20200418:粒あんの世界へ帰っていく

【第109回二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 睡眠時間が足りてない

 ご自由にお持ちください

 ハニートラップ

 無難な選択

 過激派の粒あん至上主義


<ジャンル>

 SFっぽい?/時間の有効活用


---------------------------


 口を大きくへの字に曲げてそれでもわたしの後をついてくる。目をあちらこちらに向けているのは、ハニートラップでも警戒しているからだったりするのか。

 ハニートラップ。つい笑ってしまった。おじさんは胡乱な目でわたしをにらむ。

 少しどころかかなり緩んだ体つきの頭も少し薄い感じのおじさんは、確かにあまり声をかけたいタイプじゃない。

「何がおかしい?」

「なんでもない、思いつき笑いしただけ」

 今度は眉根を寄せて見下ろしてくる。相変わらず口はへの字のまま。不機嫌だって顔全体に書いてあるように。

「何を思いついた」

「大したことじゃない。おじさんにはきっと関係ない」

「不愉快だな」

 階段を上がっていく。おじさんもついてくる。声をかけた時から、声をかけるその前から、への字の口で眇めた目で。

「じゃぁ、なんで着いてきたの」

 踊り場に立つ。錆びた扉に手をかける。見上げればより一層に顔をしかめる。

「気に入らないからだ」

 わたしの手に大きなその手を重ねてきた。

「この設備も、お前さんも提案も、お前さんが提案してくる背景も、何もかもがだ」


 *


 お客は、不機嫌そうな男性が多かった。

 中年を通り越して、初老とか不惑だとか呼ばれる男性が多かった。

 スマートホンから舌打ちしながら顔を上げた背広を着こんだ人だったり。

 降ろした客をいつまでも不機嫌そうに見送るドライバーの人だったり。

 大声ではしゃいで過ぎる学生を忌々しそうに睨みつけてる清掃担当員だったり。

 焦点の合わない目でただ足を動かしているだけの睡眠時間の足りていないような人だったり。

 おじさんは舌打ちして念入りにあんパンをつま先で踏みつぶしていたから声をかけた。大きな隈を目元につくって、牛乳パックを傍らに置いて。相棒さんと二人きりで街に溶け込もうと努力しながら全く溶け込めない浮きっぷりに。いいお客さんになるだろうなと思ったのだ。


「ご自由にお使いください。有効活用したいんです」


 *


 おじさんの手を引き玄関を入る。入ってすぐのガラス戸を開ければそこは受付になっている。連絡通り待っていた『ママ』が示す扉へ入っていく。

 ベッドは二つ。間にシステム。システムを介してベッドは二つ繋がっている。

 幾度目かの舌打ちが聞こえたけれど、わたしは聞こえないふりをする。

「そこに座って」

「本当に、良いのか」

『ママ』が用意してくれた契約書を男に見せる。受け取らせる。わたしも傍らの丸椅子に座る。

「最初から良いって言ってる。納得したら、サインを」

 男はやはり顔をしかめたままで、契約の書面を目で追い始める。

「俺はこういうのは好きじゃない。しかもお前さんはまだまだ若い。子供といってもいい。子供の時間を俺のような大人が使う。それが合法として成立しているのがまた気に食わん。気に食わんが、売られているからには買うこともできる。せめて、正しいことに使うというのが、現場に居合わせた俺の選択だ」

 そして、心底不満で嫌そうに見える顔のまま、一番下にサインを入れる。

「お買い上げ、ありがとうございます!」

 ――時間の売買契約は、そうしてまた一つ成立した。


 *


 おじさんの選択は、結局のところ現状維持だ。気に入らないけど訴えるでもない。リスクを負わずに、せめて悪くはしないでやろうとおいしいところだけ持っていく。善人ぶって恩着せて、自己満足を抱いて帰る。都合の悪いことなど存在すらしないとでもいうように、見えない物に注意を払うことさえない。

 ありがちで、欺瞞に満ちていて、過激派のように信念に凝り固まっていて、とても普通で無難な選択なのだろう。

「じゃぁ、始めよう」

 スイッチを入れる。システムがウォームアップのLEDを光らせている。

 私たちはそれぞれのベッドに横になる。ほどなく、わたしの時間は停止する。


 *


 おじさんはわたしになる。わたしになって、わたしの時間を有意義に使う。わたしになったおじさんの体は、その間ずっと眠っている。眠る時間が惜しいような人にこの商品はとても人気らしい。

『ご自由にお使いください』

 私は対価を受け取らない。わたしが得る対価はそのまま、その間を『生きなくていい』というそのことだ。

 おじさんはやがて気づくだろう。長袖の下で、ウエストの辺りで、太ももの内側で、服に隠れて見えない個所で。わたしが『ママ』の元で無償奉仕をする以外にどんな日々を送っているかを。

 そして、過激派の粒あん至上主義の如くに。こし餡など食べ物として存在しないとでもいうように、念入りにその事実を踏みつぶすのだ。


 *


 私の時間が戻ってくる。よく寝たとばかりにおじさんは伸びをする。

 おじさんは夢でも見たように焦点を合わせる気のない視線のままで頭をかき、そして、わたしに気づく。

 こし餡を見るような目で見られるのだろうと思っていたし。

「有効活用、ありがとうございました」

 その通りの目のままで、何も言わないという無難な選択を選びつつ。

 わたしは晴れやかな気持ちで背中を見送り。

 おじさんは粒あんの世界へ帰っていく。





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