第133話 パン!パン!パン!パン!
平成二十六年八月の手帳の記述から、記憶をたどる。
八月二日は会長の弟さんが夏祭りに来た日。「大きなったなぁ!」の日。
翌日には、夕方の弁護士事務所で打ち合わせのために二人で帰る。
弁護士事務所では、私と父と娘と三人で並んだ。娘は机の下に潜り込み、あちこち動き回る。不穏な空気を察して、落ち着かなかったのかもしれない。
そんな娘が弁護士に放った一言。
「負け負けセンセイ」
この子は、本当に頭が良いと思う。そして、私なんて比べものにならないくらい、気が強い。
この日は強制執行や妻の襲来を避けて、二人でビジネスホテルに泊まった。地元の駅裏のホテルは廊下が汚かったことをよく憶えている。
「すてき!」
こんなビジネスホテルの朝食を一目見て、娘が発した言葉だ。あれこれ好きなものを並べられるだけ並べられてことが嬉しかったのだろう。
そんな娘の感動を台無しにしたことが、胸の奥深くに残ったままだ。朝食で娘を怒ってしまったことを、今も後悔している。
ビュッフェスタイルで、トレイの中に娘の好きなものを並べたが、何度も立ち上がって見て回り、オレンジジュースをこぼしてしまったのだ。
弁護士の頼りなさに、私自身がいら立っていたのだろうか。いや、負け負け先生のせいにしてはいけない。
娘を怒ったのは、私の問題だ。
今も、このホテルの向かいのビルに行くことがある。ガラス張りのエレベーターから、ホテルを眺めながら反省する。
「ごめんね」
いつか娘に謝りたい。
四日には、父の車で戻る。
「机をバン!」と叩いて怒ったのは、六日。この日は、弟さんも来ていた。近くまで、子育て講座の勉強に来ていたが、気になって宿泊所に寄ったそうだ。虫の知らせだろうか。いや、神さんのお告げなのか。
この日、布教所の娘さんが弟さんに尋ねた。
「私、間違っていたんですかね」
そんなことは、自分で判断すればいいと思う。どんなに踊りや楽器の練習を積み重ねても、他の人に受け入れられなければ、信者が減るだけだ。
八月八日、調査官調査があった。
前日に、娘と電車で一時帰宅した。のんびりしたローカル線で、娘は電車の中を歩き回り、前の席のカップルの女性と仲良く話をしていた。
調査官調査は、監護権の裁判の男性二人組はすでに異動になっていた。調査報告書に嘘を書いた五十代と「カウンセリングなんて効果ないですよ」の三十代。今度は女性二人。やはり一人は五十代、もう一人は三十代のコンビ。
娘は、二人を二階のおもちゃ部屋へ案内し、ここでの暮らしが楽しいこと、お父さんと離れたくないことを一生懸命伝えたようだ。この時は、わずかでも覆ることを期待していたが、裁判官は前任者の判断を否定することはなかった。自分の査定に響くのが恐いのだろう。真実も正義もない。
三日間の予定だったが、台風で電車が不通となり帰れなくなった。高速道路も使えなかった。
台風が通り過ぎ、十一日の夜に宿泊所へ戻った。夕食は、食堂ではなく、ファミレスで取った。
この町には、イオンがある。ゲームコーナーでは、何回も妖怪ウォッチのゲームをした。何十枚もカードが集まった。カードホルダーを宿舎の近くのコンビニで購入してコレクションしたほどだ。
十二日の午後は、子育て講座を受けた。先生に、もう帰ることを伝えた。会長から電話があったのは、その夜。布教所の娘さんとゴミ捨てをしたあとだ。
翌日は、早朝の神殿掃除に出かけた。太陽が出る前に、掃除を終わらせる決まりのため、夏のあいだは特に早い。
最初の頃は、起きて泣き出さないことを願いつつ、娘を置いて一人で出かけた。あとは、寝たままの娘をベビーカーに乗せて、神殿に行った。神殿の階段の下で、パジャマを着替えさせたこともある。
十七日に父が迎えに来て、再度帰郷。十九日に、家裁へ行ったからだ。
この日、娘を母親に会わせた。マジックミラーの隣室で、私が見ていると、途中から四十代の女性裁判官が入って来た。
母親が激昂すると危険なことを伝えた。理解ある表情で頷きながら聞いていたから、少しは伝わったのかと安心したが、最後には裏切られる結果となる。
そして、二十一日夕方、父の運転する車で、また娘とともに神様の町へ戻った。
宿舎は、男性と女性が、中間のミーティングスペースを挟んで別れている。このスペースに、洗濯機や冷蔵庫が置かれている。
