第71話 初めての強制執行
嘘まみれの申立書で始まった監護権の裁判は、たった三か月で終わった。弁護士さんからの提案で、引き渡さないで裁判を続けると決めた以上、次に来るのは強制執行だった。
平成二十五年三月二十九日、家の外で作業をしていた時、知らない中年男性に声を掛けられた。渡された名刺には、「執行官」という肩書があった。
初めての強制執行。あとで妻側の弁護士が家裁に出した「直接強制申立事件の経過」で知るのだが、一回目は不在のため執行不能。実際は、これが二度目の強制執行だった。
執行官と嘘の申立書について話していると、話し声を聞きつけて、父も出てきた。
「ここは自宅ではなく、お父さんの持ち物なので、お父さんが『帰れ』と言われたら、執行不能なんです。」
名刺の名前から、市内の父の知り合いの親戚だと分かった。執行官の仕事が親戚に伝わるのを避けたいのか、執行官自らがハーグ条約について話し、執行不能の条件を説明した。
この年の五月、国会でハーグ条約が締結される。それに合わせるかのように、最高裁が執行の基準を弱めた。自宅以外は執行不能。店舗も道路も執行不能。子供が抵抗したり、家族にしがみついて離れなかったら、執行不能。子供本人あるいは債務者(裁判で負けた親)が不在なら執行不能。同胞の子が国外へ連れ出されないように配慮したのだろう。ダブルスタンダードでは国際的に問題になるから、国内の強制執行の基準も弱めたのだ。
「今は弁護士が増えて、金欲しさに嘘をついてどんな無理なことでもする弁護士も多いので気を付けてください」
そう忠告してあっさりと去っていく執行官と入れ替わりで、黒いロングコートの小男が敷地内に入って来た。
「あ~、お父さんは口を出さないでください」
顔を私のほうへ向けたまま、父を制するように右手を伸ばして話す姿は、古畑任三郎を意識しているように見えた。初めて見る演技派の弁護士だった。
十二月の裁判から三か月間ずっと一言物申してやりたかったが、ようやくその機会が訪れた。ここぞとばかりに、申立書の嘘を指摘した。妻に生活費を出してもらったことなんて一度もないし、働いていなければ保育園に預けることさえできない。弁護士のくせに、保育園のシステムも知らないのか
「お気を悪くされたなら、謝ります」
小男が短い足を曲げ、片ひざをつくマネをする。
「演技だけなら、謝る必要ないですよ!」
私が返すと、あっさり土下座のフリをやめた。「コートが汚れなくてよかった」彼の心の声が聞こえそうだ。
「なんで、嘘の申立書を書いたんですか?!」
問い詰める私に、小男が言い放った。
「嘘をついても、裁判所が認めれば、それが法律の正義です。」
呆れて、言葉を失った。
恐いものだ。裁判とはそういう世界で、弁護士の認識はほぼ犯罪者の思考だ。一般社会の人間として言わせてもらうと、たとえそれが法律の正義であっても、絶対に嘘は正義ではない。司法修習生には倫理や道徳を教えたほうがいい。
小男の「嘘も法律の正義」という言葉を受けて、くだらない法律の議論をする気もなく、さっさと家に入ると、代わりに父が「この嘘つき弁護士、帰れ!」と怒鳴っていた。
「なんや、あの顔は?
ああいうおかしな顔した芸人、吉本にいたやろ?
なにも、あそこまでおかしな顔してなくてもいいやろうに…」
父は、弁護士の言葉より顔に呆れたようだ。顔は生まれつきで、わざわざ逆整形したわけじゃないやろとは思ったが、意外と人は心根が顔を作るのかもしれない。性格が顔に表れるという点では、彼は自分でおかしな顔にしたのかもしれない。
父に答えた。
「コヤブやろ。背の低いコヤブ。実際のコヤブは背が高いけど」
「ああそうや、コヤブや!」
父と認識が一致し、彼のニックネームは古畑ではなく、コヤブとなった。
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