8話 埠頭襲撃

 不注意だった。慢心していた。


 確かに少し前から気持ちの悪いヒスノイズをキャッチしていたのに。警戒心がどこかでマヒしていた。

 それを初めて目視したときは、一瞬季節外れの蝉かと思った。近づいてくるにつれ生き物ではないことが解かった。

 マイクロドローン。

 なかなかにエグイ、ヤバイ、まとわりつかれたらヤバイ奴だ。

「顔を隠して!撮られる!」

 アカリの鋭い声が空気を切り裂く。

 それはまるでその勢いそのものでドローンを吹きとばそうと試みているかのようだ。

 写真を撮られるとスキャンしたIDと顔認識による本人照会をされる。

 杜撰な偽装IDを利用していると、顔認識とIDのプロフィールが一致しない場合は排除対象になる可能性が高い。それにワンガンで一度でも顔を撮られてしまえば、その後もずっとブラック照合対象となってどんなIDを使っても違法難民であることを見破られてしまう可能性が高くなる。

 

 奴らをワンガンに呼び寄せたものは何だ?

 気付いた時には浮塵子うんかの如く舞い踊る無数のマイクロドローンに包囲されていた。

 既にフェイスカバーとグラスを身につけたアカリが走り出すのを見てタカも慌ててシリコンマスクを装着し追いかけた。

「そんな装備、持っているんだ。」

「まあ、潜入ルポだからね。」

「…あなたも通信を遮断して。必要であれば私達のマルチホップに入れる。」

「了解。」

「プロトコルパケットを送るから展開して。」

「OK。展開完了。」

 異常事態にあって即時に公衆網通信を遮断し、端末間近距離通信で仲間のみでコミュニケーションをとる。

 リスク管理もお手の物か。


 アカリの駆けつける先にはユスフがいた。

 そしてその先にはあの女性がマイクロドローンに五月蠅くまとわりつかれ長い両手を振るって追い払っていた。

 ユスフは彼女を助けようと思っているのだ。

 

 一通り情報収集を終えたのか一斉にマイクロドローンが霧散しあたりの空気を震わせていたノイズがふううっと、消えた。


 束の間の無音

 

 それを切り裂いたのは巨大な衝撃音と地上を覆う風圧。


 あたりの空気をすべて薙ぎ払った真空に近い空間に上空から出現したのは白黒のツートンのペイントに昇る朝日の紋章をあしらった極めてふざけて悪趣味なデザインの人型完全自立稼働征圧機動だった。

「パブリックポリス? 直轄部隊? なんで?」

 そう、あの紋章をつけるのはセントラルの直轄部隊のみ。通常では難民のような底辺の仕事には出てこない部隊のはず。

 驚いたアカリが足を止めたそのときには既にそいつは活動を開始していた。

 

 その人は形状し難い音響によってユスフの間近で粉砕された。

 ひと一人を襲うにはあまりにも速く、余りにも大きい衝撃は彼女の肉体を粉砕した。

 恐らく圧縮砲の散弾。

 この時代に最もコストのかからない物理的手法。

 すべてを目の当たりにしたユスフですら彼女の身体がどうなったのかわからなかった。

 ただそこには彼女の痕跡が残っていた。

 破砕された肉体の残滓と散らばった色とりどりのビーズ

 彼女の長く美しい首を飾っていた民族の誇りの象徴・・・。


「エイ、逃げろ!」

 いち早く我に返ったタカは腰を抜かしているユスフを回収し肩に担ぎ上げて戻ってきたがエイはまだ茫然としたままだった。

「しっかりしろ、行くぞ!」

 彼女なら大丈夫なはず、と信頼して背骨の荷重を無視して走り出した。

 期待通りにアカリが後から走り出す気配を感じて、タカはここから生き延びるため一層加速した。

 

 彼らの背後で征圧機動はマイクロドローンが収集した情報と照合結果に基づいて逃げ惑う人々の中からIDを持たない、もしくは不正があるとみなされる消去対象だけを選別してきわめて的確に粉砕作業を行っていた。


 それは、まさしく死すべき定めの人間の命を摘み取るために大鎌を振る死神そのもの。

 

 違う。

 死すべき定めを決めるのは国ではない。

 勝手に決めたIDの有無が定めなどであるはずはない。

 こんなのは間違っている。

 アカリはワンガンにはパブリックポリスは来ないと言った。

 今までここはは死神の担当する土地ではなかったはずなのに。

 なぜ?

 一体何が起こっている?


