3話 ボーイミーツガール
ふいに背後から掛けられた声に驚いたせいでいい加減に積み上げられた脆い足場が崩れてバランスを失ったタカの躰を支えてくれたのは、意外にも小柄な女性だった。
「ありがとう。助かった。でもさ、びっくりさせないでよ。」
「すまない。 驚かせるつもりはなかった。」
「ああ、いや、こちらこそ。」
下から覗きこむその眼光は鋭くて深くて、探らせまいとタカは思わず心を硬くした。
「ここで何をしている?」
「あ、いや、ちょっと歩き疲れたんで遠くを見て心を落ち着けようと・・・。」
「疲れた時は遠くを見るといいことがあるのか?」
「・・ああ、いや、まあ、ホッとする風景を見たいというか・・。」
「ここに、ホッとする風景があると思ったのか?お上りさん。」
共感と同情の入り混じった真顔に少しホッとしてつくづくと顔を見た。
なんだかすごい、けぶるような瞳、っていうのか。これは。
こちらからは見透かせないけど、あちらからは全部見えている、そんな感じのけむりガラス。
平板なようで奥が深くて・・。
「・・・ああ、そうね、そう、田舎もん。ワンガンには初めて来たし。」
そう言った瞬間タカの腹がぐうう、っと鳴った。
「お腹がすいている?」
「そう。どこでも無視されて、売ってくれなくてさ。」
気まずさを半笑いでごまかすように言うと、女の能面が弾けた。
文字通りの破顔。
「それ。そのいでたちではみな警戒する。一体どこからきた?西ではない?」
「え、なんかおかしいの?この格好?」
「ああ。かわっている。この辺りじゃ明らかに見かけない。異物だ。きれいすぎる。ここいらに迷い込んでくる冒険心だけの観光客とも違う匂いがする。」
ワンガンの人間はみな機能繊維インナースーツを着ている。
いわゆる「難民服」という代物だ。
外気を取り込んでの体温調整と清浄保持機能をもったインナースーツは繊維革命によって製造コストが下がってからは国際支援機構が難民キャンプで真っ先に配布する支援物資だ。
生命維持と難民の流動管理の観点から難民服には極小(ナノ)チップが練りこまれており配備とともにID登録が自動的にされそれ以降はどこにいてもその出自と位置情報は管理される仕組みだ。
だが当然ここにいる者たちが着用しているものは既に初期化済みだ。
ヒトを管理する技術とその抜け道はいつでもイタチごっご。
そして、ここでは皆その上にそれぞれ思い思いの布切れを思い思いのやり方で纏っている。
それこそが彼らの出自の証。
服装アイデンティティ表示でどこから来た何者かを表すことによってコミュニケーションを円滑にしている。
だからここではタカの無色透明な何のタグ付けもできない出で立ちは警戒の対象となる。
純血がここで何をしているだ、と。
「えええ、そんなに?おかしい?」
「おかしいかどうかは知らない。でもこのあたりにはいない。おまえのようなのは。」
中部州産天然繊維のシャツにパンツにジャケット、とごく普通の恰好のはずなのに、と思ったがここでは逆にありえない格好だったか、と柄にあわない気恥ずかしさを覚えた。
こんなきれいな女性の前ではそれも仕方なし。
ほんと、落ち着いてよく見ると綺麗な人だ。卵型の小さな顔に切れ長で鋭利な目。
小柄ながらも均整のとれた体はしなやかな身のこなし。
そして、髪はカラスの濡れ羽色。濡れ落ちて風にとろりと泳いでいる。
彼女こそここらにはめずらしい、純血のような容姿だ。
「お腹を空かせている?」
「そう。昼抜きだった。」
「じゃあ、ついてきて。美味しいもん食べさせてあげる。」
間違いなくついてくると確信しているからなのか全くタカを振り返ることなく足早に進んでいく彼女に慌てて追いつくと、ポケットからコイヤミを差し出した。
「これ、お近づきのしるしに。」
「あん、それ? いらない。毎日嫌というほど食べている。」
「え、そんなに好きなの?」
「いや。作っているから味見する。」
「えええ、そうなんだ。今これ人気でしょ。ワンガン来たらこれを必ず買え!っていろんな観光案内に出ている。しかもここでしか買えない。商売うまいよね。」
「うん、お陰で食べていける。」
「これさ、病みつきになるよね。なんかヤバいもんでも入っているのか、って思うくらいやめられないとまらない!
