6話 難民支援
「約束通り東雲の埠頭に案内する。」
東雲埠頭はシナガウ業火の後でも使用可能な大型コンテナクレーンが唯一生き残った埠頭だ。
「あの逆さピラミッドの向こう側?」
「そう。でもその前にまずは朝飯前の仕事を済ませてからだ。」
「アメシマエの仕事?」
2人が着いた時には既に十数人の少年たちが忙しそうに立ち働いていた。
様々な物資の仕分けとパッキング、そしてギアの整備。
様々な髪の色、瞳の色、肌の色。
エイが来るとそれぞれの母国のイントネーションでエイを呼ぶ
エイ、エーイ、エー。
ああ、そうか。
エイという通り名はイニシャルか。
A
匿名希望のA
アカリ。
少しクラシカルな純血の女の子の名前。
本当の名前を知り、アカリ、と彼女を呼ぶことができるのは限られた人間だけ。
ノルと呼ばれた男はその限られた人間。
そして、今朝は誰もが今ここにいるタカを何者かと訝しがりながらも何も訊ねない。
訊ねられないでいる。
普段だったらそこにはノルと呼ばれた青年のいる場所だから。
なんだよこれ、何の罰ゲーム?
気まずい。
ひたすら気まずい。
「ねえ、エイ姉。ノル兄は?」
ここで、無邪気が勝利を挙げる。
こういう時はいつだって無邪気が一番。
一番幼く見える少年がとうとうエイにたずねると、まわりの聴覚神経がすべてここにスコープするのをタカは感じる。
「ノルは他の大切な仕事でしばらく来られないの。その分、ユスフが頑張ってくれる?」
「いいよ。おれ、もうカラビナだけでリニア大丈夫だもん。」
「そう。でも油断しないで。万が一ユスフが怪我したらお母さんと弟が困るでしょ?二人ともユスフが頼りなんだからね。
それと、道具の整備は使わなくてもきちんと自分で毎日やってね。
道具の整備ができない人間は一人前じゃないからね。」
「うん。わかった。」
「ユスフ、今日はデリバリではなくて一緒に埠頭にきて。あと、アーマッドも。カーゴの準備はしてあるよね?」
アーマッドと呼ばれた十代後半くらいの褐色の肌の背の高い少年が応える。
「昨日のうちに運んでシャフィークの埠頭の倉庫に置かせてもらっている。」
「ありがとう。」
「デリバリ?」
「そう。タワマン難民へのデリバリ。」
「タワマン難民?」
「まだ、上の方に結構残っている。高いところに上ったまま降りられなくなった純血。」
「?」
「シナガウ業火で立ちすくんで避難しないまま立てこもって、そのまま余計に下に降りられなくなった者たちが結構いる。」
タワーマンションの高層階に住む人間は下まで行くのが億劫で引きこもりになりがちだと昔から言われていたが、シナガウ業火の時にも避難をしなかった人間は少なくはなかったと聞く。
炎はこの辺りまでは及ばず、建物の躯体そのものには致命的な被害がなかったせいでそのまま立ちすくんで思考停止しているうちに、焼け野原から気が付いたらいつの間にか異国人街になってしまった下界にさらにでづらくなって引きこもった人々。
当時はまだ金があればオンラインで購入した必要なものはデリバリされていたので普通に生活はできていた。
が、業火後の政府主導の
彼らが利用可能なデリバリ業者は違法移民が増え治安の悪くなったワンガンを対応エリアから外し始めた。
彼らが使っているデバイスは急速に時代遅れになりOSベンダーがサポートを終了し、それに伴いネットバンキングもショップもサービス対象外としてしまった。
デバイスもOSもソフトウェアも自分で
無論固定の電話回線などというものは既に前世紀の遺物。
政府が描いた
それを理解できない人間はこの世界では又は別の意味で難民となるのだ。
金も、しかり。
最後まで旧貨幣制度でのバンキングへの対応をしていた純血銀行もビットキャッシュの勢いには逆らえなかった。
旧貨幣制度での預金はビットキャッシュへのしかるべき移行期間を経て、移行措置を取らない口座は凍結され、国庫に吸い上げられた。
かくて、タワマン難民は産まれた。
金も失い、自ら動くための足腰は既に筋力を失い時の流れに取り残された哀れなものたち。
「君もタワマン難民だったの?」
「タワマン難民は二種類いる。年寄りと馬鹿。」
アカリはタカの質問には答えず続ける。
「古いタワーに残っている年寄りは金持ちが多い。純血銀行の凍結された口座の複雑怪奇な回復申請手続きを代行してあげてお金を取り戻し、生活必需品をデリバリし、汚物パックを含むごみを回収し、死んだときの葬送を行う契約をしている。これは結構な収入になる。
おかげでこの子たちは仕事もなくここにたどり着いた親や兄弟を多少は養っていける。」
これはまた!
