七 鵜久森葵の青春③

「そうだ、制送部のことを教えてよ」


 歩き始めてすぐのことだった。突然、鵜久森は何か思いついたようにそんなことを言う。


「何を今さら」


「知りたいから。水内くんと一緒にがんばっている人たちのこと」


 それも、活動内容じゃなくて部員のことか。それなら大体知っているだろうに。


「お前が知っているとおりとしか言いようがない。小鳥遊なんて語ることもないし」


「それでも、水内くんの口からみんなの紹介をしてほしいの」


 よくわからん注文である。俺は首を捻る。


「別にかまわんが」


「よしっ! じゃあまずは第一体育館だね」


「なに?」


 今ここで話せば済むだろうに、なぜ移動しなければならないのか。


「――二人であいつらの前に顔を出すのは勘弁してくれ。特に小鳥遊にだけは見られたくない」


 あいつに弱みを握られるなら死んだほうがマシである。


「大丈夫。遠巻きに見るだけだから」


「というか、せっかくの学園祭でこんなことしてていいのか?」


「いいの。最後に一緒に周った人とその繋がりを知るのも思い出だよ」


 結構頑固なところもあるな。これが新しい鵜久森だろうか。


「……見るだけだからな」


 俺は諦めることにした。今日の鵜久森には勝てないようだ。


 第一体育館に到着する。固定席には当然、部長と小鳥遊の姿があった。


「あの二人が恋に発展する可能性はあるの?」


 いきなりそれか。まあ、小鳥遊が部長に言い寄っている様子から気になったのだろう。


「ないな。全力で阻止する」


「……ひょっとして、水内くんが愛川さんと?」


「それもない」


 理由はあの二人と同じだ。それはわかるだろう。


 俺は咳払いをして一つ間をおき、その話題を切った。別に逸らしたかったわけじゃない。本題である、紹介をしなければならないからだ。


「部長の愛川歌乃。部で最も俺に困らされている人だ。


 部長は誰よりも熱心に活動している。見た目は小動物みたいだけど、中身はパワーのある努力家で、部員を背中で引っ張っていける人だ。編集作業中は尋常じゃない集中力で、俺たちのことなんて見えないんじゃないかと思うときがある。


 なんだかんだで尊敬してるよ、俺は」


 別におだてているつもりでもなかった。本当の部長は、しっかりした芯のある人だ。そうじゃないと、あの状況の制送部を再建しようなどとは思えない。


 俺が強引に進めていることだって、本当に嫌なら自分の意思で断ることができると思っている。行動力と決断力の差によって、俺が裏で糸を引いているように見えるだけなのだ。


「素敵な人なんだね」


「ああ。ちょっと隙が多すぎることが弱点だけどな」


「そうなの?」


 鵜久森は笑う。俺は続ける。


「小鳥遊比呂光。俺はあいつと居る時間が一番長い。


 どうしようもないバカで、よく優陽に叱られている。見事なやられ役だ。女好きで、美少女インタビューにふさわしい生徒を見つけることだけが、唯一の優れていることだ。


 まあ、俺にとっては一緒に居て一番楽な存在だ。何してもいいというか、何を言っても許されるというか。全く気をつかわないからな」


「ふふふ」


 随分、鵜久森は楽しそうだった。こんな紹介で良いらしい。


「あとはあの二人だね」


「よく知ってるだろ」


「水内くんの口から聞くことに意味があるんだよ。さあ、探しに行こう」


「いや、遠巻きにって言ってただろう。あいつらはどこに居るのかわからんのだから、こっちが見られずに済むのは難しいぞ」


「あの二人が、水内くんが私と周っていることでどんな反応するのか気にならないの?」


 まさかの発言だった。強化型鵜久森は、中々挑発的なことをするようだ。


「気にならん」


「私は気になるの。だから行こう」


「……お前、やっぱりドSじゃないか?」


 鵜久森は俺の服の袖口を引く。さすがにもう手は繋いでいないのだが、今日だけで随分距離が近くなった気がする。俺はもうされるがままだった。



 俺たちは二人を探すという目的で校舎の中を歩いていく。B棟の各部活の模擬店を横切りながら、話をしていた。


「愁ちゃんはね、私みたいに体が弱くないんだ。私のことを凄く心配してくれて、とってもかわいいの」


「ああ、あの子な」


 鵜久森の舌は滑らかになっていた。家族のこと。お菓子のこと。学校の有名人のこと。それぞれが繋がっていたり繋がっていなかったりする色んな話題を、鵜久森は楽しそうに話してくれた。


