五 水内春斗の理由②

 わずか二〇分ほどで、目的地に到着した。


 そこにあったのは立派な和菓子店だった。極端に和風ではなく、洋菓子店にも使えそうな店構えだ。はっきりわかるのは、建物として新しいことだ。今風の和菓子店、というイメージの店だった。


「素敵なお店ですね」


 天王寺の言葉に、俺は無言で頷いた。自営業といってもピンからキリまである。家族経営ならもっと寂れていても不思議ではない。鵜久森の店は観光地にでもありそうなほどお洒落なものだった。


「……洋菓子にして良かったです」


 天王寺は手に持っている紙袋を見てボソッと呟いた。想定しづらいことだから、そこは気にすることもないと思うのだが。


「いらっしゃいませ」


 中に入ると、初老くらいの女性店員に声を掛けられた。鵜久森の母だろうか。


 天王寺は華麗に頭を下げる。俺もそれに倣い、軽く礼をした。


「わたくし、湊学園高校一年の天王寺杏奈と申します。葵先輩のお見舞いに伺いました」


「あー! あ、あなたが天王寺さんね。どうぞ、こちらへいらして」


 大げさな反応をする女性。事前に連絡をしてこれだから、どこぞやの金持ちのお嬢様というレアな存在に、密かな感動があったのだろう。


 気持ちはよくわかる。俺も最初は似たようなものだった。


 形式的にお見舞い品を手渡すと、俺たちは奥のほうへと案内された。


 奥の感じは、それほど新しい建物だとは思えなかった。店舗部分だけ改装したのが有力のようだ。


 そのまま三階に行く。鵜久森の母は、上ってすぐ右側の戸をノックする。


「葵。天王寺さんたちがいらっしゃったわ」


 どうぞ、という声が小さく聞こえた。女性は戸を開き、俺たちに中へ入るように促した。


 鵜久森はベッドに仰向けで寝ており、掛布団を顔くらいにまで乗せていた。隣には小学生くらいの少年が居た。例の歳の離れた弟だろう。鵜久森に似て大人しそうな男の子だ。


 ベッドはあるが部屋は和室だった。面積のほとんどがベッドと何かの器具で埋め尽くされている。わずかなスペースに座布団が置いてあり、折り畳みの机が立てかけてある。


 器具がなんなのかはすぐにわかった。医療用具だ。自宅の割にはそれらが揃っていて、そのことからも日常的に体調を崩していることが窺えた。俺は嫌な予感がした。


「愁ちゃん、お母さんのとこ行ってて」


「……うん」


 少年は俺たちに警戒心を示しながら、部屋を出ていった。


「お身体の具合はいかがですか?」


「大丈夫。……ごめんね、心配かけて。そこに座って」


 促されるままに、俺たちは座布団の上に腰を下ろした。天王寺は律儀に正座している。


「問題ないさ。……寒いのか?」


 今日はそれほど気温も低くはない。むしろ暖かいほうだ。それなのに、鵜久森は布団を深く被っている。そこに、何か深刻な事情があるのではないかと疑った。


 しかし、鵜久森は照れたように笑って、首を左右に振った。


「パジャマ、男の人に見られるのは恥ずかしくて」


「あ、ああ……」


 どうやら、理由は俺が居ることだったらしい。パジャマ姿くらいどうってことないと思うのだが……。とりあえず思ったよりも元気ということか。少し安心する。


 ふいに、妙な間が生まれてしまった。何から言い出すべきか、俺だけではなく、天王寺と鵜久森も悩んでいるのだろう。


「……制送部のみんなと築希先輩には感謝してるよ」


 ようやく口を開いたのは鵜久森だった。天井を見ながら、絞り出すように言葉を紡ぐ。


「私は学園祭のために一生懸命になれた。舞台に立てなかったのは残念だけど、一つの目標のために力を合わせることができて、青春の中に居られた。この学校のがんばってる人の一部になれた。


 やりたかったことはできたんだ。もう十分だよ」


 鵜久森は俺たちを励ますために言ってくれていた。もう、諦めているのだ。


 俺は即座に否定したかった。まだ舞台に立てないと決まったわけじゃない。でも、鵜久森の体調を考えると、それも簡単に言えるものではなかった。


「あの、ひょっとしてなのですが――」


 天王寺が意を決したように口を開いた。


「学校を退学されるのは、お身体のことが理由なのでしょうか?」


 それは、俺も以前から思っていたことだ。天王寺も同じことを考えていたらしい。


 鵜久森はボーっと天井を見上げていた。そして、ゆっくりと口を開いた。


「うん。これから死ぬからね」


 鵜久森はさも当たり前のように言った。俺は言葉を失う。天王寺も両手を強く握りしめていた。


「……そ、それは絶対なのか?」


 なんとか絞り出した言葉。しかし、それは鵜久森を苦しめるかもしれない言葉だと、俺は言ってから気付いた。


 でも、鵜久森の反応は予想とは全く違った。


「あ、ごめん。余命宣告されてるわけじゃないよ」


 その言葉に、俺と天王寺は同時に背中を丸める。心底驚かされたのだ。


「そういう冗談は勘弁してくれ……」


「ごめんごめん。うん……ただ私自身が死ぬと思い込んでるだけなんだ」


 しかし、その言葉は俺たちを安心させるものではなかった。それはまるでとっくに悟りきり、覚悟ができているように聞こえた。


 鵜久森は穏やかに話を続ける。


「私ね、生まれつき免疫に異常があって……知っての通り、体が弱いの。


 今まで、ずっと体とケンカしながら生きてきて、何をするにも警戒しながらだった。小学校でも中学校でも、とにかく自分の体のことばかりを、周りも私自身も気にして過ごしてきた。