ワンガン難民がタワマン難民を救済するビジネスモデル。
なかなかにシュールな皮肉だ。
そしてそれはまたとてつもなく、スマートだ。
「厄介なのは馬鹿のほう。」
「うん、あいつら最低なんだもん。汚いし。」
少年たちもよほど腹に据えかねているのが口々に自分の国の言葉で罵る。
「同じタワーにいるお年寄りが死んだら、そのタワーにいかなけりゃいいんだよ。そうなったらあいつら生きてけないんだからさ。」
「駄目だよ。今のところ彼らは生きてもらっているだけでそれだけで価値がある。
お前たちが安全に生きていくためには彼らが必要。
それは、わきまえて。」
子供たちがしきりに罵っている相手は、タワマン二世難民のことを言うようだ。タワマンで生まれた本格的な引きこもり。
彼らの多くはまだ三〇~五十代で、若年の頃に業火を経験して以来、もしくはその前からの引きこもりで、働くことはおろかまだ集団生活が効果的と考えられていた当時の学校とかいうものにもほとんど行ったことがなく社会性がないためか、デリバリの子供たちに暴言やあまつさえ乱暴を働くこともある。
親と一緒に引きこもっている分にはまだいいが、単身で残っているものの住まいはひどく荒れている。
タワーマンションの多くは必要な改修がされないまま放置されているので電気の供給は既に途絶えて久しく上下水道も怪しい。中には汚水の配管が詰まったままにもかかわらずそのまま使い続けどうにもならなくなっている最悪な部屋もある。
タワマン二世難民の中には子供達に払う金を惜しんでバイオ処理できる汚物パックを使わずに配管が詰まったままの便所を使い続けるか、ひどい場合は汚物の入ったボトルがずらりと部屋に放置され悪臭を放っているところもあるらしい。
それはワンガンの違法移民の子供達以下の生活環境だ。
それでも、彼らは出ていかない。
出ていく場所がないと思い込んでいるから。
親からも係累からも見捨てられ、友人などはハナからおらず行政の保護を受ける方法を検討することをなぜか拒絶する。
何のよすがもない外に出ていくことができない。
「エイ、話がある。」
子ども達の準備を確認して回っていたエイに隻腕の壮年の男が近づいてきた。
「原料仕入れにトラブルがある、という話はルクサナから聞いているだろう。」
「嫌がらせをされている、と言っていたが。」
「ああ、だが、それよりもきな臭い。何かが起こりつつあるような気がする。」
「そうか。アチクさんが言うのならそれは確かだ。
・・・仕方ない。Bサイトへの移行を・・・。」
「すでに始めている。今は戦闘対応可能な人間だけ残して製造ラインを動かしている。Bサイトの立ち上げはアマルに任せている。」
「ありがとう。アチクさん。あなたがいると本当に助かる。」
「・・・ああ、それはいい、俺で何とかなる。だけどな、ルクサナがな、ひどく落ち込んでいてな。」
「なぜ?」
「…お前から任されて、せっかくここまで大きくしたコイヤミ工場をこんなことにして、って、な。
女の子たちが自分で稼げるようになってまともな生活ができるようになったのに、それを台無しにしてしまうってな。」
「ルクサナが悪いわけではない。相手が悪い。
たとえコイヤミがダメになったとしても、商売はまた始めればいい。
いくらでも商いのネタは作れる。それより皆の安全だ。
・・・それに、脅かされるのは、きっと私のせいだ。ルクサナのせいではない。
近頃は私を敵と思う人間がいる。私だけが一人勝ちで儲けている、ってね。そのせいだ。」
「皆、そうは思っていない。」
「そうではないと、ルクサナに伝えてほしい。」
「それは直接いうべきだ。」
「そう思う。だが、私が動けば緊急避難用に確保していたBサイトまで嗅ぎつけられる。それは避けたい。
…だから、アチクさん、皆を頼みます。」
まるで一瞬こぼれた弱気を見せないように空を仰いでエイは老境に差し掛からんとする男にたずねる。
「なぜなんだろうね。アチクさん。
なぜ、一番弱いものがなんとか自立の道をみつけたのが、それが、そんなにも目障りなの?」
「・・・そういうものだ。
