名な人。例えば、古い物を残す活動をしている人。
例えば、作り替える必要がないと思った人。例えば、もっとほかにやりたいことがあった人。
立った一人、たった一回、たった一日。重なっていって。
少しの意見が押しつぶされて見えなくなって。
*
「君はそれ、嫌いだよね」
彼女は僕を見ていた。頷くと、彼女の口元がふっと微笑んだ。
「嫌いなら嫌いって言ってみれば」
「え、でも」
先生は身体に良いことを僕に説明してくるだろう。旧友は、嫌いな僕をヘタレ扱いするのだろう。父さん・母さんは、泣くかもしれない。
「あたしは、誰もが発言して、誰もが言葉を聞いてもらえるような、そんな、戦場でない場所を見たいの」
彼女の言葉は迷いなく、人気のない戦場のただ中に響き笑った。
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