第四章

四 鵜久森葵の努力①

 鵜久森は次の日にはしっかりと台本を暗記してきた。大空も、そんな鵜久森を無下にすることなく、演技の指導をしてくれた。きっと、鵜久森の熱意を認めてくれたのだろう。


 そうやってかみ合い始めると、後は本当に時間だけの戦いになってきた。鵜久森はひたすら演技を修練し、大空へ指導を仰いだ。


 俺は、日替わりで来る優陽、天王寺とともに、それを撮影、あるいは補助し続けた。一週間も経つと、五人はもはや別の新しい部活動のようになり、俺たちに感想や意見を求められることも増えていった。


 それに対し、優陽の細かい部分のアドバイスは的確であり、天王寺の演出や言葉選びのセンスは二人を驚かせた。


 もちろん、俺だってアドバイスはした。ひたすら、鵜久森はもっと声を出せ、だったけれど。


「結構上達したんじゃないか?」


 俺は陽明舎外のベンチに腰掛けている大空に話しかけた。


 鵜久森は今、天王寺と談笑している。一緒に取り組んでいるうちに、すっかり仲良くなったようだ。


「真面目で熱心なのは認めるけど、やっぱり期間が短すぎる」


 ボソッとこぼす。その感想は、時間さえあればもっと良くなるものだと残念がっているようにも聞こえた。


「体力が低いのと、腹式呼吸に慣れてないのが厳しい。葵、体が弱いからな」


 二人は名前で呼び合うようになっていた。これは俺が提案したのだが、大空もちゃんとのってくれている。


 鵜久森の体が弱い。俺がそのことを知ったのは最近だった。優陽の情報だと、確かによく体育を休んでいたらしい。すぐに帰宅するのも、あるいは退学するのも、そのことが関係しているのかもしれない。