弱いものは弱いままでいてもらわないと気が済まない奴らはどこにでもいる。
自分の価値をそういうことで計る奴らだ。
そういう奴らが幅を利かすのが世の常だ。
それをなんとかしたい、と俺は若いころ銃を手に取った。
戦うことで、変えるんだという掛け声に骨身を削って戦った。
でも、戦えば戦うほど相手は強硬に仕返しをしてくる。
抵抗し続けていくうちに仲間たちはただ憎しみからの破壊だけを続けるように変わっていった。
気付いたら故郷も腕も失った。帰れる場所などなくなっていた。
・・・それは本当に虚しい。」
「でも、今アチクさんはここにいてくれている。」
「・・・そうか。」
「そうだ。」
「・・・わかった。
ルクサナとみんなは任せろ。
今日はこれから埠頭なのだろう。お前も一層に気を付けろ。
お前に全にして一の神の加護があるように。」
「神は一つ、全ての民のため。」
「お前の神も俺の神も一つの存在。」
祝福を残して去っていく男の背中にエイが低く呟くのをタカは聞いた。
「・・・私には神はいないけど。」
神なきワンガン(世界)の現身の女神は目の前の現実に戻るときびきびと指示をだした。
「今日は必ず3人で行動。仕事は必要な分だけをなるべく早めに切り上げて街には出ずにシェルターに行け。家族も必ず一緒だ。
お年寄りのところにはいつもより多めに置いてきて次にはいつになるかわからないから節約して使うように伝えること。
『エルフのマント』を着ていないものは一度取りに帰って、必ず着用。」
エイの指示に子供達の表情に緊張が走るのをタカは見てとった。
「アーマッド、皆の帰還チェックとフォローを頼む。
ラシード、あなたもユスフと一緒に私達と埠頭に来て。
すぐに出発する。」
子ども達は蜘蛛の子を散らすように素早くタワーの谷間に消えていった。
足早に階段を駆け上がるエイと子供達を追いかけて登った高架線のプラットフォームには打ち捨てられた電車があった。
「よう、エイ。埠頭までか?」
「仁さん。おはよう。」
仁さんと呼びかけられた年寄りはその廃電車を住まいとしているようだった。
「あれ、そちらさんは見かけない顔だな?」
「こちらはタカ。ミッドランドから来た。
タカ、こちらはカモメの仁さん。ハイロードの管理人。」
「ハイロード?」
「昔はこのタイヤの電車が走っていたんだがな。
今は単なる道路だ。だが埠頭への道は誰もが通れるわけではない。通れる奴と出られる奴は俺と駅長が決める。」
「仁さんは駅長じゃないの?」
「俺は管理人だ。駅長は息子。終点にいる。」
なにが違うんだろう。
「埠頭まで行くのに下は汚いし安全じゃない。だからハイロードを行くんだ。」
「終点についても駅長が認めなければハイロードから出してくれないよ。駄目だったらお前は戻ってくることになるから。」
「はい、これ使って。」
いっぱしの口をききながらユスフが持ってきたのはホバーボードだった。
こんなところで?と怪訝な顔をするとエイが悪戯っぽく告げる。
「反磁性加工してあるのは真ん中だけだ。道を外すとひっくり返る。」
なるほど。
ここもエイ・テクノロジーサービス施工による「利用にあたっては多少のコツ」がいるインフラが運営されているようだ。
ミニマムリニアやホバーボードの自作や、コイヤミビジネスの立ち上げなどを見るとアカリは多分に高度な教育を受けているようだ。
AIの発達した世の中では基本的な読み書きそろばんのような教育は不要だ。
セントラルでの「教育」は純血の高所得者層の特権で、思考力、創造力を発達させるための高度なメソッドに基づいて専門の家庭教師が個人毎に仕立てるものとなっている。アカリが今使いこなしている知識と技術を習得するには相当高度で専門ごとの家庭教師が複数ついていたはずだ。
難民社会のワンガンでは当然のことながら経験を引き継ぐ古典的な徒弟制度のようなもののほかには、教育基盤などあるはずもなくアカリのように高度な技術知識に基づいて新たなものを自ら作り出す能力を持っているものは珍しい。
アカリはどこからかワンガンに流れてきた人間なのだろうか。
なぜ、こんなところに?
