第八章

八 制作放送部の達成①

 いよいよ当日になった。俺は興奮して寝付けず、あまり眠れないまま学校に到着していた。


 ちょうど、門が開かれるタイミングだった。そんな時間に来たのは初めてだ。まだ、開始まで二時間以上もある。


 天気も良好。朝の爽やかな空気の中、俺は第一体育館のほうへ歩いていく。


 体育館もすでに開いており、鍵を開けたらしいうちの顧問と出くわす。ちなみに被服部の顧問でもあり、ほとんどそちらのほうへ行っているため、あまりうちの顧問だと周知されていない。部活の多いこの学校では、顧問の兼任は当たり前のことだった。


 軽く挨拶を交わすと、俺は一人でアリーナに足を踏み入れる。アリーナは本来ならもう片付いているはずだが、今はまだ座席となっているパイプ椅子が並んでいた。


 カメラの準備を始める。暇になった俺は、昨日のデータを確認し始めた。


 演劇部の舞台は大成功に終わった。少なくとも、俺が中学時代に授業の一環として連れていかれた演劇と差を感じなかったほど、完成された芝居だった。


 鵜久森と大空の芝居はこれに劣るだろう。でも、それでいい。俺が見たいのはこっちだし、見せたいのもこっちだ。


 それにしても、脇島が俺の示した交換条件に大した反応を見せなかったのは、テレビ放送に興味がないわけではなく、この出来なら放送せざるを得ないと考えていたからではないだろうか。


 自分たちの芝居を放送しない制送部なんて意味がない。それほどの自信があったのかもしれない。


 俺は、後に何週かに渡って放送される学園祭の映像に、これを使用するべきだと思った。


 良いものを放送する。これが、俺たちが本当に貫かなければならないことだ。演劇部はその基準を十分に満たしていた。


「おはよう」


 一時間ほどして、やって来たのは鵜久森だった。


「おはよう。眠れたか?」


「あんまり。でも、元気だよ」


 なら良かった。鵜久森も俺と一緒で興奮して眠れなかったのかもしれないが、体調は悪くないようだ。


「おはようございます」


 次に現れたのは天王寺だ。


「またイチャイチャしてます?」


「またってなんだ、またって。鵜久森も今来たところだ」


 こいつも思っていた以上に茶化してくるな。でも、俺は天王寺が来てくれたことにホッとしていた。やはり、少し気まずかったのだ。


 すると、ここからは続々と現れる。部長、大空、優陽が立て続けにやって来た。全員が早い到着だった。


「最後、練習しとくか」


「はい」


 鵜久森と大空が舞台のほうへと向かう。俺はジッとそれを眺めていた。


「……昨日どうだった?」


 部長が耳元でささやく。俺の弱みだとわかって訊いているのだろうか。今すぐにカベに追い詰めて、その口の中に綿でも詰めてやろうか。


「何もないに決まってるだろう」


「二人には内緒にしておくね」


 それはもう遅い。俺の口からはため息が自然とこぼれた。



 人が集まり始めると、本格的に準備が始まった。といっても、むしろ学園祭の片づけを途中でストップさせている状態であり、当然、備品の用意の必要はない。改めて、通路上に配置されるバザーの位置確認を行っているだけだ。


 それは、ほとんど被服部主導で行われた。藤原部長曰く、「制送部はお店を出さないじゃん」とのことである。だから、後片付けにおいても、他の部の指揮を務めてくれるらしい。本当に助かる。


 俺は天王寺と優陽を連れて、その様子を見て周っていた。これが俺たちの発案した祭だと思うと、感慨深いものがあった。


「よくぞ、ここまで集めてくれたな」


「別に、あんたのためじゃないわよ」


 まあその通りだろう。これは鵜久森と大空のためである。


「わぁ! ツンデレですよツンデレ!」


「ちゃうわい!」


「おおっ!」


 その言い回しがツボに入ったと思われる天王寺が茶化すと、優陽からは軽快にツッコミが返される。それだけキレが良いと天王寺が喜ぶだけなんだけどな。本当に良いコンビである。


「……葵先輩のため。大空先輩のためも、か。でも、私たちのためでもあるわよね」


「そうですね」


 俺も頷く。俺たちの仕事は番組作りだ。そのためだから、仕事の一部でもあるのだ。


「ういーっす――ふごーっ!!」


 目の前に現れた小鳥遊は、すぐさま視界から消える。すでに全身地面の上だ。


「杏奈、今何時?」


「九時過ぎですね」


 本日は代休開催なので、開始は十時からだ。だからまだ余裕はある。


「あ、ごめん。間に合ってたんだ。てっきり遅刻したかと思っちゃったわ」


「確認してから蹴れよ!」


 小鳥遊は瞬時に起き上って怒鳴りつける。というか、確認したら蹴っていいのか?


