20200215:月下のテラリウム
【第100回 二代目フリーワンライ企画】本日のお題
<お題>
開けっぱなし
理屈ではわかってる
ガラス瓶
友達の友達から聞いた
嬉しくて踊り出しそう
<ジャンル>
近未来/地下都市
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両手で抱える程度の瓶を照明にかざしてみる。球面で屈折した光が疎になり集まり、まだらに影を生み出して、僕は思わず息を呑む。
こけ玉にミニチュアの家を乗せ、木々を植え、小さな小さなフィギュアを飾った。星の王子さまの星のように、僕だけの星、僕だけの世界を作りたかった。ジオラマのように時をとどめたものではなく、呼吸し成長を続ける生きる世界を作りたかった。そう、願って何個も作った。作っては壊し、作るために材料を取り寄せ、作っては壊し。幾つ作っても思い通りにならなかったテラリウムがようやく理想の形に近づいていた。
けれど、足りない。
僕は窓の外を見る。階層の天井が間近に迫る三階からは、夜間灯に照らされた通路ばかりが目に入る。昼間は光ファイバーで取り入れる外光も、こんな時間はただ闇を伝えるだけだ。
テラリウムを覗き込む。素地からじわりじわりと成長を続けたテラリウムは、小さなガラス瓶に収まりきらず、手入れをするとき以外は閉じていたガラス瓶の蓋はすでに開けっぱなしになっている。そこに、決まり切った波長の決まり切った光が、ガラス瓶を動かす手に合わせて踊っている。
外を見る。LEDの照明を見る。天井の、今は闇に沈むファイバーを見る。想像出来る。
僕は、テラリウムを大切に箱へと移すと大きく息をひとつ吐く。長く履いていなかったスニーカーを突っかけて、怖々と玄関の扉を開ける。
そして、跳ねる心臓を押し殺しながら、テラリウムを壊したりしないように慎重に。深夜に近く人通りの絶えたエレベーターへと足を向けた。
*
月の光には魔力があるとか、友達の友達から聞いた話をそのときは馬鹿にした。
あらゆる波長を含む太陽の光を一部吸収し、残りを反射し、それが地球にまで届く。
理屈ではわかっている。月光で色が変わるとか、昼間の光と異なるだとか。全て説明がついてしまう。
けれど。
月の光には魔力があるとか、信じたくなる時も、ある。
*
乗り込む人々とすれ違う。人々の視線を避けるように縮こまりながらエレベーターホールの外へ向かう。
ホールの付近は街灯が明るく、ほど近い駅舎の灯りも存分に眩しくて。僕は、駅とは反対側へと逃げるように足を向ける。
まん丸の月は中天に差し掛かり、白々と光を投げかけている。道から一歩入った公園の遊歩道は街灯と月明かりで足下は思ったよりは見えていた。
きっと怪しい人だろう。一抱えもある箱を抱えて、人気も灯りもない方を目指している。おまわりさんに見つかったなら職務質問でもされるだろうか。――ありのままに答える以外にないわけだけど。
やくたいもない事を思いながら、遊歩道を進んでいく。終点の広場のベンチで、テラリウムを箱から出した。
*
――妖精が踊るのよ。月の光のその下で。
――人でないものが集うのよ。白く淡い光の中で。
――太陽は焼き尽くしてしまうから。
――月は見守っていてくれるから。
*
「え」
白い姿が踊っていた。広場の中央でくるりくるりと輪を描いて。
目をこすった。姿は消えない。
広場の中央は苅られない芝が思い思いに細い葉を空をめがけて伸ばしている。
周囲を囲う木々は黒く、隅には休憩所の小さな屋根が影を落とした。
白い姿は音を立てず、スカートの裾を広げながら、ふわりふわりと舞っている。
それはまるで、テラリウムの中の小さな小さなフィギュアのように。
「ガラス瓶が開けっぱなしだったから」
白い影は足を止めた。
空を仰ぐ。高く、月を。
「友達の友達から聞いたの。いつかそんな機会が来ないかなって思ってた」
子供を脱したあたりの少女、そう思った。
テラリウムの中のフィギュアは、そんな少女を思って置いた。
「嬉しくて踊り出しそう。ううん。もう踊っちゃったわね」
少女は踊る。スカートが大きく円を描く。
僕の世界の立った一人の住人を目の前にして。
僕は、言葉を失っていた。
「待っていたの。言いたかったの。言えると思ったの。お月様の魔法があれば、きっとって」
少女はぴたりと踊りを止めた。月あかりのスポットライトを浴びながら――僕を見る。
「私の世界は閉じられていない。私は閉じ込められなんかしない」
僕はテラリウムの、ガラスの瓶の縁に手をやる。
ガラスの瓶は開けっぱなしだ。
「LEDの単色光では物足りなくなったんでしょう? 月光はいろいろな光を含んでいる。知ってる光も知らない色も。知らない色を見たいわ」
ガラス瓶を掲げてみる。光が踊る。少女は――フィギュアは踊っているかのように。
ガラスは月の光を受け止めて。プリズムが色を分解する。
ふと陰った。月は雲に隠されて。
再び月が光を落とした中に、白い影はもう、なかった。
* *
「箱庭療法?」
「さてね」
ガラス瓶を掲げた男は、瓶を元の通りの箱にしまい、そのままベンチから動かずにいる。
無精に伸ばされた髪、汚れこそしていないが、くたびれたシャツにパンツ。街灯に照らされるだけでも不健康さが見て取れる顔色。――地下都市引きこもり症候群の典型だ。
様子を見ながら、スイッチを完全に切る。気付かないレベルで街灯の明かりが変わる。
立体映像を映し出していた装置がスリープ状態になる。
「いきなり日に当てるのは刺激が強いんじゃないかと思っただけさ」
「とか言って、論文に書くつもりなんでしょう?」
「そりゃあ、ね」
モニタのスイッチをオフにする。青年が想定外の挙動をしたなら、監視AIが騒ぐだろう。
地下都市建設から十数年。
人々への影響は、まだまだ研究段階である。
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