八 制作放送部の達成②
各自持ち場へ散っていく。袖に残っているのは、演者の二人と音響の俺だけだ。
「ではみなさーん! 今の服はすぐに売りに出されるので、ぜひ買いに来てくださいねー!」
拍手が沸き起こる中、被服部は捌けていく。学園祭に続いての舞台発表だが、内容が同じとはいえ、あっさりとやってのけたのはさすがだった。
そして、ようやく鵜久森たちの出番となった。
「行くぞ、葵」
「――はい」
二人で声を掛け合うと、鵜久森は俺のほうをチラッと覗く。
「気楽にいけよ」
俺も声を掛ける。鵜久森は柔らかな笑顔で「うん」と言った。
「では、本日最後の発表になります。不良少女と病弱少女。正反対の二人の心は一つ。手紙が織りなす悲劇と喜劇。演じてみせよう何役も。チーム葵祭による、二人芝居『彼方からの手紙』です! 大きな拍手!」
司会の藤原部長が煽ると、大きな拍手が沸き起こった。客席には、本当に大勢の人が来てくれていた。
「なんだあの口上」
「ふふふっ」
それは、俺が藤原部長と相談して決めたものだ。適当にチーム名もつけておいた。
拍手が鳴り響いている間に、大空が袖から見て舞台上奥側へ、鵜久森が手前側へ移動する。大空にスポットライトが当たった瞬間、劇は始まる。
「ようやく届いたな。マウアーの手紙も、これで最後になるだろう」
物語は手紙が届くところから始まる。大空がタークという名の男性役だ。
手紙を読み始めると、暗がりにいる鵜久森がマイクを使って内容を読み上げる。
「病に伏してひと月が過ぎました。あなたへの手紙も、あといくつ送ることができましょうか」
鵜久森がマウアーという名の女性役だ。登場人物の名前はこの二つだけである。
実は、この手紙は不備があり、送り主が違っている。
二人は同姓同名の恋人同士だ。かたや倦怠期、かたや病を前に別れを決意した恋人。そんな恋人の手紙がすれ違うことで、笑いと涙の倒錯劇になる。それがこの『彼方からの手紙』のからくりだった。
つまり、鵜久森と大空は、それぞれ同じ名前の人物を二人ずつ演じることになるのだ。
「マウアーが病に侵されているだと!? ……どうして言ってくれなかったんだ」
やりきれない想いを抱くターク。そうして、その手紙の交流はまだ続くことになる。
次は鵜久森にスポットライトが当たり、マウアーに手紙が届く。こちらも倦怠期カップルのほうだ。
「タークから手紙が届いたわ。もう来ないと思っていたのに」
そうして読み始めると、今度は大空が内容を読み上げる。
「君のことを想うと、胸が張り裂けそうになるよ。別れのその日まで、僕は祈り続けている」
大空の台本では、手紙を受け取った側が読み上げるものだった。一人芝居をするつもりだったのだから、当然のことだろう。送った側が読み上げるようにしたのは天王寺の提案だった。
というのも、当たり前のことだが、一人芝居でするつもりだったこの台本の中に、掛け合いは存在しなかった。だから、これは少しでも二人でやり取りしているように見せる工夫だ。
そして、最後には台本になかった、それぞれの恋人が再会するシーンも加えられている。これも、エンターテイメントというものが大好きな天王寺らしい提案だった。
「なんてことでしょう。タークはまだ……」
舞台を左右に分け、スポットライトで場面を分けるのは優陽の提案だ。舞台転換のテンポが良くなるため、これも掛け合いっぽさが出る工夫だ。
そして、初舞台である鵜久森が舞台上で一人にならないことも目的だ。優陽らしい、細やかな気配りだった。
四人の手紙はすれ違っていく。倦怠期カップルは相手を心配することでお互いのことを想い直していき、病に苦しむカップルも気持ちを発散させることでまだ諦めないという気持ちが芽生え始める。
