第六章

六 制作放送部の再起①

 家までは車で送ってもらった。すでに用意されていた夕飯を食べてから、部屋に戻ってようやく一息つくことができた。


 天井を見上げながら策を講じる。


 演劇部の他チームから時間を貰えないかと考えたが、脇島部長のことを考えると現実的ではない。それなら他の部に頼むべきだ。ただ、そうするならば相応の対価が必要になってくる。


 制送部にできることは、番組で取り上げることしかない。それを交渉材料にできる部活は限られている。


 そして、学園祭まで一週間を切っている現状では、自分たちの発表を完成させることに必死で構ってもらえないのではないか。


 とりあえず被服部の藤原部長あたりに相談してみるか。ファッションショーの一部として芝居をさせてもらえたら……いや、厳しいか。想像しても、全く上手くいく気がしない。


 思考を巡らせていると、またスマホが着信パターンで震えた。誰かと思って見てみれば小鳥遊からだった。無視しようか。


 いや、こういうときは誰が相手でも会話をしてみるべきだ。それだけで何か発見があるかもしれない。そう思って、俺は応答ボタンを押した。


「おう水内」


「おう、じゃあ切るぞ」


「なんでだよっ!!」


 ほとんど無意識のうちに言ってしまった。小鳥遊の声を聞くと急に嫌な気分になったのだ。不思議な力の持ち主である。


「お前は声まで腹が立つな。人を不快にさせる才能だけは誰にも負けないんだな」


「声が腹立つなんてお前にしか言われたことねえよ! せっかく電話してやってんのに!」


 せっかく、て。二〇時という平和に過ごしたい時間帯に、何が悲しくて小鳥遊のバカボイスを聞かねばならぬというのか。まあ、承知の上で取ったわけではあるけれど。


「せめて、俺が興味を持つくらいの声色で話せ。ミステリアスで魅力的な人間を演じろ」


「さっきからいったいお前は僕のことをどう思ってんだ! こっちは情報を持って電話してんのに!」


 情報。小鳥遊の口から出る言葉の中では魅力的なほうである。しかし、小鳥遊だと半信半疑にもなる。


「何の情報だ? よっぽどでかい耳垢でも取れたのか? 実はあまり取らないほうがいいらしいぞ」


「え、マジで? じゃなくて! 僕、さっきまでむしゃくしゃしてたからナンパしてたんだよ。B駅前で」


 B駅は若者の街もどきの騒がしい場所で、ちょっと悪ぶれたようなやつらが好んで向かう所だ。そんな半端なところで遊ぶくらいなら、電車一本で向かえるんだし、いっそ東京まで足を延ばせばいいのに。


