20191117:時計を持つもの
【第88回 二代目フリーワンライ企画】
<お題>
イマジナリーフレンド
衝動的に
看護士
止まった時計
宝石
<タイトル>
時計を持つもの
<ジャンル>
多分、観念的なSF
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少女は笑った。淡く淡く、消え入りそうな笑顔だった。月光よりも儚く美しく、僕は思わず見とれていた。そして少女は向きを変えると彼女を置いて行ってしまった彼の跡を小走りで追った。
僕には彼女が見えていた。生きている人間にしか見えなかった。しかし、彼には彼女が見えないのだと担当医は淡々と言った。
「声が聞こえるんだそうだ」
「こえ」
「女の子の声がする。あいつの声によく似ている。けれど、俺はあいつを死なせてしまった。この声は俺の願望に違いない。イマジナリーフレンド、そういう物があるのでしょう?」
彼の口調を真似るでもなく、彼の言葉を呟いてみせる。
「死なせてしまった、ですか」
彼女は生きている人間だった。体温があり、呼吸があり、言葉があり、手も足も健在だった。
「彼のワガママに付き合わされて風邪を悪化させて肺炎を併発した。退院まで二週間ほどかかったそうだ」
先生はカルテに書き付ける。病状、変化無し。少女以外に認知の異常は認められない。
「MRIもやってみたけど、異常はコレと言ってなかったしね。まぁ、心の病は気長にじっくりやるしかないから」
慣れているとばかりにペンを繰る。薬、様子を見るため処方無し。
認知。僕は口の中で呟いた。認め、知る。
「この病院はそういう患者さんが少なくないからね。早く慣れるように」
マイクのスイッチに手を伸ばす。ON、そして、徐に口を開く。
「次の方、どうぞ」
中年男性が入ってくる。くたびれた背広にシャツ。手には通勤鞄、足は革靴。午後からは行かねばならないと効くまでもなく言われた気がした。
「女房の姿が消えちまったんです。そして、声だけ、どこからともなく聞こえてくるんです。先生、なんなんですかね、これは」
*
女房が、彼女が、妻が、消えてしまって声が聞こえる。
そんな訴えで診察を求める人が急増と言って良いくらいに増えていた。
逆に、無視されているようだ、といった声もあった。
彼らはX線やMRIで見る範囲には異常が認められなかった。
ただ、双方の不安と、不満と、疑念と、悲嘆が吹きだまりのように重なったあとで、彼らは心療内科の戸を叩く。
*
彼は週に一度やってきた。彼に付き従う立場だという彼女もまたやってきた。
彼の診察中、先生の許しも得て、少女を一人、中庭へと誘った。彼女は、彼の様子を窺いつつ、声を出さずに頷いた。
中庭には思いのほか、冷たい風が吹いていた。彼女は襟元をかき合わせた。そして、しりたんでしょう、と。あの時、僕が見とれた笑顔を浮かべて見せた。
「宝石が割れてしまったんですよ」
「宝石?」
「止まった時計の宝石です。彼の物です。
彼女は懐中時計を取り出し見せる。まだ若いと言える金属色の大胆な構図の蓋を開ければ、短針と長針が所在なげに適当な時間を示していた。
彼の時計です。少女は言った。私は持っていません。彼の、時計です。
「看護士さんは、この町のお人ではないようですから。知っていることをお話ししますね。そして、先生にそれとなく伝えて下さい」
少女は話し始める。
「これは仕方のないことなのです」
淡く淡く、笑む。
*
光は時間です。時間が止まると言うことは、光が止まると言うこと。光が止まってしまったんです。
光が止まると人は物を見ることが出来ません。物を見るとは、物が反射した光を網膜に捉え、波長に応じて細胞が反応し、脳で像を合成するというプロセスを経て発現する現象です。
彼の、彼らの時間は、止まってしまったんです。いいえ、止まりつつあるのです。
まず、私の姿が見えなくなりました。今はご両親の姿が見えなくなりかかっている。そうしたらきっと学校の皆様が。看護士さんや、先生が見えなくなるのだと思います。
見えなくなる順番は、『近い』順番だと思います。はい。私は彼ととても近いところにいました。
恋人同士とか、そういうものではないです。私が付き従っているように見えると思いますが、決してそういうわけでもありません。むしろ、彼が私に付き従ってくれるようになるはずでした。
ねぇ、看護士さん。この町には、懐中時計を持つ人と、持たない人がいるんですよ。
もちろん、宝石が割れてしまうのは、持っている人たちだけです。そして『見えなくなる』のも。
*
「え?」
少女は淡く淡く笑んでいる。
「彼の時間が止まってしまったから、私は家へ帰らなければなりません。新しい『彼』にであれば良いのですけど」
寂しげに、悲しげに。
「彼を置いていくのですか?」
少女は首を振る。そうではない、と。
「腕の良い職人さんが見つかれば、割れた宝石を取り替えるのですが」
少女は愛おしそうに止まった時計を何度も撫でる。
「直らなければ、取り替えるだけです」
衝動的に僕は口を開き。
正しい言葉ではないと、発する前に、口を閉じた。
少女の笑みが、愛着のあるぬいぐるみを捨てなければならないと知ったときのように、思えて。
――見捨てるのですか?
この言葉は、正しくない。
「道具とはそういうものでしょう?」
*
この町には時計を持つ物と持たない者が存在する。
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