 湊高校に入ってからもずっとね」


 鵜久森は俺たちを見ることなく、天井をジッと見ていた。


「だから、クラスの友達と遊びに行くこともなくて、体育もできなくて、部活にも入れなかった。私は学校に居るのに、それらしいことを何もしていなかったんだ。


 自分の居る意味がよくわからなくなったときに、もういいかなって思ったの」


 鵜久森が学校を辞める理由。体調が原因ではあるが、きっかけは心の中にあった。


 高校生活の傍観者となった鵜久森は、湊高校においての存在理由を失ってしまった。俺が思っていたよりもずっと、鵜久森は孤独だったのだ。


 俺は掛ける言葉を探していた。天王寺も厳しい表情をしている。


 すると、鵜久森はやっとこちらを向いてくれた。そして、ニコッと微笑む。


「別に投げやりになったわけじゃないよ。治療に専念すれば、ほとんど完治って言えるくらいには良くなるかもしれない。だから、退学後は療養するつもりなんだ。


 そして今の私は死ぬの」


 それはどこか矛盾した弁明だった。俺たちに勘違いさせようとしているのだ。鵜久森は悪戯っぽく笑う。


「今の弱い私が死んで、新しい、強い私になりたい。そのために、死ぬって思い込んでるんだよ」


 つまり、「死ぬ」という言葉に諦めの意味はなく、それを生まれ変わる手段の一つとして、前向きに捉えているようだった。


 俺はその考え方を否定する気はなかった。本人がそれで良いように考えられるのなら、そう使っても問題ない。


 でも、俺の中でモヤモヤするものがあった。それを、俺はすぐに言葉にはできなかった。


「……もう、学校には来られないのですか?」


 天王寺がどこか寂しげな表情をしながら訊く。鵜久森は、うーんと少し大げさに考えるような仕草をする。


「どうしようかな……。学園祭だけでも行こうかな。学園祭が終わったら本格的な闘病生活が始まって、二週間後に入院も決まってるからね。学校生活の最後の楽しみがあってもいいよね」


 冗談ぽく言う鵜久森。しかし、笑えていなかった。


 きっと想像したのだ。舞台に出るはずだったのに、また傍観者になっている自分を。いつも通りの、そんな孤独な鵜久森葵を。


「体調さえ問題なければ、舞台に立ってくれないか?」


 改めて俺が言うと、鵜久森は困ったように微笑んだ。


「もういいよ。私は十分だから」


「お前のためだけじゃない。俺たち制送部と大空築希は、学園祭という一つの目標のために力を合わせた。すでにお前の目標を達成することが俺たち全員の目標なんだ。


 俺たちはまだ諦めていない。大空だって、お前と一緒に芝居ができるほうが良いに決まっている。俺たちに、舞台に立つ二人の姿を見せてくれ」


 番組を成立させるためじゃない。櫻子のためだけでもない。俺や制送部のみんなも鵜久森たちの舞台を成功させたいのだ。


「でも、もう……」


「舞台は俺たちがなんとかする。それは約束する」


 鵜久森は迷っていた。一度折れた心が、再び弱い自分と向き合わせたのかもしれない。


 でも、そうだとしたら、それは大きな勘違いだ。


「……本当に、今の鵜久森は弱いのか?」


「え?」


「確かに体は弱いのかもしれない。でも、お前は最後の学園祭のために自分の意志で抵抗したじゃないか。学校生活の中で、傍観者じゃなく主役になっていた。


 ……だから俺は、お前の姿が櫻子にも響くと思ったんだ」


「水内くん……」


 体を起こす鵜久森。俺は今なら言葉にできそうだと思った。


「俺たちにとっては、今のお前が鵜久森葵だ。仮に生まれ変わるとしても、体だけが回復した同じ鵜久森葵として生まれ変わってほしい。


 そのためにも、今のお前の姿をカメラに収めるべきなんだと思う」


 そうだ。俺たちが撮りたいのは、今の鵜久森葵なのだ。体は弱いかもしれないが、それに立ち向かっている鵜久森は、文句なく俺たちの番組の主役だった。


「私も水内くんと同じ気持ちです。お身体さえ大丈夫なら、葵先輩に舞台に立っていただきたいです」


 天王寺はゆっくりと鵜久森の手を取り、俺と同調してくれた。こいつは、いつもこうして俺の補助をしてくれる。


 ボーっとする鵜久森。まだ夢と現を理解していないようにも見える。


 鵜久森は天王寺の手を両手で包むと、それを確かめるように触っていた。そして、ようやく口を開いた。


「……そっか。私は、今の私にも未練があったんだね」


 鵜久森は、単に天王寺に触れているだけではなく、そうして自分の存在を確認しているように見えた。


 少しそうしてから、鵜久森は天王寺から手を離した。そして、俺のほうを見る。


「ねえ水内くん」


「どうした?」


「水内くんは、誰かのためにがんばっているの?」

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