「そこにさ、大空築希が居たんだ。性懲りもなくタバコを吸ってやんの」


「なんだと……?」


 大空が居る。小鳥遊よりもよっぽどむしゃくしゃしているであろう大空が、B駅で何をしているのか。かなり苛立っているのは、想像に容易いことだった。


 ただでさえ窮地なのに、現状よりも悪化されては困る。早いうちに、大空を説得する必要もあるようだった。


「小鳥遊、大空の後をつけろ。何か変な真似をしたら止めてくれ」


「あん? 僕はまだナンパの途中なんだけど」


「そんなことしても意味ないぞ。最初はいいが、お前が口を開けば女のほうが呆れかえるからな。無意味なことをするくらいなら役に立て」


「……ものっすごい失礼なこと言うのな!」


 いかん、こんな時にで正論を吐いている場合じゃない。ここは小鳥遊の協力が必要だった。


「いいから頼む」


「いや、人にものを頼むには態度ってものがあるでしょ」


 ムカつく奴だ。そんな時、俺はふと思い出した。


「じゃあ、お前が制送部の名を使ってナンパしてたこと、優陽に内緒にしておいてやるから」


「……はい?」


 このバカのせいで、脇島に悪い印象を与えていたのだった。思い出すとさらに腹が立ってくる。だから、ちょっと盛りながら釘を刺しておくことにした。


「舞台の時間を取られたことも、それが大きな理由になっていたんだ。お前がバカやってたのを知った脇島部長が怒っていた。制送部は前体制のままのナンパ集団だってな。


 お前のせいで制送部が悪者になっていた。このことを優陽が知ったら、お前をどうするだろうな」


「ちょ、ちょっと待て! お前、また脅迫するのか!?」


 脅迫じゃない。俺は小鳥遊の罪を暴き、小鳥遊がそれを償うか否かの話だ。


「優陽からの制裁は想像がつくだろう。部長も悲しむだろうな。ああ、天王寺が一番怖いか。ひょっとすると学校を追い出されるような事態になるかもな。


 優陽にボコボコにされるか、天王寺に裁いてもらうか。どっちがお好みだ?」


「……つけるよ! つければいいんだろ!!」


「つけます、だろ」


 俺は着替えを始める。すぐに出るつもりなのだ。


「……つけさせていただきますよ!」


 電話を切る。たまには役立ってくれ、小鳥遊よ。


 一階に降りると、そのまま玄関のほうへと向かう。B駅は自転車で行ける距離だ。


「お兄ちゃん、こんな時間に出掛けるの?」


 お兄ちゃん、と呼ぶべきなのは妹。しかし、これは櫻子の声ではない。母の声だ。


「すぐ帰ってくるよ」


「不良だねー」


 母さんは抱きかかえている猫に話しかける。溺愛されている猫の名はミイコである。


 櫻子が引きこもり、父が単身赴任に出ると、母さんは寂しい想いをした。俺くらいしか話す相手もいないから当然だ。そこで、猫を飼うことにしたのだ。


 こいつを飼っていなかったら、俺がこんな時間に外に出ることすら難しいだろう。その点で感謝していた。


 なー、という声に見送られ、俺は外に出る。自転車に乗ると、急いでB駅へ向かった。



 駅付近で小鳥遊と連絡を取る。どうやら、大空はゲームセンターにいるらしい。


 そこはパチンコ屋とボーリング場などが一緒になっている複合施設だった。駐輪場に自転車を止め、中のゲームセンターへと向かう。入口付近で小鳥遊が待っていた。


「ふてくされてやんの」


 小鳥遊が指さす先に大空が居た。大空はタバコを吸いながらゲームをしている。


「今どきゲームセンターに来る不良ってっ!」


 小鳥遊はケラケラと下品に笑う。今どきこんな微妙な街でナンパをしている不良もどうかと思うのだが。


 俺は小鳥遊を無視し、大空を見ていた。大空はパズルゲームのようなものをプレイしているが、あまり熱心にしているようには見えない。


 ひょっとすると、ただ座ってタバコを吸いたいがために、そのゲームを選んだのではないだろうか。


 タイミングを計るため、しばらく様子を見る。すると、大空に近づいていく男の姿があった。


 例の彼氏だろうか。もしそうなら接触できなくなってしまう。


 しかし、男が大空に声を掛けると、途端に大空が啖呵を切った。彼氏ではない。何かトラブルのようだ。


「お、面白いことになったねぇ」


 バカがつぶやく。小鳥遊はこういうことを喜んでしまうタイプのバカなのだ。


 俺は聞き耳を立てる。聞こえてくるのは「タバコ」という単語だった。どうやら、タバコを吸っていたことへの苦情らしい。


 ここは禁煙なのか。いや、灰皿もあるし、別にそういうわけじゃない。大空以外に吸っている人間がいないだけだ。常連ルール的なものだろうか。


 大空が勢いよく言い返すものだから、相手の苛立ちも増長してきた。そろそろ止めたほうがいいのかもしれない。


「小鳥遊、止めるぞ」


「おうよ」


 嬉々とした小鳥遊を連れ、俺は大空へと近づいていった。


「おい」


 俺が言うと、二人はこちらを一瞥する。そして大空が顔をしかめた。


「お前、僕の連れに用があんの? あぁ?」


「いや、タバコが――」


「ここは禁煙なのか。灰皿があるけれど」


 俺は大空の使っていた灰皿を持ち上げる。そんなことはわかっていたのだろう。それでも、人数的不利な状況に、男は動揺していた。


「メダルゲームのところでしか――」


「だからどこに書いてんだよ、えぇ?」


 それにしても、あまりこいつと同類だと思われたくはないな。ただ追い払うだけでいいのに。


「わかったよ。俺たちはもうすぐ出るから、それまでは我慢してくれ」


「……ああ、それなら」