カリッ、サクッ、ジュワ、とろりって。
罪作りな食感だよね。
コイヤミ、ってさ、恋に病む乙女の味って意味なのかな? ドーンパープルと、ミッドナイトブルーと、サンセットオレンジってフレーバー名もいい。」
「ワンガンの濃い闇から生まれたから、コイヤミ。
・・・昔はお前が言う通り、ヤバいものも入っていた。」
「え?」
「今じゃリトルワンガンって観光客向けの街だけど、ちょっと前まではあの辺は売春宿だらけだった。
親にほったらかしにされている子供たち拾ってきては、純血の金持ちの変態にやらせていた。」
「え。」
「泣き叫ぶ子供なだめるために甘いお菓子に薬混ぜて食べさせて、朦朧とさせて怖さを忘れさせていた。
もとはそういうやつ。」
「・・・まさに闇。」
「そう、濃い闇。」
「・・・今は、入っていないよね。」
「合法のをほんの少し。クリーンな奴には軽く効く。ちょっとした中毒性も。だから売れている。まあ、たばこと同じ。あれが合法ならこれもそう。
最近は似たものを作る者もいるが、このレシピは簡単にはまねできない。」
「ええ?」
「女の子たちにできる仕事があって、自分で稼げるようになって、足抜け出来た。お陰で儲かっているからみんな暮せている。
だから沢山お土産に買っていってもっと宣伝して。」
「・・・お、おお。」
一度大通りから裏に入るとワンガンの町並みは墓標のようにそびえる高層マンションのなれの果てと中層階の生き残りゾンビビルの隙間をプレハブユニットが所狭しと積みあがりまるで迷路のようだ。
橋を渡り幾筋もの路地裏を通り抜けるたびにそこここに佇む子供達が彼女に声をかけ挨拶を交わす。
どうやらこの辺りで彼女を知らない人間はいないようだ。
侵入初日から顔の広い人間と出会うとは、これはまた自分のラッキー伝説に新たなページを加えたなあとタカはひそかににやけてしまった。
路地の路地、奥まったところにある小さな店が目的地だった。
何も言わずとも席に着くとすぐに中年の女性が飲み物を運んできた。まだ日が落ちるにはすこし早い時間で店には自分たちだけだった。
「エイ、珍しい、知らない人と一緒。」
「まあね。いつものと、それからペーパーラップチキン。」
「了解。そうだ、今日は青菜が手に入ったけど。」
「ああ、じゃあラーフ達が仕入れから帰ってきたのか?」
「うん。でもやっぱりここのところの悪天候でこちらに回してくれる農家がいないって、嘆いていた。」
「まあ、彼らも金を積んでくれる方に売るもんね。しかたない。ヒュンカの青菜炒め、楽しみだ。」
「おまかせ。」
底に沈んだ白い部分を混ぜると薄緑に変化し香草の香りのする炭酸の飲み物を恐る恐る口にするタカを見守りながらエイと呼ばれた女性は問いかける
「シノノメにいきたいのか?」
「ぷは、うまいね。これ。」
「ラキ、という。薬酒の炭酸割だ。二日酔いになりにくい。」
まだ日のあるうちからアルコールを口にしてしまった仄かな罪悪感をタカはジョークで散らそうとした。
「おばあちゃんちのクローゼットみたいな匂いだけど、癖になるね。」
「それは誉め言葉ではないように聞こえる。
・・・東雲に行くつもりだったのか?」
「うーん、何があるのかなと興味はあるな。」
重ねての質問をごまかそうとしたがそうはいかないようだった。
この人は手強い。
「なぜ行きたい?」
「俺、駆け出しのノンフィクションライターなんだ。
中々ワンガンの事を書く人間はいないから。これで、一本あてて有名になりたい。ワンガンにはそういう魅力があると思う。
特に、業火の真相。
結局犯人は捕まらないままだったけどさ、本当に反炭素派テロリストの単独犯行だったのか、原発を復活させたい政府が裏にいたという噂は本当なのか・・。」