この冷蔵庫に入れるものには、それぞれの名前を書いておく。
その文字を真似て、娘が書いた名字の一文字が、今もドライヤーや保冷材などに残り、消えない思い出となっている。
中尾は、男女の不祥事防止のため、女性側の入り口に寝泊まりしている。いつもなら、開け放たれている女性棟のドアが常に閉じていた。
父が来ているのは、知っているだろう。以前、怒られたから、顔を合わせたくなかったのだと思う。
八月二十二日。
担任の先生に、帰ることを報告した。
授業の前に、クラスの皆に挨拶をさせてもらいたいとお願いした。
以前にも宿泊所での扱いがひどいことは伝えてあったが、退学の理由にはしなかった。裁判での完全な敗北が決まり、引き渡さなければいけない時期が近いことを告げた。
八月二十三日。
朝礼で、クラスの友人たちに、最後の挨拶をした。
私たち親子を温かく見守ってくれたこと、娘に優しく接してくれたことへの感謝の気持ちを伝えた。
涙を流す人もいた。
僕も、娘のことを話していて、涙がこぼれた。
先生の顔を見て、「手を叩いていいですか」と確認する。
クラスでは毎回テーマが与えられ、全員にスピーチが回ってくるのだが、最後にお参りの時と同じく、みんなで四回手を叩く。
これが、本当に最後だ。
みんなは、きちんと卒業できるだろう。私と娘は中途退学だ。
みんなの顔を見るのも、これが最後。インドネシアのルッキーさんとは、もう二度と会えないだろう。
「さようなら」の思いを込める。
さよならは、言わない。
神様への「さよなら」は、もう済ませている。
みんなが合わせやすいように、息を吸い込み、大きく手を広げる。
パン!パン!パン!パン!
「ありがとうございました!」
娘の分の感謝も込めて、深く頭を下げた。
夜、電話で地元の会長さんに退学することを伝えた。必死の引き留めが一時間近く続いた。
決心は変わらなかった。最後には会長さんも諦めたようだった。
翌日、退学の手続きで学校へ行くと、喫煙コーナーで煙草をふかしていた布教所の娘さんが、指に煙草を挟んだまま、ベビーカーを押す私を見つけ、小走りで寄ってきた。
「暑いですけど、がんばりましょうね!」
娘さんの笑顔に、何の感情も伴わない言葉を返した。
「そうですね」
今さら、演技くさい笑顔では、私たちを引き留めることはできない。最初の頃は、「おねえちゃん」と言って慕っていた娘も、もう彼女に何の関心も示さない。その心根で、どうやって布教できるのだろう。
もはや何の思いもない。私たちは帰るのだ。
ここへ残って、最後まで修行をやり遂げることで裁判が覆るのなら、私だけでも喜んで残るが、そんなことはあり得ない。
もはや、神様の奇跡を信じない。
敵は、裁判所で待っている。
さようなら。厳しい生活。おかげさまで、私たちはさらに強くなった。
あとは、実際に戦っていくだけだ。裁判には負けた。娘を引き渡す日は近い。
それでも、戦っていく。一生を賭けた戦いだ。
理不尽な家庭裁判所の判断に苦しむ人が、この国には大勢いる。これから、さらに増えていくだろう。
すぐには、この国の司法は変わらないだろう。
それでも、泣き寝入りする必要はない。間違っているのは、この国の公務員だ。
我が身の立場に安穏と胡坐をかいているアホどもが、この国の家庭と子供たちの未来を壊しているのだ。
我が子を奪われることが、どれほどつらいことかは、私も痛いほど分かる。
一度は、胸に穴があいた。目には見えないけれど、心に穴があくという感覚を、私も実際に経験した一人だ。
でも、どんなにつらくても、なんとか自殺だけは避けてほしい。
心からお願いしたい。
我が子のため、我が子の将来のため、どんなにつらくても、生きてほしい。
つらいことは痛いほど分かっています。それでも、どうか生きていてください。
そして、わずかでも余力があったら、この国の異常で理不尽な司法と、最後まで徹底的に戦ってもらいたい。
すべては、我が子のため。
我が子の将来に、我が子の心に傷を残さないために。
そして、連れ去り被害者や連れ去られた我が子のような家事審判被害者を、これ以上増やさないために。
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