「舞台に立つのは厳しそうなのか?」


「マイクは使えるけど、それでももう少し声量が欲しいな」


 やはりネックは声だった。これでも最初よりは上達しているため、更なる向上を期待するしかない。


「舞台は何回ぐらい使えそうなんだ?」


 大空が訊く。俺もすっかりマネージャー化したものだった。


「三回だ。それぞれの時間は少ないけどな」


 舞台練習はどの部にとっても重要なものだ。それでも、確認だけで済む部が時間を余すこともあり、その時間を貰ったのだ。それは主に被服部からの恩恵である。


「それで慣れてもらうしかないか。葵ー」


 大空が二人の元へと近寄っていく。俺はその様子もカメラで撮影する。


 二人とも良い表情になったものだ。とても絵になる。こんな一ページを見たら、学校生活も良いな、なんて思えるのではないか。それは確かな手ごたえだった。



 湊高校は二〇時には校門が閉められる。そのため、十九時半までが活動時間とされていた。


 二人は、いつもそのギリギリまで練習した。すると、もう夕暮れも通り過ぎて、完全に夜になってしまう。


 俺はカメラを限界まで回すものの、陽明舎の外の電灯だけでは満足な明かりが得られないため、ある程度まで暗くなれば撮ることを諦めていた。


 時間になると、他の三人とはその場で解散する。俺はカメラを放送室に戻さなくてはならず、一度B棟へと戻った。


 そして、すでに空っぽの放送室にカメラを置き、鍵を職員室まで返すと、ようやく帰路につくことができた。


 靴箱まで行くと、さっき別れたばかりの少女の姿が見えた。鵜久森だ。


「どうかしたのか?」


「ちょっと忘れ物があって」


 鵜久森は照れ笑いを浮かべた。一度別れたのに、もう一度学内で会うのが恥ずかしいだろう。気持ちはわかる。


「そうか」


 なりゆきで、俺たちは二人で校門まで向かうことになった。


 玄関口から校門まで、グラウンドを横目に見ながら歩いていく。グラウンドからも学生は掃けており、祭りのあとのような静けさが漂っている。


 この時間だと割と冷えるからか、鵜久森は少し震えていた。だからといって貸せる上着もないし、何もしてやれない。


 鵜久森と二人きりになるのは初めてだろうか。いや、最初に話しかけたときは二人きりだった。知り合いになってからは初めて、というのが正解か。


 話題がないことはなかった。学園祭のことなど、いくらでも思い当たる。


 しかし、校門をくぐってからすぐに帰り道が分かれるかもしれないため、話す必要もないかとも思ってしまう。だから俺は黙ったままでいた。


「あの、水内くん」


 そんなことを考えていると、ついに鵜久森から話しかけられてしまった。こうなると、こっちから話しかけなかったことに妙な罪悪感を覚えてしまうのはなぜだろうか。


「どうした?」


「ありがとね。こんな機会を作ってくれて」


 鵜久森は柔らかく微笑んで言う。校内照明で淡く見えるそれは、いつにも増して儚げに感じられた。


 俺はどこかバツが悪くなる。別に鵜久森のためにやってるわけじゃない。ツンデレでもなんでもなく、本当にそうなのだ。


「俺は撮りたいと思ったからそうしているだけだ。感謝なんて必要ない」


 なんとなく、自分の言葉が言い訳めいているように感じる。俺は櫻子のことを思い浮かべようとするが、久しく見ていない彼女の顔はすぐに浮かんできてはくれなかった。


「随分熱心だよね。ホント、尊敬しちゃうくらい」


「そんなことはないさ。この学校には、もっと部活動に熱心なやつはいくらでもいる」


 湊高校では、その多くの学生が青春を謳歌している。少なくとも俺にはそう見える。


「水内くんは一年生なのに学校のことをよく知ってるよね」


「そうか?」


「うん。私よりずっと」


 その理由は簡単だ。でも説明を求めてるわけではないようなので黙っておく。


 校門に着いた。ミナ校生はここから三つの方向に分かれる。単純に右か左か真っ直ぐかだ。


「鵜久森はどっちだ?」


「私は駅だよ。水内くんは?」


 駅なら真っ直ぐの道だ。ということは同じ方向だった。


「一緒か」


「そうなんだ。どこの駅なの?」


「ああ、電車には乗らないんだ」


 そう言うと、鵜久森はきょとんとした顔になる。いや、簡単なことなのだが。


「俺の家は徒歩圏内なんだ」


「へぇー、すごーい」


 何が凄いのかはよくわからない。鵜久森は、なんでもかんでも適当に驚いたり褒めたりする癖がある気がする。


 まあ、ある意味それは人付き合いにおいて最強かもしれない。ちょっとしたことで感動して、箸が転んでも笑って、そうすることが円滑なコミュニケーションに必要なのだろう。


 湊高校は高台にあるため、帰りは下り坂が中心となる。自転車通学の面々は、行きと帰りでは全然労力が違うようだが、歩きだとそこまでの差はなかった。つまり、どっちも辛いのだ。