片方が暗転のうちに付け外しだけの簡単な着替えを済ませ、もう一人の役へと変身する。そうして、二人の劇は進行していった。
俺の仕事はBGMを変更と、数回の全体照明だけの簡単なものだった。横から二人芝居をじっくりと眺めることができる。
「知らなかった……。マウアーがこんな気持ちでいたなんて」
大空の演技は噂通りのものだった。安定してるし張りのある声が響く。俺は感心しきりだ。
すると、手前の暗がりで、鵜久森があたふたとしているのが見えた。そして、ついにその体が地面に落ちる。俺は思わず駆け寄ろうとした。
しかし、俺は鵜久森に制された。
「大丈夫」
そう言った気がした。俺はそのまま立ちすくむ。
舞台の演技が止まっている。ああ、俺が音を切り替えないからだ。俺は鵜久森の様子を確認しつつも、自分の仕事を遂行した。
音が切り替わり、一瞬の間を置いてから鵜久森にライトが当たる。その時には、鵜久森はしっかりと立っていた。
「……タークに会いたい。この苦しさは、きっと病によるものじゃないわ。私は、この命が尽きるまで、あの人と居なければならないの……」
その言葉は真に迫っていた。客も圧倒されたことだろう。それは、本当に苦しそうだったから。病に苦しむ役は、鵜久森とシンクロし過ぎていた。
俺は祈る。あと少しなんだ。もう少しだけ、戦わせてやってほしい――
鵜久森はなんとか台詞を言い切った。しかし、苦しそうな鵜久森に対し、大空も気が気ではないようで、視線が鵜久森に向かうことが増えていた。
すると、次の手紙は、読み上げまで大空が担当してくれた。鵜久森はそれを黙って見ている。そうだ、少し休めってことなんだ。俺は鵜久森を袖のほうへと呼び寄せる。
「築希先輩が……」
「あと少しだ。ちょっと水でも飲め」
「うん……」
大空が芝居を続ける。わざと長めの間を取りながらも、滞ることなく演技をしている。そう違和感も生まれないだろう。大したものだった。
「ここまで最高に良かった。本当にもう少しだ。あと少しだけ、乗り越えよう」
「……うん。あと少し、だね」
そう言って、鵜久森は俺の胸に持たれかかった。
「だ、大丈夫か?」
「平気。こうしたかっただけなの」
「な――」
鵜久森はいたずらっぽく笑う。全く、こういう冗談はやめてほしいってのに。
「じゃあ戻るよ。ありがとう」
「……もう少しだからな」
鵜久森は舞台の上に戻る。息を整えると、舞台上で直立する。
スポットライトは鵜久森に当たる。そして、また演技に戻るのだ。
○
物語は最後のシーンに差し掛かる。その辺りになると二人の共演シーンとなるため、スポットライトを使う必要がなくなり、すでに天王寺と優陽も袖に戻ってきていた。
「私、諦めないわ。あなたとなら、乗り越えられるから」
「マウアー!」
郵便配達員の手違いによって行き違っていた手紙。間違ったり正しかったりしたそのやり取りは、同じ丘の上を再開の場所に指定して終わりを迎える。
その丘の上では、二組はすれ違わずにお互いを見つける。そうして、物語は幸せな形で幕を閉じるのだ。
病に苦しむカップルの再会シーンが終了し、あとは倦怠期カップルの再会シーンだ。
鵜久森も持ち直し、しっかりと演技を続けている。それどころか集中力が増しており、演技にも磨きがかかっているように見えた。
「病気はもう大丈夫なのか?」
「病気? ええ、これはあなたに会えなかったことでの痛みだったから」
いよいよ、最後の台詞だった。
「……これから、また新しい世界が開くのね。あなたと過ごす世界が」
音楽を切り替えると、舞台が徐々に暗転していく。誰かが拍手を始めると、つられるように客席から拍手が沸き起こった。
「終わったわね」
「ああ」
「終わりました」
天王寺と優陽が微笑み合う。色々あったが、ようやく鵜久森の、そして俺たちの目的が達成されたのだ。
