第59話 おとーーーさーーーーーーん!

 平成二十五年三月頃のことと記憶している。

 娘はもうすぐ三歳。二歳十一か月の出来事。

 私は日中、仕事に出ているため、私の父と母に娘の世話を任せていた。

 娘が家で過ごしているのは、保育園に行きたくない理由を話し、「絶対にイヤ」と泣いて嫌がったためで、もちろん私は生活のため仕事をしている。妻の申立書に書いたような無為徒食の状態になったことはない。

 家庭裁判所も、もう少し頭を使って、こういう嘘八百の申立てがあり、相手の反論と明らかな相違がある場合には、申立て自体を却下して無駄を省く努力をしたほうがいいんじゃないかと思う。

 とりあえず受け付けて三か月で審理して子供を渡せというのは、子の福祉に反しているし、そこでコスト削減すると、最初の嘘が響いて、あとの問題を大きくする。

 本題に戻ります。


 実家で犬を飼っていて、いつも夕方に河原のグラウンドへ散歩に行っていた。娘とじいちゃんとばあちゃんと三人で、クーを連れて。

 じいちゃんばあちゃんに、「おとうさん」って言っていい?と聞いたそうだ。

「いいよ」と返事すると、娘は最大限に大きな声で叫んだ。


「おとーーーさーーーーーーーん!」


 日中、会えないのが寂しくて呼んでみたかったようだ。それを見て、両親は、「あぁ、このくらいの歳なら、お母さんが恋しいものなのに、ああいう母親だったのが不憫やなぁ」と感じたと、その夜、帰宅した私に話した。

 そんな娘の思いには耳を傾けず、家庭裁判所の調査官は報告書に嘘を書き、裁判官はたった三か月で娘を母親に渡せと結審する。


「おとーーーさーーーーーーーん!」


 家庭裁判所の裁判官、調査官へ。

 父親のもとから引き離され、面会も認められない、そんな子供たちの心の叫びが、貴方達にはまだ届きませんか。


 子供から引き離され、苦しんでいるお父さん、お母さんへ。

 親を求めない子はいないと、私は信じています。

 たとえ数年間、会えなかったとしても、絶対に、親子は親子です。

 今の苦境がすぐに変わらなくても、それが永遠に続くわけでは決してありません。

 目の前の現実が変わらないなら、せめて、この理不尽な現状を世の中に知らせませんか。我が身のためではなく、我が子のために。

 司法による親子断絶の分厚い壁に、わずかでも亀裂が入ることを願って。

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