「それで――あっ、優陽ちゃん」


 見ると、優陽の姿があった。今日は中学時代からの友人と一緒にいるようだ。


「なんだか熱心に話しかけられてるけど、大丈夫かな?」


 確かに、店の人間に言い寄られているように見える。店はバレーボール部が出しているたこ焼き店だった。


「あれは勧誘されているだけだ」


「勧誘?」


「優陽は色んな運動部に声を掛けられるんだ。ちなみに、話しかけてるやつは女だぞ」


「え?」


 腰から上だけでは判断がつかなかったようだが、あいつは確かに女だった。たしか女子バレーボール部の現部長だ。


「それは失礼なことを……」


 鵜久森は顔を赤くする。まあボーイッシュな人なので気持ちはわかる。


「優陽は凄い才能のあるやつなんだ。天才と言ってもいい」


「頭が良いの?」


 鵜久森は的外れなことを言う。いや、その推測のほうが妥当か。


「頭は少し良いくらいだ。天才的なのは運動能力。体験入部期間、あいつに惚れた部は数知れず。だからこそ、色んな運動部に顔が利くんだ」


 その顔の広さは、今の俺以上かもしれない。制送部の活動において、運動部に用があるときは優陽に頼るのがセオリーだ。


「そんなに凄いんだ」


「ああ――」


 そんな話をしていると、優陽が俺たちの姿に気づいたようだった。優陽はバレー部の部長と友達に何かを言ってから、俺たちのほうへと近づいてきた。そして嘲笑する。


「よう」


「……なに? 一緒に周ってるんだ?」


 ほら、茶化してきた。だから嫌だったんだ。


「一緒に周ってもらってるの。ごめんね」


 すると、すぐに鵜久森がそうフォローした。さっきのドSっぷりは影を潜めている。


「え? あ、謝ることじゃないですよ。全然いいですから」


 しかし、こいつも強化型鵜久森には勝てないようだ。気遣うように微笑む。


「なんでもおごりますから、いっぱいせびってくださいね」


「ふふふ、うん」


 勝手に何を言うんだか。高校生の財布の軽さを舐めるなと言いたい。


「なんでもはおごらんぞ」


「甲斐性を見せなさいよ。じゃあ、友達を待たせてるから戻るわ」


「うん。ありがとう」


「じゃあ楽しんでくださいねー」


 そう言って、優陽は戻っていく。すると、鵜久森はにこにこして俺を見る。


「なんだよ?」


「どうだった? 今の反応は」


「どうって……。やっぱり茶化してきたじゃないか」


「……鈍感」


 なんだよいったい。とりあえず俺は本題に戻る。


「優陽のことは頼りにしている。仕切るのも上手いし、人当たりも良い。それでいて人情派だからな。信用も信頼もできる。良いやつだ」


 鵜久森は頷く。よく知っている分、納得の肯定だろう。


「どうして運動部に入らなかったのかな?」


「文化部に入りたかったって聞いたぞ。それで、俺が誘ったんだ」


「へぇー」


 鵜久森は、また何か言いたそうな顔をする。もういい。次に行こう。



 天王寺の居場所は確認していた。今は中庭の自販機付近で飴を配っている。まあ、目立つからすぐにわかるのだ。


 しかし、していることの邪魔をしたくはなかったので、声をかけるタイミングを窺っていた。


「あれ、杏奈ちゃんだったんだ」


「ああ」


 鵜久森も困ったような顔で笑っている。今思うと気まずいのだろうか。


「あ、こっち見たね」


 俺は天王寺に合図する。すると、天王寺はこっちへ寄ってきて自販機を指さす。買えということか。


「あとでお金は払いますので」


 ああ、別に喋れないわけじゃなかったな。俺は了承し、お茶を買ってやる。そして、そのままさっきの休憩場所まで一緒に移動した。


「暑いです……」


 死んだような目のウサギ頭を外すと、汗だらけの天王寺が顔を出した。珍しく乱れた姿なので、妙な色気を感じ、俺はちょっとだけうろたえた。


「大丈夫?」


「休憩してなかったのか?」


「いえ、休憩はしていたのですが。子どもたちの夢を壊すまいと、被ったままでいたので」


「子どもなんてほとんどいないのに」


 部のためにがんばっているのであまり言いたくないが、やっぱりアホである。本当に愉快なやつだ。


 天王寺は、着ぐるみの手の部分をスポッと外してから、ペットボトルのキャップを取った。


「そ、そんな仕組みになってるんだ……」


「はい。便利仕様です」


 そう言ってお茶を口にする。確かにそのままだと手が使いづらいから、そこだけ取り外せるのは良い仕様だ。しかし、まさかオーダーメイドじゃないだろうな。


「ずっと宣伝してくれてたんだね。ありがとう」


「いえいえ。趣味みたいなものですので」


「いや、それはおかしいだろう」


 すかさずツッコむ。すると、天王寺は目を光らせた。


「学園祭と言えば着ぐるみじゃないですか。着たかったんです、着ぐるみ。飴ちゃんを配るという目的がなくても着たいと思っていたんです。


 ですので、ただ着ぐるみを纏って徘徊する変な人、にならずに済んで助かったくらいです」


「十分、変な人ではあったけどな」


 ドヤ顔をしてみせる。お前のそのやったった感はなんなんだ。