拍手が鳴りやんでくるタイミングで、再び舞台に明かりが灯される。舞台上の二人が頭を下げると、また拍手が沸き起こった。
すると、鵜久森の体が大きく揺れる。なんとか大空が支えてくれているが、もう限界を超えていた。
俺はすぐに袖から客席側に出て、司会として待機している藤原部長に声を掛ける。
「悪い、すぐに捌けるからもう最後を任せていいか?」
「オッケー」
それだけ了承を得ると、俺はまた袖に戻り、舞台を暗転させた。そして、二人を舞台から呼び寄せる。そして、また舞台の照明を点けた。
「ありがとうございましたー。みなさん、もう一度お二人に向けて盛大な拍手!」
パチパチパチパチ! その音は、さっきまでよりも遠くに聞こえた。それは、俺たちがそれどころではなくなっていたからだ。
「大丈夫か?」
「とりあえず座らせよう」
肩を支えている大空が、鵜久森の体をゆっくりと下ろしていく。
「終わったね。終わったよ。ははは……」
心配する俺たちをよそに、鵜久森は幸せそうな笑顔を見せる。俺たちもつられて笑う。
「とても良かったです」
「うん。最高でした」
「ありがとう」
天王寺と優陽にそう応えると、鵜久森は焦点の合わないような目をしてからうつむいた。俺はすぐに飲み物を渡す。
それをちびちびと口にし、ふうと一息つく。そして、改めて俺たちを見回した。
「築希先輩、ありがとうございました。私、本当に楽しかったです」
「……あたしのほうこそ。葵がいなかったら、もう舞台に立つこともなかったよ。……ありがとう」
大空の言葉は、出会ったばかりのことでは考えられないことだった。鵜久森は深く頷く。
「みんなも、ありがとう。最後に最高の思い出を作れたよ。本当にありがとう――」
これで、鵜久森葵の高校生活は終わりを迎えた。満足そうな笑みを残して。
◯
その後、鵜久森は天王寺の車によって家へと帰された。それを見送ると、大空もホッとしたようで、そのまま学校から去っていった。
「終わりましたね」
天王寺が言う。送り届けることは運転手に任せ、ここに残ったのだ。
「そうだな」
「私、感動しました。葵先輩の姿は、きっと櫻子ちゃんの心に響きます」
いつも通りの穏やかな微笑み。包み込むようなそれは、時に俺を驚かせる。
「よく名前を覚えてるな」
「良いお名前ですね。いつか、会わせていただきたいです」
どうなるのか想像もつかないイベントだった。とても魅力的で、興味深いものだ。
「会ってくれるといいけどな」
「……そうですよ。私だけじゃなくて、制送部みんなで会うべきだと思います」
そりゃまた豪快なアイデアだ。俺は説明を急かすような気持ちで天王寺を見た。
「私、学校が楽しいです。それはきっと制送部に入って、色んな人と出会ったからだと思うんです。
それぞれの理由を持ちながら、一つの目標に向かっていく。そうしてるうちに仲間ができて、また毎日が楽しくなります。その中に、櫻子ちゃんも入ってみてもらいたいです」
天王寺ははつらつとした感じに言う。それは、何かの答えのような気がした。
「それは……良いな」
俺は反射的にそう答えていた。
「てん――」
「ちょっとー! お二人さーん!」
優陽の声が聞こえると、俺は話すのを控える。それは無意識のものだった。
「どうしましたか?」
「どうしたもこうしたもないわよ。早く行こう」
「どこにだ?」
優陽は心底呆れるような顔をする。
「……これからが私たちの本番よ」
そうだった。俺たちにはまだ、編集という仕事が残っていたのだ。
俺はちょっとした虚脱感を持ちながらも、最後の最後だと気合を入れ直したのだった。
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