20200229:四年に一度の大学祭
【第102回 二代目フリーワンライ企画】
<お題>
四年に一度
少し離れて歩く
枕が変わると眠れない
秘密は秘密のままがいい
イントロ
<ジャンル>
現代・ちょっとオカルト
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臭い足に蹴られた時には目を覚ましていた。
「子供かお前は」
寝られなかっただろ、講師張りに歳の言った大先輩は小馬鹿にするように僕を見下ろす。
僕はヨレヨレと身を起こし、何度も何度も目を擦った。
「枕が変わると眠れないんです」
「んな繊細なツラか」
ほら立て起きろ仕事しろ――先輩は容赦なく僕の毛布を剥いでくる。
ほとんど眠れていないのは事実だった。そして、朝が来てしまったのも事実だった。
「ツラはほっといて下さい」
ゼミ室の端っこの椅子を並べた特製ベッドを抜け出した。長袖Tシャツの上にエプロンだけ引っかける。そのまま向かうのは階を降りた先、理学部から借りた化学実験室だ。
先輩に指示されて念入りに手を洗う。ついでに顔も洗ってしまう。その間に先輩は換気とばかりに窓を開け、昨日用意した粉やら砂糖やらを引き出した。
朝らしい風が吹き抜けていく。まだ日は地平を這うようなのに、もうざわめきが聞こえてくる。
あと四時間。残り四時間。それが準備に残された時間の全てだった。
「ほらとっととやれ。発酵までやったら、外の準備もあるんだぜ」
「解ってます!」
まずは明日出す分の下準備を終えてしまう。終えたら昨日作った本日分を表のテントに移動させる。表のテントで仕上げのための諸々を調え、開場の時を待つ。
ポスドク一人、学部一人。たった二人の文化人類学教室の四年に一度、一週間も続くという大学大祭の出し物は、饅頭屋台と決まっていると言われていた――それがなぜかを知らないまま、僕は今日という日を迎えていた。
僕は小麦粉の袋に手を掛ける。僕の疑問をはぐらかし続けた先輩は、ヤニに染まった歯を見せながらかごめかごめを口ずさむ。
かごめかごめ かごの中のとりは いついつであう
幾つもの意味を込められた歌だ。
「手を止めるな」
「あ、はい」
僕は慌てて手を動かす。外からは、祭の準備の喧噪が、こんな時間なのに聞こえてくる。
*
舞台を中心に据えた丸い広場を囲うようにゼミやら研究室やらの出店が並んでいる。
饅頭を蒸かすためのガスコンロやら蒸かし器やらの準備に追われる僕たちの隣のテントは獣医学部らしかった。ラム肉のジンギスカンを解体ショーからやるらしく、皮を剥いだだけの羊の肉を入れているという巨大冷蔵庫が印象的だ。逆隣は理学部化学科らしかった。こちらはカカオ豆から作るチョコレートドリンクが売りらしく、生カカオ豆を煎る道具やら、挽く道具やらがテントの中を占拠していた。
その隣は生物学科の酒酵母の原種を使ったという甘酒、更に向こうは収穫したばかりの芋を使ったという焼き芋。その向こうも食べ物屋台が一周ぐるりと続いている。
中央の舞台では実行委員によるマイクのセッティングが念入りに行われている。本日の一番手、お笑い芸人が到着したのか、人の行き来が慌ただしくなってきた。
時刻は9時半を回り、いよいよ慌ただしくなってきた。……回りは。
「やりゃあ出来るじゃねーか」
「やれば出来る子ですから」
饅頭屋台は準備の一通りを終えていた。ほぼ全員が最初で最後の学校祭だ、手際など良いはずがなく、どこのテントも準備に追われているのが見て取れる。
僕は最後にコンロへと蒸し器を置いて、ため息を溢しながら腰を下ろす。例外的に三度目の参加になるという先輩は風下を選んで『深呼吸』に余念がなかった。
僕は改めて広場を見回す。
大学祭はこの広場を中心に行われる。校舎内ではオープンキャンパスなどの催しもあるにはあったが、あまり派手派手しいものではなさそうだった。他の大学では部費の足しにサークル費の足しにと欠かせない、部やサークルのテントはプロムナードに置かれていた。テントの場所決めの会合で、テニス部部長が噛みついていたことを覚えている。
ふと、走り回る実行委員から少し離れて歩く少女に気付いた。白い着物が目を引いた。日の光を綺麗に返す、柔らかそうな質感に見えた。おそらく、絹。どこのゼミだか研究室だかの関係者か。一体何のコスプレだろうか。
少女は、委員達の手元も興味深そうに一々覗き込んでいた。邪魔にならないだろうか。思うほどの至近から。真っ黒い髪を揺らし、大きな目をくりくり動かし、胸元に大ぶりの緑の石をきらめかせ。
僕は朝飯にと買っておいたパンを囓る。目は少女を追い続ける。
「ぼちぼちだな」
むせ込み、ペットボトルを手に取った。
いつの間にか真後ろにいた『深呼吸』を終えた先輩は、広場の方をじっと見ていた。
「祭が、始まる」
――ただいまより、第二〇回――大学大学祭を開始します。
門が開けられたはずだった。暫くして来場者の姿が広場にも見え始める。
舞台にはお笑い芸人が立っている。饅頭を。注文が入る。
僕は、つまみ食い厳禁と言われた野郎二人の手作り饅頭を、蒸かし器に掛ける。
*
一日目が終わった。
実行委員の終了のアナウンスが流れるとテントはまた違った喧噪に包まれる。
文化人類学教室の一日は終わらない。テントを片付け、実験室にとって返し、寝かせて置いた生地に饅頭のタネを仕込むのだ。
そんな生活が、一週間、続く。
蒸し器を下ろす。布巾で辺りを拭き清める。
着物の少女は舞台の上ではしゃいでいる。
あの子は多分、最初からずっとあの辺りにいて。ぐるりとテントを眺め回しては満足そうに微笑むのだ。
「俺は三回目だからなぁ」
ヤニくさい息を吐き出し先輩もあちらこちらを拭いて回る。
「二回目は、まぁ、教授にも呆れられたけどな。でも、そんときに決めたんだわ」
アルコールの混じった消毒液は人間社会の都合の産物。
「俺ぁここでポスドクするし、出来れば講師の口も見つけたいと思ってる」
先輩は時折腰を伸ばす振りをして、舞台の方を眺めている。
多分、この一人語りは。
僕がずっと思っていた疑問の答えの欠片だ。
「俺の博士論文のイントロダクションはこうだ――祭とは古来より、感謝と祈りを込めて、神をもてなし慰めるための儀式だった――」
少女は夕日を眺めている。現代人らしからぬ格好のままで。
「あの子は」
蒸かし器をとり、歩き出す。古来、人の頭の替わりとされた物の……明日の分の供物を作りに戻るのだ。
「――秘密は秘密のままがいいってね」
僕に並んだ先輩は、アルコール臭いひとさし指を自分の唇に持っていく。にやりと、笑んだ。
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