20200315:オヤジの対処療法

【第104回二代目フリーワンライ企画】本日のお題

 「むかしむかしあるところに」から始める(スタート指定)

 禁断症状

 布教用と保存用

 それって良い考えだね

 この人偽物


<ジャンル>

 たぶんSFのくせに肌臭い


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「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこと大きな桃が流れてきます。おばあさんは桃をうまく拾い上げると、夕飯に出しました。さて、じいさんは桃が大好物です。おいしくいただいた後、物足りない、いや、いまだからと、おばあさんもおいしくいただき、桃太郎が生まれました」

 煙草を咥えて釣り糸を垂れる猫背のオヤジは、煙草を落とすことなくそうほざいた。糸が引いたかに見えた竿を上げれば見事に餌だけ消えていて、ちぇっとやはり煙草を咥えたままで舌打ちした。

「桃太郎は、流れてきた桃の中にいたんじゃないんですか」

「こっちのほうがリアルだろ」

 ケケっとオヤジはいやらしく笑う。針に気持ちの悪い虫を取り付け、思い切り竿を振る。

「リアルとか、リアルじゃないとか、そういう問題じゃぁ」

「そういう問題だっての」

 持ってみろ。竿を示され、僕は両手を広げて見せて首を振る。僕はグローブをつけてない。

「没入感ってのは、五感をどこまで騙せるか、だぜ?」

 波紋が生まれる。竿の先が上下する。よっと。オヤジは竿をひく。竿先はしなったままだ。

「視覚・聴覚・触覚。味覚に嗅覚。五感は人間のインターフェース。より多くの情報量の、より近しい信号を与えてやることが重要なのさ」

 オヤジはリールに手をかける。ここだと一気に巻き上げる。果たして。

「長靴かよ」

 リアルなんだか、フィクションなんだか。呟くオヤジの周囲が、溶けた。

 イビツなメッシュが表れる。グラフィックの初期設定の中心に立ち、本物そっくりのオヤジのアバターは僕のアバターへ向き直った。

「禁断症状がでてるんだろ。クローズドの中でしかとても言えないようなヤツがよ」

「分かりますか」

 僕はごくりと息をのんだ。こんなこと、わかられては困るのだ。悟られてはならないのだ。VRの外の現実では、絶対に。

「ここに来る奴は大抵そうさ。どこで話を聞きつけるんだか知らねぇが」

『床』をちょいちょいと示される。言われたとおりに、座ってみた。

「お前さん、スーツは」

「着てます。グローブは、操作に邪魔で」

「ヘッドセンサーは」

 僕は息を一つ吸う。普通のVRでは、センサーなどつけない。

「つけてます」

「ん」

 スーツとは、触感再現用の密着スーツのことだった。仮想空間での触感データはスーツを通して再現される。グローブはそれの手のひら版だ。

 風の圧力、太陽の熱、水の冷たさ、液体の感触、握手の温度と手の形。物を持った時の感覚に、ピリッと走る痛みまで。スーツは荒く、グローブは細かく、再現する。

 センサーは、脳波測定器、とも言った。

「まぁいいだろう、お試しだからな」

 オヤジは指をパチンと鳴らす――鳴らす必要はどこにもないが、演出ってもんだろと後でこってり怒られた。そこに、待ち望む『もの』が現れた。


 *


 例えば潜水艦。女人禁制の艦内は狭く、空気が凝り、匂いが籠る。空気清浄機を組み込む設計にしたとしても、匂いは沁みつき、そう簡単には取れはしない。潜航中は動ける場所も限られる。

 例えば、貧乏宇宙探査船。女性を乗せないことを選択した。性差別だと指さされても、『差』のためのコストは馬鹿にならない。結果、狭く、臭く、男しかいない、そんな世界が出来上がる。

 任務よりも業務よりも、難しいのは順応性と忍耐力だとされていた。高まるストレスを如何に減らすか。ストレスフルの状況を如何にコントロールするか。


 ――その男は船内で、最も長いキャリアを誇った。


 *


「禁断症状っつーのは、必須となった脳内物質の供給が途絶えることで起きる不具合だ」

 ざっくり過ぎやしませんか。思ったけど、たぶんそれはどうでもいい。

「脳内物質を供給すれば症状はおさまる。もしくは、自力供給可能な物質にしてやればいい」

 麻薬を抜くときのようにな。

「あっ」

 声を漏らして、慌てて口を引き締める。オヤジは頓着しなかった。

「ふん。これは、悪くないな」

 オヤジのアバターはここにはなかった。データ量の多い自身の通信は制限し、僕のデータを見ているのだろう。

 脳波も、反応も、全部を。

「ァン? なんで今振れたんだ?」

「なんでも、ないです」

「……まぁいい。お次はこいつだ」

「……!」

 二の腕を腕を滑っていくその感触に鳥肌がたった。すべやかで柔らかく少し冷えて擽ったくて小さくて。

「良い反応だな。じゃぁ、パラメータを弄ってみるか」

「あぁっ」

 電撃が走ったようだった。スーツを介して僕の皮膚は刺激を拾う。刺激は神経を走り脳へと届く。脳内シナプスをいくつも経由し、感覚となって僕は感じる。

 不足していた脳内物質が、戻ってくる、この感触が。

 忘れていた感触が、まるで電撃のように、新鮮で。

「弄っても、大丈夫、なんです、か」

「あァン?」

 男は、現実には煙草は吸わない。いつも引き締まりゆがみもしない唇に、今は皮肉でも乗せているのか。

「あー、これはオリジナルじゃねぇ。保存用はプロテクトかけて取ってあるよ。こいつは廉価版、布教用さ」

「布教」

 腕を滑る感触が、肩を過ぎ、首筋をなぞり顎へと抜ける。あぁ。ため息のような声がどうしても、漏れてしまう。

「布教用と保存用。バックアップは基本さ。この人偽物肌感アプリ……VRラブドールは好みの差が激しいからな」

「はっきり言わないでください、船長!」


 *


「それって良い考えだね」

 三年一緒に暮らした恋人は居住まいを正した。

 恋人は今仕事がとても面白く、僕より仕事を取りたいと言った。

 僕には仕事の話が舞い込んでいた。年単位で閉鎖された空間に籠ることになる。男だらけの火星往復宇宙船のクルーにならないかと誘われていた。

 すれ違うことも多く、喧嘩は目に見えて増えていた僕ら。しばらく離れてみようと僕は提案した。

 僕が帰ってくる数年後、結論を出そうと。

 恋人は、迷うことなく、頷いて。

 僕らは毎夜のごとく重ねた体を、思いのほかあっさりと、二人同時に離したのだ。


 *


「男ばっかりが寝起きして、恋愛沙汰になっても面倒くさいじゃないか。VR設備なら、最低限のハードのほかは、メモリ領域さえあればいい。不満解消に役立つアプリに金をかけんでどこにかける?」

 仮想環境の中でばかり、この人は人間らしい笑みを見せる。


 *


 ホームシックとか、失恋うつとか、そんな可愛らしいものではたぶんなくて。

 僕は、恋人の肌に中毒になっていたのだと思い知り。

 僕は、毎夜夢の中で『恋人』と体を重ねる。


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