 不意に言葉にならない咆哮が背後で起こり殺戮機械のモーター音が止まった。


 駅長だった。


 騒ぎの最中にいつの間にか埠頭に降りてきた駅長は逃げ惑う人々を掻き分けて消去処理を行う悪魔の脚部に抱き着くと泣きながら言葉にならない咆哮で死神を拳でたたいて叱っていた。

 駅長に抱き着かれ、死神は単なる鉄の塊になった。

 ID照会の結果、純血国民、税金の滞納無、そして障碍者登録済みである駅長こと田沼正 三五歳を強制排除することは国民保護ポリシー上、完全自立稼働征圧機動にはできない作業であった。


 躊躇するかと思ったアカリが駅長を一瞥し直ぐに前に立って走り出したのを見てタカはホッとしながら後を追いかけた。

「地下道を使う! ついてきて。」

 ワンガンのアルファが戻ってきた。


 アカリの先導で逆さピラミッドの根元から地下に潜り、そこで待っていたラシードと合流しさらにいくつかの建物を貫通した入り組んだ通路を経由して、何とか古い地下鉄のトンネルに辿り着いてようやく一息をついてユスフを肩から下した。

 タカの肩に担がれ腹を圧迫されたまま揺すられ続けたこともあるのだろうがユスフはまだぼうっとしたまま、むしろわざと意識を閉ざしているようにも見えた。

 タカは持っていた水分補給のパウチをアカリに渡した。

「ユスフ、お父さんのこと思い出したのかもしれないけど、今はしっかりして。」

 アカリがパウチを口にあてがうとユスフは貪るように飲み干し、勢い込みすぎて噎せて咳き込んだ。

 その拍子に硬く握っていた拳がほどけ、キラキラとビーズが零れだした。

 ユスフは零れだしたビーズを追いかけ掴もうとしてこけつまろび、つかみ損ねて激しく声を上げて号泣した。


 ワンガンに来る子供達はその旅の途中で大切な人を失うことも多い。

 この子も今、目の前の惨劇でそれを思い出したのだろう。

 だが、生き延びてきたこの子達は強い子だ。

 衝撃的なストレスを感情の爆発で発散し、すぐに今やらなければ生き延びることができない課題に立ち向かう気力をすぐに取り戻した。

 もちろん、それはこの子の強さだけではなく、今ここに、自分の傍らには頼れるリーダーがいるということも大きく影響しているのだろう。

 

「これからどうするの?エイ?」

「ラシードはユスフと一緒に居住区に戻ってみんなと合流して。

 皆のデバイスの通信モードを私が遠隔で切り替えたから、外部接続できないままで何が起こっているか皆不安だろうからなるべく早く帰ってほしいけど、大丈夫?」

「・・・うん。やるよ。」

「ホバーもないから、下道を歩いていくしかない。

 途中には毒道もある。とても危ない道だということはわかっているよね。」

「大丈夫。なんとかする。いつもエイが教えてくれた通りにやればいいんだろ。」

「でも、想定外も起こる。今日みたいに・・・。」

「でも、生き延びる。自分の為にも、みんなの為にも。」

「そう、それが大切。

 あちらの通信圏に入ったら、すぐ皆に埠頭で起こったことを伝えて今使っているデバイスを放棄して予備機に切り替えて。予備機を持っていない人には何とか調達を。

 あとのことは、アチクさんやハーミットさんや、鄭さんたちを頼って。」

「エイは?エイはどうするの?」

 マルチホップ通信ではクローズ認証されたデバイス間での通信は可能だが、公衆網との接続は出来なくなっている。

 デバイス同志が通信可能な距離は目いっぱい届いてせいぜい半径一〇〇メートル。

 つまり、今、東雲にいるアカリ達と居住区にいる他の仲間たちとはコミュニケーションが不通になっているのだ。

 しかし、一度公衆ネットワークに接続すれば既にマイクロドローンが収集した顔写真とスキャンされたデバイスの固有IDとをマッチングされ個人を特定されてしまう。

 通信ログを探れば個人間のつながりもあっという間に特定されワンガン難民コミュニティの人間関係も芋ずる式に把握されてしまう。

 今使っているデバイスはもうネットに接続できない。

 だが、ネットを使わない、ということは普段利用しているクラウド翻訳サーバが使えなくなる。

 多言語社会のワンガンではそれはコミュニケーションの断絶となる。

 特にこんな非常時には死活問題になる。

 

「私達はこれからチンタエに行く。」

「なんで?あんなとこ焼け野原で何もないじゃん。一緒に帰ろうよ!エイ、ダメだよ危ないよ。橋、わたらないといけないんだよ。

 隠れるとこ、無いんだよ。

 また、ドローンが来たらどうするのさ!」

「あそこには古い通信ノード結節点ビル遺構がある。

 そこに行って、使えそうなノードを探ってみんなの通信を復活させる。でないと、安心できないでしょ?」

「・・・うん。わかった。」

「でもさ、なんでコイツと一緒なの?」

「さっきの様子みると、頼りになりそうだから。」

 言われてユスフは慌ててタカに礼を言った。

「助けてくれてありがとう。エイを頼みます。」

「どういたしまして。その願い、受け取りました。」


 その言い回しを使ったしまった後、アカリの顔に一瞬浮かんだ苦痛の後を見て取ってしまった、と臍を噛んだ。

 アカリがあの女性を守る、という縁を繋げることができなかったことを思い起こさせてしまった。


「佳きものにするように努めます。」


 あの時聞いたアカリの言葉がとてつもなく美しく聞こえたから。

 胸の奥まで沁みとおるような真摯さが込められていた。

 また、暴走した。

 アカリを守りたい、という安易な思いがかえって彼女を傷付けた。

 はい、俺は馬鹿です。

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