第136話 あなたは神様ではありません!!

 神様の町から帰って、一週間後。

 平成二十六年八月二十九日、家庭裁判所へ行った。


 四十代の女性裁判官に代わっていたが、引き渡しに対する強硬な姿勢は変わらなかった。

 前回八月十九日が、母と娘の初回面会だった。

 その日、妻の隠された危険な性状に注意を払ってほしいと、面会室の隣の控室でマジックミラー越しに面会の様子を観察しながら、裁判官にお願いした。その時の、さも物わかりが良さそうな態度は、引き渡しを軟化させるためだけの演技、あるいは、二年近く続いた争いが終わり、ようやく引き渡しが実現することへの安堵からだったのかもしれない。


 引き渡しまで、時間がないこと。九月には審判をして終わらせたいという子の福祉を無視した、裁判所の勝手な都合だけを、いけしゃあしゃあと裁判官は述べ立てた。

 私は、強制執行で娘を連れ去るなら、徹底的に娘を守る意思を伝えた。

 何年、逃げられるだろう。小学校に上がるまで逃げ続けるには、国外逃亡も必要かもしれない。

 インドネシアのルッキーさんの顔が思い浮かんだ。


 なかなか、交渉の余地がない。

 少しでも、母親に慣れさせてほしい。宿泊面会で様子を見てほしい。そう、切に訴えた。

 急に向こうへ行って、娘の心に傷を残したくなかった。

 家庭裁判所は、子の福祉には絶対に配慮してくれない。娘の心を守れるのは、もはや親のみだ。


 その中で、私はふと気になったことを質問した。

「引き渡しについて、娘に何て説明するつもりですか?」


 ここで、新たに赴任した五十代の女性調査官が答えた。

「『神様が決めました』と伝えます」


 私の怒りがいきなり頂点に達した。

 ここに、神様はいない。神様には先週、さよならを言ってきた。

 人間のくせに、なぜ神様の名を騙るのか!

 裁判官は、自らが神だと言うのか!


 大声が出た。裁判官に向かって吠えた。

「あなたは、神様ではありません!!

 あなたは、ただの人間です!

 勝手に、神様のせいにしないでください!

 あなたが、決めたんです。

 自分が決めたことに、責任を持ってください!!」


 怒鳴られて初めて、調査官の発言の意味を、裁判官自らが理解したようだ。驚いた顔をした直後、顔を伏せた。

「すみません。もう二度と言いません…」

 うつむき、消え入るような声で謝罪した。


 わずかながらだが、ここで家庭裁判所が譲歩した。

 数回だが、妻と娘の面会を入れ、裁判所がその様子を確認することを了承させた。

 面会が休日となるため、平日定時退社の調査官の立ち合いは無理だと言い、代わりに双方弁護士が面会に立ち会うことが決まった。

 私の隣には、自称「交渉のプロ」である弁護士が、裁判所での自らの立場を守り抜くため、無言のまま鎮座していた。


 メイちゃん、ごめんな。

 お父さんができたのは、これぐらいだ。

 申し訳ない。


 娘が生まれて、いや妻のおなかにいるあいだから妻を支え、生まれたあとは、会社員をしながら、夜中に起きて、ミルクをやり、オムツを替え、お風呂に入れ、一生懸命、守り育ててきた。

 できることなら、一生を懸けて、家庭を守り抜きたかった。


 父として戦える限界まで、戦い抜いた。

 お父さんが、最後にできたのは、こんなことだけだった。

 国家権力に対する抵抗は、これが最後だ。


 娘には、神の名を騙る愚かな人間になってほしくない。

 自分の能力の限界や職責を、神に転嫁する弱虫には絶対になってほしくない。


 メイちゃんが、大人になるまでには、家庭裁判所が今よりマシな組織になっていることを願い、メイちゃんとお父さんに起きた出来事を世の中に伝え続けていこうと思う。

 きっと、まだまだ苦しい思いをする人が出てくるだろう。

 その人たちはきっと、お父さんのように、いやそれ以上に、我が子のために、家庭裁判所と戦い続けてくれるはずだ。

 諦めたら、犠牲になるのは我が子だと、痛いほど分かっているから、みんな絶対に諦めない。

 だから、きっとメイちゃんが大きくなる頃には、きっと世の中は、もうちょっとだけ良くなっているはず。

 そう、お父さんは信じている。

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