20191227:微笑みの鬼

【第94回 二代目フリーワンライ企画】本日のお題

<お題>

 鬼が笑う

 機械仕掛け

 犯人は愛しのアイツ

 今日はどれにする?

 矛盾


<ジャンル>

 現代


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 ――鬼が笑っちゃおかしいかい?

 男は背中を丸めて手で覆いを作りながら、煙草にようやく火をつける。笑い皺を目尻に深く刻み込み、翁の面のようにひょうひょうとした笑顔を見せた。

 そうして煙を深く深く吸い込むと、満足げに白く長く吐き出すのだ。

 ――笑っているのは鬼ではなくアナタでしょう。

 僕が問えば、細い目からほんの一瞬瞳が覗いた。口の端は下がり、笑みが一瞬緩んだように僕には見えた。

 けれど『真顔』に見えたのは一瞬だった。男の口の端はまた上がり、笑い皺が深くなる。

 ――笑うって表情はありとあらゆる感情を表現できる。喜怒哀楽はもちろん、困惑、不安、焦燥、嫌悪、罪悪、驚愕、憧憬、そして愛情。何でもだ。だから、鬼が笑うとして何の不思議もあるまい。

 なら。僕は思う。笑う事でそんなに多くの感情を表せるのなら、あの時『鬼』は一体何を思っていたのか。

 僕が問えば、男はさらに笑みを深める。煙草を吸い込み、ゆっくりゆっくり、吐き出した。

 ――さてなぁ。


 *


 機械仕掛けの時計が少しずつ狂っていったその果てに、ついに修復不可能なほどに壊れてしまった。そんな風に僕には思えた。

 応援に駆けつけた現場は凄惨の一言に尽きた。村中が殺し合ったかのように山間の小さな寒村の至る所に死体が転がり、息のある者の中にも無事な者は居なかった。

 鬼はすでに、立ち去っていた後だった。いや。立ち去ったからこその惨劇だったと言えるだろう。

 僕に応援を求めた元同僚は、通報があったと冷たい風に鼻の頭を赤くしながら言葉少なに告げてきた。

「鬼が笑ったってな。鬼が笑って消えたんだって」

 電話を受けた警官は一笑に付した。夢でも見たんじゃないですかね。

 しかし、続く言葉に動かざるを得なかった。――助けてくれ。殺される。


 *



「『今日はどれにする?』そんな問いかけですら、思い出すと冷や汗が出てきます」

 ベッドの上から天井を天井の遙か先を見るような視線のまま、生き残った男は答えた。

「間違えたらアカンのです。間違えたらそこで終わりなのです。いいえ、彼女は何も言いませんし、何もしません。ただ、視線が違うのです」

 すれ違う村の人々の視線が冷たく感じられる。哀れまれている事もある。嫌悪を感じる事もある。何とはなしに居心地が悪くなる。狭い村の中、居場所を見つけられなくなる。

 けれど、彼女だけは変わらない。言葉も態度も何一つ変わらない。そして、彼女が変わらないことで、また、周囲の視線が厳しくなる。

「あの人は美しくて、優しくて、誰にでも平等で。女神様というのはこういうものなのかもしれないと思ったほどですわ」

 横たわる男の目は優しく細められた。うっとりとした表情になる。幻の女でもその場にいるかのようだった。

「『今日はどれにする?』聞かれることは頼られるようでこの上もなく幸せで、けれど、次の瞬間には悟ったです。あぁ、俺の番が来た。矛盾してると自分でも思います。天にも昇るような気持ちになりながら、地獄の扉が開いたと確かに思ったです」

 彼女は村のまとめ役の家に後妻としてやってきた。献身的で、夫にも村の誰にも尽くし、笑顔を絶やさない人だったと男は言った。誰もが彼女を好んでいた。彼女を嫌う人はいなかった。彼女の方でも分け隔てなく人々と接した。老若男女、痴呆老人にも悪ガキにも誰にもだ。

 そして、まとめ役は寿命を迎え、彼女の『一番』が不在になった。


 *


 その彼女は探すまでもなくあっさりと見つけることが出来た。嫁いだ家に出入りしていた業者の男に見初められ、口説き落とされ村を出た。

 彼女を見た瞬間、仏と鬼と、神と悪魔と。それらの違いは紙一重なのだと思い知った。

 彼女は僕を見て微笑んだ。僕が示した警察手帳にさらに笑みを深めてきた。

 それは、嘲笑か、憐憫か、悔恨か、韜晦か……僕には解らなかったけれど。

 ただひとつ。

 僕は彼女を、欲しいと確かに思ってしまった。


 *


 僕は。誰もが確信している。確信しながら、けれど、その先へと進むことは出来そうにない。証拠などないだろう。彼女はおそらく、ただそこに在った、ただ、それだけだ。

 惑ったのは彼女に近しい人々であり、踊ったのは彼女を信じた人々だった。

 彼女は手を下しておらず、教唆の一言もおそらくない。

 それでも。

 犯人は愛しのアイツ。

 たとえ検挙が出来なくとも、それだけは間違いがない。


 *


 定年間近の大先輩は風通しの良い非常階段の喫煙所で震えながら今日も煙草を呑んでいる。

 若い頃は数多の浮き名をとどろかせたという大先輩は、ぽつりぽつりと漏れてしまう独り言に、笑い皺を深くする。

 ――だいたいの鬼は笑うんだ。いつもいつでも笑っているのさ。

 煙を吐く。風が浚ってあっという間に散っていく。

 地方の出身だと聞いた。都会に出てきて、結婚もせず、仕事一筋できたという。

 ――それが処世術って奴だからね。

 笑みが深まる。

 僕は、ふと顔を上げ。

 目が合い、言葉を飲み込んだ。代わりにひとつ震えて、屋内へ戻るドアを開けた。

「あなたは、どれだけ見殺しにして『鬼』になってしまったのです?」

 冷たい廊下に声が響く。鬼に言葉は届かない。


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