2話 ワンガン

 ワンガンはセントラル駅からは10kmほどの距離でタカの感覚では歩いても目と鼻の先だ。


 セントラル駅の北側には森に囲まれたオカミの住まいがあるが今や無人である。

それでも何を守るためなのか強固な自動警備に守られておりさすがの移民たちもここまでは侵入してこない。

 RODRide on Demandの往来の中に紛れて守る主のない城をオートマタが律儀にエンペラーならぬエンプティを警護して巡回しているお堀端を横目に見ながらぶらぶらと歩くタカの目は貪欲に周りの風景を写し取り記憶していく。

 二月というのにアスファルトに覆われた都市は春のごときうららかさで、外周の木立の中には既にちらほらとほの白い小さな花がほころんでいるのが見えるのに、中部州の山間部から出てきたタカは驚く。

 あちらの山深い中を抜けてくるときはまだ雪景色だった。


 駅から南下し海に向かい運河に渡された橋を渡るたびに街の佇まいは少しずつ異国に変わっていく。

 既に純血企業は表向きにはこの辺りにオフィスを構えることはなくなって久しく、この国のかつてのビジネスの中心地にあるビルの看板は8割型が漢字系外資企業のものだ。


 繁華街も同様。

 この国で一番土地の価格の高かった中央通りセンター街はシナガウ業火が運んだ熱風で被害をこうむり、もとから「伝統」ある老朽化した建物が多かった街は人が集う場所ではなくなり寂れた時期を経て今は比較的安全な観光歓楽街「リトルワンガン」に姿を変えている。

 リトルワンガンはこの国の中にある異国でそれなりに魅力的な街なのだが、その分治安が悪い。治安維持企業による違法入国者摘発は日常茶飯事だ。

IDをもたない違法移民はワンガンから出てきたとたんに保安ドローンによって摘発、問答無用でその場で処分される。

 リトルワンガンはどうにか違法でない立場を手に入れてワンガンから這いあがってきた人々とそれを手助けしてビジネスとした準国民が造った街で一度はさびれた繁華街が再び移民たちの商売で賑わっているのだった。


 タカは道すがら見つけた故買商でいけてない鬱陶しい腕輪を売り払い、ちょっとしたお小遣いを手にいれ、それから「ワンガン銘菓コイヤミ」を一袋手に入れてポリポリと齧りながらぶらりと歩き続けアーチが美しい古い橋を渡りだす。


 橋を渡ったその先は露店の看板も漢字だけでなくキリル文字、アラビア文字やそのほか見慣れない言語のものも多くなり街を行きかう人々の肌の色もバラエティに富む。


 ここからがリアルワンガン。

 こちらから行くのはいいが、あちらからは出てくることの難しい街。


 様々な香辛料の匂いの漂う地上は活気にあふれているように見えるが、林立するタワーマンションの上層階は業火の被害が修復されないままに放置されている。

今日のように穏やかな日はいいが、海からの風が強くなる季節や、年々増える異常気象によって起きるモンスターのような台風の時には放置されたまま脆くなった外壁が地上に降ってきて運が悪ければ命を失う者もいる。