いったいいつから?
タカの考え事をよそに子供達はあっというまにホバーでハイロードを遠ざかっていく。
二人の少年から一定の距離が取れるのを見計らってアカリがタカに先に出発するように促す。
「山猿、ホバーは苦手か?」
「そんなことはない。お茶の子さいさいだ。」
「・・・お前さ、年寄りに育てられたな?お茶の子さいさい、ってなんだ、それ?
随分と古い言い回しをよく使う。」
図星だ。
タカのプライムメンターはちよみ婆ちゃんだった。
婆ちゃんといっても血のつながりはない。
道州制導入当時、セントラル以外の州は全て人口減少とそれに起因する経済衰退に苦しんでいた。消費も生産もすべてが落ち込み底を打つ兆しは見えず、新たなイノベーションなど望むべくもない状態だった。
産み育てることすべてが女性の責任であるという風潮が変わらない中での業火という無尽蔵の災害、そしていつまでたっても覚束ない復興。
・・・女性達が新たな命を世の中に送り出すことを躊躇するのは当然だろう。
そんな中で中部州は出産と育児・教育の機能を分割し、無償で環境を提供することで女性を呼び寄せた。
限られた人材を大切に育成する。そのためには行政ができることは全てする。当然レガシータイプの育児も選択は可能。家族の在り方は人の価値観次第であると。
かつてアカ共が失敗したコミューンもどきに誰が構うか、と冷笑するものも多かったが当事者である女性達は違った。
高度な教育を受けた有能な女性ほど、「頚木を取り払うもの」を求め中部州に転入するものが多くなり、男性もそれに追従した。女性が解放されることで男性も「男らしさ」の頚木から解放されるのだから。
タカの両親は機能分担型を選択したので小規模集団で育児と教育を行うコーポラティブハウスで育った。個性的なメンターが多かった山奥のハウスでタカが一番なついていたのは赤城さんというクラッシックアニメのオタクだった。
赤城さんは単なるアニメオタクではなく昔のアニメや漫画に出てくる道具をアニメを見ただけで実際にどうしたら実現できるかを想定して作らせ試させる遊びをよくやらされた。
適当に考え無しで作ってしまうと当然失敗する。
タカが一度腰に推進装置をつけてワイヤでアンカーした場所まで飛行する装置を自作した時には推進装置の射出力とアンカーの捕縛力のバランスが悪くかなり高い木から落下して大けがをしたことがある。
赤城さん曰はく、人間の脆い肉体の限界と技術、そしてシステムの融合にはそういう試行錯誤こそが大きな発展の礎なのだから、励め、だそうだ。
とんでもない理屈の実証実験だ。
なんだかよく理解はできないが、技術がどんなに発展したとしても肝心かなめのところは実のところ個体別のチューニングであって、その個体自体が自らの力で適応できなければ意味のないことなのだろう、とタカは大雑把に理解する。
とすれば、タワマン難民のような人間はそもそもこれから先の時代に適応することできず生き延びることのできない、滅ぶことが宿命となっている種なのだろう。
パンダ、とか、オオカミとか、外部環境の変化に適応できずに滅んでいったレッドデータ生物と一緒だ。
常に世は変転する。
タカは優れたメンター達のおかげでローテクリソースだけの環境であってもどうやったっていきていける自信はある。
それはつまりどんなに変転する環境であっても適応可能な能力を教育によって与えられたということだ。
教育、それ次第で人間は何とかなる。
翻っていうのなら、教育が与えられなければ、それまで、という事だ。
ゆえに自分がこの楽しい楽しいワンガン探索に抜擢されたのだともタカは感じている。
ちよみ婆ちゃん、ベリーサンクス。
軽々と遠ざかっていく少年たちを見守るようについていくアカリの更にしんがりをタカは走り出した。
世界の変転速度は加速する。
その激しい加速に振り落とされないで生きている子供たちがここにいる。
教え導いてくれる大人が居なくても自ら適応する能力を持った子供達だ。
それは中々にワンダフルな世界だ。
まことに正しい適者生存の世界だ。
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