「お前! 理由もなしに蹴ったらただの暴力だからな! 停学だからな!」


「そう言ってもねぇ。比呂光の場合、蹴る理由なんて探せばすぐに見つかるから。なんかあるでしょ? 春斗」


「この前、お前の脚が太いとか言ってたな」


 優陽が足払いし、小鳥遊は再び地面に伏した。


「水内、てめぇ……」


「この太い脚、活かさなきゃ損よねー」


 うふふ、と笑う。怖え。


 すると、いつも立ち直りの早い小鳥遊が、なかなか起き上がってこない。よく見ると首がゆっくり動いている。


 あ、こいつスカートの中を覗こうとしているのではないか。俺は二人を遠ざけるために、間に入ろうとする。天王寺は俺が入ってきた分一歩引いたが、優陽はそれでもなお離れず、むしろ片足を浮かせてみせた。


 そして、そのままそれは落とされた。


 大地が轟いた。ような気がした。


「ああっぶねえええ!!!」


 間一髪、小鳥遊はそれを回避した。普通の人間だったら頭がつぶれているところである。


「凄い回避能力だな」


「本当。やっぱり運動部に入り直したほうがいいんじゃないかしら」


「なに冷静に分析してんだ! 死ぬところだったぞ!!」


 俺には小鳥遊が頭がつぶれた程度で死ぬようには思えなかった。どのみち中身は空っぽなのである。


「でえじょうぶです!」


「ドラ〇ンボールももういいから!」


 拍手をし、「おおー」と漏らす天王寺。やられ役状態の小鳥遊のツッコミの切れ味は鋭い。


「お前、さすがに下は隠せよ」


「攻撃に支障をきたさないように、見えてもいいのを穿いてるから大丈夫よ」


 多分、それでも見る側には意味があると思うのだが。まあ言うまい。


「私は水内くんに守られちゃいましたね」


 天王寺が言う。途端に恥ずかしくなり、そんな顔を見せまいとすぐに歩き出した。


「そろそろ戻ろう」


 俺はそう言って先を進んでいく。その後ろを、三人はついてきていた。



「じゃあ、後は任せた」


「うん。みんな、がんばってね」


 部長に見送られ、俺たちは舞台の袖へと移動する。


 カメラ席には部長と小鳥遊が残り、そのまま舞台の撮影をしてくれる。俺たち三人にはそれぞれの役割があり、天王寺と優陽は照明、俺は音響を担当する。


「みなさーん! お集まりいただき、ありがとー! 今日は葵祭、もとい在庫処分祭となっておりまーす! アットホームで自由なお祭りなので、楽しんでくださいねー!」


 司会の声が響く。本物の学園祭よりも盛り上がりそうな司会ぶりは、なかなか見事なものだった。


「司会は藤原先輩だったわけね」


「ピッタリだろう? そのままファッションショーに移行するからちょうどよかったんだ」


「バザーが被服部主導なら、舞台に関しては制送部主導にすべきだった気もするんだけど」


 言いたいことはわかる。本来、こっちはうちが仕切らなければならないはずだ。


「でも、うちの部長に立たせるわけにもいかないだろう」


 制送部主導ということは、うちの部長を立たせるのが普通だ。しかし、俺と居るときですら緊張することがあるのに、こんな大勢の前に立たせると機能停止してしまう恐れがある。


「まあそうね。そうなると私か杏奈だろうから、やっぱり藤原先輩で正しいのか」


「歌乃先輩の司会も見てみたかったですね。かなり萌え萌えな映像が撮れそうです。ようつべに流せば広告料もいただけるかもしれません。ユーチューバーかのぱい」


「それだけはやめてやれ」


 そんなことをしたら学校に来なくなりそうだ。部長を愛でるのは、制送部の範囲だけにしておこうな。


 制送部の掛け合いはそこそこにし、俺は主役の二人と向き合った。


「さて、二人とも準備は良いか?」


「ああ」


「うん」


 二人とも気合の入った表情をしていた。大空はともかく、鵜久森も余裕がありそうだ。


「意外と緊張しないんだな?」


「葵は結構肝が据わってるみたいだ」


「そんなことないですよ。緊張してます。でも――」


 鵜久森は舞台を見る。そこは遠い場所だった。でも、もうすぐたどり着く。


「最後だから。……だから、恥ずかしがっても仕方ないですよね」


「そうだな」


 もう何も妨げるものはない。あとは二人がやり切るだけだ。これで全てが終わるのだ。


「おー、みたいなのやりますか?」


「ああ、いいわね」


 天王寺の提案に、優陽がすぐにのっかった。俺は顔が引きつってしまう。


「今、袖で大声を出すのもまずいだろう」


「小さい声ですればいいじゃない」


「あたし、あんまりああいうの苦手なんだ」


「俺もだ」


 優陽が呆れるように口元を緩める。面倒くさいやつら、という文字が顔に書いてある。


「やりましょう」


 主役の鵜久森が言うと、大空もしかたがないかという表情に変わった。俺も諦めよう。


 俺、天王寺、優陽、大空という順で手を重ねる。そして、最後に鵜久森が手を乗せた。


「がんばりましょう!」


「おー」


 鵜久森の掛け声に、俺たちは小さく声を上げる。いよいよクライマックスだ。集大成を見せてくれ。俺は強く願った。

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