 厄災はいまだ続く。


 大通り沿いに並ぶのは業火から生き残った古い建物のほかには軽量スチールフレームと強化プラスチックで作られた難民キャンプ仕様のプレハブユニットばかり。

それは「天災」にいつ見舞われるかわからないこの街の宿命なのかもしれない。

 いくつものボックスユニットが幾何学的に積みあがり街並みを形作る。

オフホワイトのユニットは赤、黄、緑と原色の布に彩られ複数の言語で書かれた看板を掲げている。

 プレハブユニットにはもれなくソーラーパネルが付いておりユニットで利用する電気はほぼこれで賄うことができる。

 揚げ菓子、燻製、大きな鍋で煮込まれている正体のわからない何かの肉、湯気を立てる麺類・・・。

 いろいろな食べ物があるが、緑色の野菜は少ない。

 ワンガンの食べ物は、フレーバー、味、そして食材が融合してどこの国由来のモノだったらわからなくなるくらいに煮溶けている。

 行きかう人々もまた肌の色、服装、言葉、全てがごった煮だ。

 そして音楽も。

 ワンガンのマーケットではいたるところで子供たちが演奏に興じている。

それぞれ祖国のオリジンの楽器をそこいらのガラクタで似せて作ったものを持ちよって奏で、思い思いに謡い、踊りながら小遣い稼ぎをしている。

その調べは既にどこの国の音楽でもなく、オリジンを超え融合したワンガンの調べだ。

 「郷愁」を共通コードとするワンガンの歌。

 よその異国人街であれば国ごとのコミュニティに固まり、その間での小競り合いがあるがワンガンの子供たちにはそれはない。

 おそらく何の基盤もインフラも無いところから始まったから、そして最も困窮を極める人達が辿り着いて始めた場所だからなのだろう。

 恐怖に追われ逃げ出し、弾かれながら押し出されながらたどり着いた場所で、そこにあるモノで、そこで手に入るモノで、そこに居合わせた人達がその場を生き抜くために作り出した暮らし、それがワンガンだった。


 ワンガンの土は汚染されている。

シナガウ業火で焼失した様々な物質の有毒な残滓デブリがいまだ化学反応を起こし続けている個所も尚あるという。

 テロ以降この国すべてを守ることを早々に断念し自分たちだけ安全な壁の中に籠ったこの国の指導者層は大国への忖度も含めいろんな皮算用をした結果、ワンガンに流れ込む難民を今のところは見て見ぬふりをすることにしている。

 彼らがワンガンから出ない限りは。


 いまやワンガンは難民たちにとって世界中に蔓延る理不尽な差別や人権弾圧もなく、貧しくともなんとか頑張れば衣食住には困らない生活に手が届く場所である。

 であればこのずっと先にかかるかもしれない癌だのなんだのは何物でもない。

 病気などは自然災害と同じでいつか起きるかもしれないし、起こらないかもしれない。それが起きた時は確実に死ぬかもしれない。

けれども人間はいつか確実に死ぬのだから同じこと。

 ここは何より「今」平穏な暮らしがある土地なのだ。

 今だけがここにある。それがワンガンの暮らしだった。


 タカは露店の食べ物を物色しうまそうなものを見つけるたびに声をかけるのだが、悉く無視をされてしまう。

多言語地域なのでお互い音声入出力デバイスピアスはつけているのだから言っていることが通じていないわけではない。

 ただ単に無視されている。

 ワンガン住民にとってタカは得体のしれない余所者扱いなのだ。

技術の発展と製造工程の自動化にともなって骨伝導による音声入力のMMIマンマシンインターフェースは安価で誰でも手に入る一般品コモディティだ。

とはいえ昔からのSFアニメに描かれているような「脳を直接ハッキングしている!」などという世界は実現していない。

沢山の試行錯誤とそれに伴う深刻な悲劇と犠牲が繰り返されてはいるが脳と深海とマントルは未だ人類のフロンティアとして開拓の余地を残されている。

いま実現できているのはせいぜい音声入力によるクラウド翻訳や端末制御くらいなものだ。

ピアスは高機能のものであればそれ自体が通信機能も備えているが、ワンガン庶民が利用できる安価なものは別ユニットになっているものがほとんどだ。


気が付けば子供たちの音楽もいつしか止んでいて屋台が次々と店をたたみ始めている。

ああ、そうか、子供たちは歩哨か。

・・・視られていたか。

子どもたちの音楽が止まったらそれが潮時だと皆思うようにしているのだ。これはちょっと失敗したかもしれない。そんなに自分の存在がここで違和感を与えたとは思えないが・・・。

そんなつもりはないのに「お前に食わせる食べ物はない。」とばかりに拒絶されているような雰囲気にかすかにへこみながら仕方なくすきっ腹を抱えて何かに弾かれてきたように町はずれの運河に行きつくと、そこには何ともやる気のないバリケードが築かれていた。

 本気で立ち入りを禁止しているわけではない、ということがありありとわかるがその向こう側への視界を遮るには十分な高さがある。

 タカはその向こうが見たくて廃材や鉄筋が溶けたコンクリートブロックが雑然と積みあがったバリケードを登りはじめた。

 

「彼方は東雲」

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