 俺が譲歩する姿勢を見せると、男は立ち去っていく。あいつもホッとしていることだろう。


「てめぇ――!」


「もういい」


 俺は小鳥遊の首根っこを掴むと、大空に向き直った。大空はバツの悪そうな顔をしていた。


「外に出ようか」


 大空はタバコを灰皿に押し付けると、頷くこともなく立ち上がった。



 店は大通り沿いにあるため、多くの車が行き交っていた。俺たちは店の駐輪場へと移動する。


「そいつも制送部なのか?」


 少し離れたところでスマホを見ている小鳥遊を、大空は顎で示した。


 そうか、大空が小鳥遊を見るのは初めてだった。嫌な初対面である。


「そうだ。撮影には来ていないが、別の仕事をしてる」


「ふぅん。あの中じゃ用心棒ってところか」


 おかしなことを言う。でもまあ知らなければそんなものかもしれない。大空は小鳥遊のことを何もしらないのだから。


「いや、別に強くもなんともない。でもこういうときには使えるやつだ」


「ん? 僕のこと褒めようとしてる?」


 小鳥遊は都合の良い耳をしているらしい。幸せなやつだ。大空に勘違いさせるのはよくないので、俺は懇切丁寧に説明してやる。


「さっきのような状況で、もし相手がやばそうなやつだったら、こいつは囮に使えるからな。


 女子の多い制送部の中で唯一どんな目にあってもいい、制送部の捨て石なんだ」


「お前は本当に酷いやつだな!」


 俺は事実を言ったまでだった。まあどうでもいい。


「話は鵜久森から聞いた。大空、バカなことをするのはやめてくれ。密告される前に自分から停学になったら、もう完全にどうしようもなくなる」


「…………」


 大空は疲れたような表情をする。今まで熱心に取り組んでいたことがゼロになると、俺もこんな表情になるのかもしれない。


「もうどうしようもないんだよ。自分から出ないって言わなきゃ、私は停学になって出られなくなる」


 出ないか出られないか。その状況であることを、大空は正確に理解していた。


「恨まれているらしいな。男の取り合いで」


「……誰が言ってたんだよ。別に取り合ってない。あいつが勘違いしてただけだよ」


「勘違い?」


「細かいことを話す気にはなれないから言わないけど、脇島は自分が好かれてると思ってたんだよ。演技と自分、両方を評価されてる気になってたんだろう」


 演技と自分。その言葉で何となくわかることがあった。つまり、脇島のような熱心な演者は、その技術を認めてくれることが何よりも嬉しいことなのではないか。演技を褒められているうちに、自分が好かれてると勘違いしたわけだ。


 仮にそうだとして、演技力も含めて評価してくれている人間が、自分より素行不良の女を選んだりしたら……傷つくだろうな。


「お前は、脇島のプライドまでズタズタにしたわけだ」


「知らないよ。あたしは本当に何も知らなかった。悪いのは……男だろうな」


 大空は、最後はため息のように言った。責めるに責められない相手だからだろう。


 そして、脇島に対しても、多少は同情しているのかもしれない。


「まだ付きあってるのか?」


「なんで一年にそんなところまで訊かれなきゃなんないのかわからないけど、まだ半年も経ってないんだから普通だろ」


 馬鹿にされたように感じたのかもしれない。大空は自分の正常さを強調するように言う。


 まだ半年も。それはつまり、不祥事から半年経っていないということでもある。そもそも、俺たち一年が入学してからひと月ほどで起きた出来事だ。


 こんな仕返しをするくらいだから、まだ脇島の傷は深いのだろう。これ以上はつつくべきではない。


「……だから、あいつはあたしの顔も見たくないんだよ。嫌でも思い出すだろうからな。そのことを最初からわかってたら、こんなことにならなかったのに」


 大空は当たり前のようにタバコをポケットから出し、それを咥えた。俺はそれをすぐに取り上げた。


「やめろって言ってるだろ」


「どうせ意味ねえよ」


 怒るというよりも悲しそうにしている大空。もし中止になった舞台が一人芝居だとしたら、こんな表情になるだろうか。今、大空の頭の中には鵜久森の顔が浮かんでいるように見えた。


「鵜久森、お前が行ったあとに倒れたんだ」


 大空は露骨に驚いた表情で、俺の顔を凝視した。


「……大丈夫なのか?」


「ああ、さっき見舞いにも行ってきた。そして、鵜久森はまだ諦めていない」


 俺は鵜久森の心境から過程を取り除いて言った。大空は俺と目が合うと、視線を下に逸らす。


「前にも言ったが、俺はもうお前たちを撮るって決めているんだ。だから、なんとしてでも舞台を作ってやる。


 そして、鵜久森の最後の学園祭に、お前は必要だ。お前だってあいつと舞台に立ちたいんだろう?」


 大空は力強く頷いた。鵜久森の体の弱さを理解しているこいつは、鵜久森の意志を尊重してくれる。もう二人はそんな仲なのだ。


「舞台は絶対になんとかする。本番で無理をしてでもがんばる鵜久森の前で、お前はそのままでいるつもりか?」


 今度は首を横に振る。鵜久森のことを想う大空は、本当にカッコいい表情をしている。


「……本当にできるんだろうな?」


「機会は約束する。無理だったらいくらでも殴られてやるよ。ただ準備不足の役者を上げるつもりなどない」


 挑発するが、大空の表情は変わらなかった。


「私は、葵と舞台を成功させる」


「よく言った。後は任せておけ」


 二人はもう大丈夫だ。後は俺たちが場を用意するだけになった。

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