「でもそろそろ終わろう。お前だって学園祭を楽しんだほうがいい」


「こうしているのも楽しいのですが……。でも、演劇部の舞台は見に行こうと思っていたので、それまでにはやめると思います」


「そうか」


 まあ、楽しんでいるのならいいか。実際、一番満喫しているように見えないこともない。


「それでは、お二人のお邪魔をしないためにも、マスコットに戻ります」


 天王寺はウサギの頭と手を持ちあげた。行く前に否定しておかないと。


「最後の学園祭だから、ちょっと借りてるだけだよ」


 鵜久森が先に否定してくれた。天王寺はいつも通りの微笑を返す。


「そうですね。では、返していただければ結構です」


「どういう意味だ」


 俺がツッコむと、天王寺は何か思い出したような顔をする。そして、再びパーツを地面に置いた。


 すると、鵜久森の左手をつかみ、軽く上下させる。何がしたいのか、俺にはよくわからない。


「間接手つなぎ!」


「え?」


 俺はすぐには意味が理解できなかった。少し考えてから茶化されているのだと気づく。つまり、間接キスの別バージョンみたいなことか。


「さっきは鵜久森の体調が悪かったから、手すり代わりになったいただけだからな」


「だとしても、ちょっと羨ましかったんですよ。では、戻ります」


 またもや理解しがたいことを言って、天王寺は去っていった。今度は考えてもよくわからなかった。


 隣を見ると、鵜久森が微笑んでいる。さっきから、こういう子どもを見るような笑顔をすることが増えていた。


「なんだ?」


「杏奈ちゃんってかわいいよね」


「知らない」


「杏奈ちゃんは、水内くんから見てどんな人?」


 今度は、鵜久森が本題に戻した。俺は少し考える。


「金持ちで、アホで、変で――」


 意外としっかりしていて、思いやりがあって、綺麗で――


「面白いやつだ」


 その言葉だけで十分だった。



 俺たちは、そのままその場で話をしていた。体調のこともあるし、話が切れなかったので移動する必要がなかったのだ。


 鵜久森は意外と話すことが好きらしい。俺がそのことを伝えると、そんなこと言われたの初めて、と返された。これも新しい鵜久森なのだろうか。


「今日はありがとう」


 しばらくそうしていると、もうすぐ演劇部の発表の時間となった。


 勉強になるからと、鵜久森も大空と一緒に見にいくらしい。その後は練習。だから、この辺りでお開きだった。


「こんなので良かったのか? 結局、最後のほうはしゃべってただけだが」


「十分だよ。本当に満足したよ」


 鵜久森は笑顔で言う。まあ、鵜久森がそう言ってくれるなら良かった。


「大空とはどこで合流するんだ?」


「現地集合だよ」


 大空は彼氏と周っていたらしい。ひょっとすると、大空と過ごしているうちに、鵜久森は誰かと一緒に学園祭を周りたいと思ったのかもしれない。


「じゃあそろそろ行くか」


 目的地は同じだし、もう変に逃げ回る必要もなくなったので、一緒に行こうかと思ってそう促した。


「うん……。あ、最後に」


 すると、鵜久森は改めてこちらに向き直った。


 どこか、緊張したような表情をしている。それは、さっきまでの鵜久森よりも、出会った頃の姿に近いものだった。


 思いつめているようにも見える。まさか、と俺のほうが動揺してきた。


「あの、ね」


「な、なんだ……」


 鵜久森は俺の目を見る。俺はそれを見ることはできなかった。


 ふいに手を触れられる。鵜久森の手は、さっきよりもずいぶん温かかった。


「……が、がんばってね」


「え?」


 思っていたこととは全然違う言葉だ。しかし、なんのことを言っているのかさっぱりわからない。


「妹さんのこと」


「あ、ああ……」


 どうやら、自惚れだったらしい。でも少し安心する。


「私には……水内くんがすごくかっこよく見えるよ」


「はい?」


 俺は間抜けな声を出してしまう。やっぱり自惚れじゃないのではないかと思ってしまう言葉だ。


 でもやはりそういう意図ではない。鵜久森は微笑んだ。


「こんな人が自分のお兄ちゃんなんだって思ったら、私なら自慢したくなっちゃうよ。だからね、水内くんの姿こそ妹さんに見せてあげてほしいな。


 私にとっては、この学校で一番輝いているのは水内くんだから」


 鵜久森は恥ずかしげもなくそんなことを言う。今の俺たちの関係は逆転している。俺は応援されているのだ。


「水内くんと制送部がしていることを知ったら、妹さんももっと色んなことに興味を持つんじゃないかな?


 私はみんなを見て、仲間ってものが羨ましくなったから」


 鵜久森にとっては、俺も向こう側の人間だったらしい。自分ではよくわからなかった。


 俺や制送部の姿が櫻子に響くなんて考えもしなかった。


「……自信になるよ。でも、今回はお前が主役だ」


「うん」


 あとは明日。いよいよ本番を残すのみだ。


 鵜久森の最後の学園祭。それを最高のものにするのだ。

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