20200328:温室から野生へ
【第106回二代目フリーワンライ企画】
<お題>
深刻な〇〇不足(〇〇内は自由):多様性
妙な癖がある
花嫁修業
早い者勝ち
野生に返る
<ジャンル>
SFちっく。人類の純粋種は『温室』で育つ
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ストレスがどうのとか、環境がよくないだとか、空気が悪いだとか、母の小言が車内に満ちて僕の耳をかすめていく。母の向こうに座るはずの僕の妻は、時折か細くハイ、ハイと言葉を返している。前列に座る運転手は口を挟む気配もない。慣れっこの執事も何も言わない。母の小言は終わりを知らない。
結婚して寝室を共にするようになって二年が過ぎ、妻は二度の流産を経験した。妊娠初期といわれる時期の流産で、妊娠の自覚も妻にはなかった。妻に落ち度があるわけもない。僕が何をしたわけでもない。誰が悪いわけでもない。悪いことがあるとしたなら、巡りあわせと組みあわせだ。
母の小言が耳をかすめる一方で僕は窓の外をじっと見ていた。僕らが住む屋敷街とも、僕が通う学校街とも違う景色が過ぎていく。時折、日常から離れる為に使う高速道路へ向かう道すがら、その景色を見ることになる。
灰色に沈むビル。落書きの内面のないコンクリートの壁面。ビルとビルの間やら、細くて倒れそうな気の柱の間やらに、どうにか渡された防水布。防水布の下に広げられた野菜や果物や穀物や小物や布製品や鍋や鉄板、そしてテーブルに椅子。行きかう人々。走り回る子供たち。力強く野良に生きる――野生の人間たち。
「いいですか。あなたたちは正しい『ヒューマン』なのです。いざとなれば人工授精などの手もあります。けれどまだあなたたちは若い。その時ではありません。環境を変えて励みなさい」
はい、お義母様。妻の感情のない声が聞こえる。
僕はそれを聞きながら、妻の感情を押し殺した声を思い出していた。
――私は、良いことだとは思えないのです。
唯一二人きりになれる夜の時間に妻は小さく漏らしていた。私たちは、子供を作ってもよいのでしょうか。
彼女には妙な癖がある。それに気づいたのはしばらく暮らしてからだったけれど。ほかの『温室育ち』にはないことだった。
ニュースを好んだ。本を好んだ。旅行を好んだ……正確には、旅行に行く時に『野良の人々』を見ることを好んだ。
妻は若いながらも高等教育を修了し、けれど、女であるという理由で進学せずに僕のもとへと嫁いできた。結婚は彼女が生まれた時からの決まり事で、遺伝子的に決定されていたことだった。
薄らと汗をかいた夜の彼女からは良い香りがして、同じく汗ばんだ僕を彼女は拒否しなかった。だからだと、彼女は何時か呟いた。
――深刻な多様性不足です。
進化の袋小路だとか。効率の果ての収斂進化とか。言う人も確かにいた。
僕は流れゆく街並みを目で追う。僕らが生きる街とは異なる街。僕らとは異なる人々。野生のイエネコのように。野に返ったブタのごとく。毛の化け物とかした野のヒツジのように。温室を出た、ヒューマン。
……その中の一つに目を奪われ。けれどそれは、流れていった。
「聞いているの?」
母へと僕は振り返る。
何事もなかったように、はい、母さんと、感情を乗せずに呟き帰した。
*
「そのアイディアは早い者勝ちなのではないですか」
妻はやはり僕を拒みはしなかった。けれど、汗ばんだ上半身を少し起こして僕を見た。
彼女の温室育ちの柔和な目が鋭さをもって僕を見た。僕は脱力感に身を任せながら、けれど彼女を見返した。
「そう思う?」
「思います」
だって、ばかばかしいじゃないですか。
ぼふりと柔らかくベッドが揺れる。埃が舞う。
「野生の人たちと温室育ちの私たちと、何が違うというのですか」
――僕ら『ヒューマンの純粋種』は温室と呼ばれる街で生まれて育って、そして暮らしている。
温室にあるもの以外は混じっていて汚れているのだと聞かされていた。
温室のものは可憐で美しくたおやかで。細くて、虫を怖がり、傷を怖がり、病を恐れ、死を恐れた。
手入れを怠ればすぐに萎れる。つややかな髪は輝きを失い、絹のような手触りのきめの細かい肌は荒れ果てる。手指はささくれ、足裏は硬く透明さを失い、それにつれ生気さえも失い病むようになる。
混じり物がないからか弱いのだ。か弱いのは本物である証なのだ。
『純粋種』は希少で、か弱くて、だから、保護に値する――保護よりも制約を感じるようになったのは一体いつの頃だったか。
「お義母様がいない間に生まれてしまえばいいのです」
彼女の言葉は強かった。細く折れそうな茎を持ちながらもリンと花を咲かせるがごとく。
「私は『温室』で生まれて育てられている間、ずっと疑問に思っていたのです。卒業して、予定通りにあなたに嫁いだ時も、このままでいいのだろうかと思い続けていました」
彼女はそしてベッドの上に身を起こした。細く白い背筋を伸ばして、僕を見下ろす。
美しい。その一言に尽きる顔が力強く笑んだ。
「私の『相性』の相手があなたでよかった。私は賛成します」
*
彼らを『混合種』と呼ぶ人もいた。
荒天でも生きられるように、かつて鳥から知恵を譲り受けた。
毒草を食しても大事に至らないように、かつて蟲から耐性を得た。
凍り付く空に負けないように、全てを焼き尽くす熱砂の上で生きられるように、かつて動物から強さを得た。
『温室』の外で生きる人々は、廃ビルの片隅で、草原の縁で、森林に守られて、水辺を安住の地として強くたくましく暮らしている。
花嫁修業をさせればよい。彼女は言い、計画する。
野生の女性を拾ってくる。野生とはいえ同じヒューマン。意思は尊重する。
条件は、下働きとして働けること。純粋種との子を成すことに抵抗がないこと。
そうして見つけた女性は、荒々しい言動で、肌は焼け、荒れ放題で、髪にも艶はなく、指先はまるでやすりのよう。手足にもあちらこちらに傷があり、足を引きずってさえいた。
「面白い条件じゃないか」
挑むような目線で笑う。美しいとは思えないゆがんだ笑い方、なのに。
「いいよ。付き合ってやっても。けど、飽きたら」
野生に返るからね。
言い切る彼女は――美しくて。
「悔しいわ」
初めての『彼女』との夜を前にして、妻はぽつりとつぶやいた。
「私が、あなただったらよかったのに」
*
温室を出た植物が野生になじむこともある。
外の空気に触れた妻は、野性に目覚めた手を伸ばす――本来の僕ではない、方向へ。
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