第2話 サクッと切り替え

第2話 サクッと切り替え

「部長、この案件まとめておきました」

 掛けられた声にニコリと笑ってありがとう、確認しておくよ、といつもとかわらず業務は過ぎる。これでも立場ある人間ではある。未婚者でありながらこんな地位まで上り詰めたのも、うちの会社が、というか社長が奇特なのだろう。そんな奇特な社長は昨日タピオカを飲みすぎて腹痛をお越し、救急車で運ばれた後、レントゲンを見た医者に呆れられたのはすでに社内周知。最近ハマっていた女子社員は今日は普通にレモンティーを片手にキーボードを叩いている。

「ただ今戻りました。部長早速で申し訳ないんですが、笹田課長の要望変更が入りました」

 笹田課長とは、弊社と取引のある一会社の一つである。主に広告関係になるが、細々とした変更が多いので、手慣れない職員にはまともに相手したくないともいわれているが、慣れたら案外ちょろい。

「先に会議室に行っててくれるかい?第一は空いてたかな?」

「今は使用してません」

 ファイルを抱えた社員が元気に答えて、どうもありがとうと礼を言う。『いい上司』で通っている俺は無駄な叱責などしない。人前でガミガミと謂れのないことまで責め立てられて胃に穴を開けた経験があればそうもなろう。

 先に確かめるはずだった資料を一旦鍵付きの引き出しに仕舞い、席を外す。待たせている会議室へ広告を編集した担当者と急いで出向くと、部下、営業職の槙島紫水は三人分のインスタントコーヒーの紙カップを机に置くところだった。

 笹田課長の言い分に合わせて変更点を確認する。無茶を言う人ではないので、広告的に厳しいか悪印象がある場合があるのだろうと、タブレットで確認する。言い回しを変更したほうがいいだろうとのことだったので、いくらか確認し、おかしくないだろう言語に変更した。

「これで通ればもう一つの方に集中できるんですけど」

担当者は伸びをして苦笑し、足早に部屋から出ていった。

「お疲れ様。あと、おかえり、もだねぇ」笑いながら資料とタブレット、半分ほど残っているコーヒーを手にしようとすると、槙島はさっとそれを手にして危ないですよと付け加えた。

「笹田課長が変更を言い出したときは溜息が出ましたけど、いいシチュ来たんで良しとします」

「?」

「どうぞ」

会議室のドアを押さえ、槙島は先に俺を通してくれた。彼の前を通過すると、ふわりと森林と柑橘の入り混じった香りが鼻孔を擽り、俺は思わず小さく深呼吸。

「花屋部長?」

「ん、なんでもない。見ないといけない資料の案件が面倒だなってな」

「昭月さんの案件ですか?」

「松釜だ」

「うわ〜」

 そんなやりとりをしながら部署に戻る。少しだけだし、仕事の話だが二人の時間が持てたのは良かった。


槙島紫水、彼が入社した当時から好きだった。




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