20191222:肥満の妻を亡くした男

【第93回 二代目フリーワンライ企画】

<お題>

 迷える子羊

 太るものは美味しい

 返事をして

 専業

 予定は未定


<タイトル>

 肥満の妻を亡くした男


<ジャンル>

 現代/気付いたら少し怖いかもしれません。


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「私は迷える子羊に、そう、ちょっとだけ手を差し伸べただけです。選んだのは彼女らですよ。私ではない。私がしたこと? そうですね、彼女らに専業主婦になる選択肢を与えました」


「彼女らは皆、自然派指向の家に生まれました。選んだと? えぇまぁ、選んだと言えるでしょうね。好みと言っても良いかもしれません。私はワクチンを好みません。人に強制したりはしませんよ。ただ、私自身が嫌いなのです。ですから、伴侶となる人も同じく反ワクチン派を選んだ。将来、もめたりするのが嫌でしたので」


 *


 還暦近い年齢のその男は、エアコンの冷風に吹かれながら柔らかな物腰で語るように質問に答え続けた。


 一人目の妻は結婚三年目にしてインフルエンザ脳症で死亡した。

 二人目の妻は五年目でノロウィルスによる脱水症状の悪化で果てた。

 三人目は新婚旅行先の生水で身体を壊してそのまま帰らぬ人となった。

 四人目は最も長く十年連れ添った末に、災害に巻き込まれ、エコノミークラス症候群と思しき症状のまま息を止めた。

 そして五人目は、はしかが重症化して結局そのまま自宅に居ながら事切れた。


 全員病死だ。五人目を看取ったのは男であり、そのために聴取している。しかし、医師の見立てでも病死は明らかだったという。

 多分。それでも、話を聞き続けるのは、刑事として、勘、だ。


 *


「妻の容態が悪化したのは夜中でした。救急車も考えましたが、はしかの疑いがありました。ともかくも、朝を待とう。そうして私は看病しながらうたた寝をしてしまったらしいのです。妻に声をかけましたが、そのときには、もう二度と返事をしてもらうことはなくなっていました」


「救急車を呼ばなかった訳ですか? 私はともかく、世間の方に感染(うつ)していい病気ではありません。えぇ。それくらいは私も存じておりますよ。ワクチンの必要性もね。十分存じております」


「けれど、ワクチンは弱毒にしろ、生ワクチンにしろ、ウィルスそのものではないですか。毒ですよ。毒をもって毒を制す、とは違いますが、毒です。そんなものを……身体に入れるなど。妻の身体に入れるなど私は耐えられなかった。彼女達も賛成してくれた。その意味では自業自得と世間様に後ろ指をさされても仕方がありません」


「えぇ、その通りです。彼女達は反ワクチンの家庭に生まれ、自身も反ワクチン派で、つまり、彼女達は汚れのない美しい身体だったんです」


 *


 妻を亡くしたばかりのその男は、そう言うとうっすらと、本当にうっすらと口の端を上げた。頬はわずかに上がり、目尻の皺は深さを増した。つまり、微笑んだのだ。

 俺は病死したばかりの五人目の妻の写真を見る。美しい。男は言った。しかし、俺にはそうは見えなかった。

 美的感覚は個人に由来するもので、だから、男が本当にそう思ってしたとしてそれは否定することじゃない。しかし、世間一般に美しいと言われるような容貌では決してないと言えた。

 男の五人目の妻は、肥満体型だった。日本人には難しいと言われるほどの見事な肥満で、見えるかぎり、締まっていそうな箇所な何処にも見受けられなかった。ここまで太ると病気を持っていてもおかしくはない。糖尿病、高血圧、脂肪肝、等など。事実、五人目は高血圧による医療機関受診の記録があった。……治療は拒否したと記録にはあった。

 そして、一人目から四人目もまた、肥満だったと方々に残った記録は告げていた。


 *


「彼女達をどれだけ甘やかしたか、ですか。まぁ、専業主婦で構わないとして、財布も渡していました。太るものは美味しいと相場が決まっています。彼女達は美味しいものが大好きでしたよ。もっとも、遺伝子組み換え食品でもなく、添加物がないものを選んでいましたが。彼女達が作る愛妻弁当も無添加ですから、夏場はちょっと保存に苦労しました」


「美味しいものを美味しい時に、適切に食べるというのは案外難しいことなんです」


「例えば鳥。鳥の刺身を出す店は多くないのですが、鮮度の落ちが早く、安全で美味しい状態で出すことが難しいらしいですね。フォアグラも日本で食べることが出来るのは缶詰ばかりです。レバーも鮮度が落ちたものは食べられるものではありません。生しらすも出回るようになったのは輸送技術の向上が見られた近年になってからです。釜上げも十分美味しいですが、おいしさが違います。やはり生。そのとき、そこでしか食べることが出来ない、というのは、そそられると思いませんか」


 *


 食べ物の事を話し出した男の目は輝いていた。妻が死んだばかりだというのに、だ。妻よりも食べることが好きなのか、美味しいものに命をかけているとでも言うのか。俺にはなかなか理解しがたい男だと言うことがよくわかった。

 が、一方で何か引っかかるものもあるのは確かなのだ。

「確かに、美味いな。鳥刺しも生しらすも好物だ」

 男の目は一層輝いた。そして、やや興奮した様子で、けれどもまだ物腰柔らかと言える口調で、男は続けた。


 *


「私はフォアグラが大好きなんです。いろいろな者を食べました。ガチョウはもちろん、鳥、牛、豚、馬、山羊、羊……――……」

「あ?」

 聞き取れずに返した疑問を、男は拾わなかった。窓の外へと視線を向ける。時計を見る。

「刑事さん。彼女の司法解剖は終わりましたでしょうか。傷まず返していただけるんでしょうか。季節が季節ですから、早めに葬式を出してやりたいんです」

 男は身を乗り出して焦ったように俺を見た。俺はそれを額にしわ寄せ見返してやる。

「予定ではもう終わる頃だな」

「そうですが、では……」

「とはいえ予定は未定だ」

 男はあからさまに肩を落とした。長く長く息を吐く。

 俺はじっと、男を見る。……何故焦る必要がある?

「そう急ぐことでもあるまい?」

「美味しい時は短いんですよ」

「美味しい、時ね」


 *


 それからまもなく、監察医から連絡が入った。病死に間違いはなく、気になる跡などは認められなかったとのことだった。

 男は諸処の手続きを終え、死亡診断書を貰い、気落ちした風もなく帰っていった。


 数日後、訪れた葬儀会場で奇妙な話を聞いた。


 *


『ご遺体に付き添われるのはご主人一人なのですが、どうも、夜にご遺体を触っているのではないかと噂がありますね。お棺の中の様子が夜と少しばかり違うらしくその、おなかの辺りが少しばかり汚れていたり』

『それにしてもあのご主人は変わっておられます。大抵の方は若くして亡くされると言葉もないものなのですが、お式の間も淡々と奥様との生活を思い出すかのように愛おしそうに微笑んでさえいらっしゃる。満足そうに』


「そうそう、舌なめずりした、なんて話もありましたね。二人目の奥様でしたか……」


 *


 が。

 多分それは、俺の仕事の範疇ではない。


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