「私も、電車で二駅くらいだから結構近いんだけどね。徒歩は羨ましいな」


「二駅くらいなら、自転車で来ればいいんじゃないのか?」


 確か、被服部の藤原部長が、毎朝二駅ほど自転車を漕いでる、ということを自慢げに言っていた。二駅くらいなら、定期代のことも考えると自転車がいいと思うのだが。


「ああ、私はそんなに体力が無くて、ね」


 鵜久森は困ったように言う。体の弱さはこういうところにも影響があるらしい。


「やっぱり、部活に入らなかったのも体調のせいなのか?」


「そうだね。健康だったら入ってたと思う」


「そうか……」


 この学校には、すでに夢に向かって活動しているやつもいれば、恋や部活で青春を謳歌しているやつもいる。


 しかし、それをしたくてもできないやつもいる。鵜久森も憧れをかみ殺して、淡白な高校生活を送っていた。


 それでも、鵜久森はそれを変えようとした。高校生活の終焉の前に、最後の抵抗をしているのだ。


 そんな鵜久森を見て、櫻子はどう感じるだろうか。何か希望が見つけられるだろうか。俺はそれが知りたい。


 櫻子に響く映像を撮影するために、俺は鵜久森の境遇を利用しようとしている。こいつを櫻子の踏み台にしようとしている。まるで生贄でも捧げるかのような気分だった。


 罪なことをしている自覚はある。でもこれは等価交換だ。だから許してほしいと、俺は心の中で乞い続けるのだ。


「水内くん」


 俺は黙り込んでしまっていたため、鵜久森の呼びかけに虚をつかれたような感覚になった。


「……どうした?」


 妙な顔をしてしまっていたのだろうか。俺は嘘を隠すような明るい声で返事をした。


「水内くんって、杏奈ちゃんか優陽ちゃんのどっちかと付き合っているの?」


 ずっこけてしまうかと思った。なんの脈絡のない質問である。


「……なんでそんな話になるんだ」


「いや……仲が良さそうだし、どうなのかなぁって」


 ある意味ではホッとしながら、俺は見せつけるように面倒くさそうな表情を作った。


「ない。それに部内恋愛は否定派だ」


「そうなんだ。二人ともかわいいのに」


 その辺りも否定するつもりはない。確かに、一般的に部長も含めた制送部の女子三人のルックスは良いほうだと思う。小鳥遊もそんなことを(なぜか)自慢げに言っていた。


 しかし、そういう問題ではないのだ。部の関係が崩壊することは、部活動に支障をきたす恐れがある。


 俺の部活動の意味は櫻子に集約される。俺が制送部の活動ができなくなると、櫻子の社会復帰まで遅れてしまうかもしれない。だからできないのだ。


「じゃあね……」


 鵜久森はそう言ってから、言葉を切ってしまった。俺はどうしたのかと思って、彼女の表情を窺う。


 街灯の明かりのおかげで、鵜久森の顔はよく見えた。それは、どこか緊張したような面持ちだった。


「……ちょっとだけで良いから、学園祭を一緒に周ってくれないかな?」


「ふむ……え?」


 俺は思考が間に合わなくなり、顔に熱を帯びる。思わぬ誘いだった。


「えっとね……恋人と学園祭を周ることも憧れだったというか。こういうのも最後のチャンスだし。


 でも私、そういう相手がいなくて、その……手伝ってくれないかなって」


「あ、ああ……」


 そういうことか。理由を聞いても、俺の心臓はドクドクと爆音を鳴らしたままだった。


 情けない話だが、全くこういうことには慣れていない。ひょっとすると、小鳥遊よりもよっぽど劣っているかもしれない。


 たかが一六年と少しの人生では、経験しようにもできないものなのだ。


 これまで女子という認識もしていなかった鵜久森に対し、俺の中で妙な意識が芽生えてきた。


 なんとか表に出さないようにせねばならない。これしきのことで動揺するなど、自分のキャラの崩壊もいいところである。


 鵜久森と学園祭を周る。このことは決して俺にとってプラスになるものではない。


 しかし、俺は彼女を利用している。対価を与えているつもりではあるのだが、罪悪感は残ったままだ。


 最後の学園祭の思い出。それを満たすことが俺の役割だと考えれば、協力すべき事案なのかもしれない。俺は覚悟を決めた。


「……別に構わない。ただ、あまり時間は取れないかもしれない」


「良かった。ありがとう」


 鵜久森は安心したような笑顔を見せる。やはりこちらの動揺のほうが大きいらしい。そういえば年上だし、仕方ないか。


 ほどなくして、駅に着いた。その間、どんな会話をしていたのか、俺は覚えていない。ずっとボケっとしていた。


 あんなことを言われたのだから、俺は今、鵜久森を女として意識していた。その思考の中に、どうも制送部の女性陣が割り込んでくる。その中でも特別声の大きいやつがいる。


 俺はどうしてそいつのことを考えてしまうのだろう。わからん。


「じゃあ、気をつけて帰れよ」


「子どもに言う台詞のような……。また明日」


「ああ」


 鵜久森がホームへのエスカレーターに乗るところまで見送ると、俺は回れ右をした。動揺のあまり、家を通り過ぎていることを言い出せなかったのはバレていないはずだ。


 童貞丸出しな自分に嫌気が差しながら、俺は道を引き返していった。

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