「真相、ねえ。そんなもん探り当てて今さらどうする気だ?」
「・・・多分何にもならない。でも、それでもそれを必要とする人もいると思っている。」
「ふうん。そういうものか。そういうのもあるのか。
だが、一人で行くのは・・・」
不意にけたたましくサイレンが鳴り響いた。
反射的に警戒モードに入ったタカは敏捷に店を飛び出して周囲をうかがうと頭上で大型攻撃ドローンがスキャンを行っている。騒音の中から必要な情報を拾うため耳を絞るとそう遠くないところで数人の争うような音がする。
さらに情報を入手しようと〝探索〟をドローンに向けようとすると背後から声を掛けられた。
「心配はない。あれはいつもの茶番だ。」
「茶番?」
「明日は船が付く。その前に手入れの実績を作って報告しておくことでやることはやっています、ということにしておくだけ。」
「どういうこと?」
「ここいらの治安維持部隊は、業務委託契約の外資の更に下請け、孫請けだ。本当はダメだろうけど、そんなのは何とかなる。
「じゃあ、これは?」
「だから茶番。」
つい焦っていち早く店を飛び出した自分が気まずかった。
「はずかしいな、おのぼりさんで。」
「気にするな。危機管理ができているのはいいことだ。
それにしても身軽だな。・・・それに、速いな、お前。」
まるで慰めるような優しい気遣いを感じながらも、どこか探るような眼差しにちょっと失敗したか、と不安になった。
「料理ができている。食べよう。熱くておいしいうちに。生の青菜はこの辺りでは滅多に手に入らない。いつもは冷凍かドライか、それもなければ錠剤だ。」
エイの言う通り料理人ヒュンカの腕前は中々のもので青菜炒めは薫り高くシャキシャキの歯ごたえで、ペーパーラップチキンは熱々で肉汁ジューシー、それに炒め飯は飽きずにいくらでも食べられるってくらい旨味たっぷりだった。
一つだけタカが受け付けなかったのは得体のしれない極彩色のキノコの味噌和え。エイはそれが一番のお気に入りのようだったがタカにはどうにもならなかった。
「シノノメには一人ではいかない方がいい。余所者を嫌う場所だ。ワンガンの人間でもあちらには限られた人間しか行かない。」
「なにがあるの?」
「・・・お前は何があると思ってここに来た?」
「そうだなあ、何かいいものがないかな、ってところ?」
「いいもの?か。それはひとによる。」
「俺にとってはどう思う?」
「・・・おまえ、めんどくさいな。」
正直、ぐさり、ときた。
地元でもそういうことを言われたことがある。
気が付いたらいつの間にか無防備な状態の人のエリアに踏み込んでいる。
悪意があるわけではないとわかるから文句も言えずに受け入れているとさらに深くまでいつのまにか踏み分けてくる。
そういうの、大丈夫な人と、そうでない人がいるから、だからそうでない人を見分けて、そうでない人には、もう、近づかないで、って。
でも・・・。
「質問に質問で返すのは礼儀がなっていない、と親におそわらなかったのか?」
束の間の逡巡をついて彼女が言う。
「・・・それが、お前がここに来た目的であるのなら、連れて行ってもいい。
ただし、その代わりにこちらの要求を満たせ。」
「君の要求?」
一体何を要求されるのか。
「お前の体。
今晩どうしてもセックスがしたい。
その相手を求めている。
もし、要求を呑むのであれば、夜を過ごす場所も提供する。」
・・・望むところだ。
というか、是非お願いします。
頑張りますから。
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