四 鵜久森葵の努力②

 学園祭まであと一週間。そんな土曜日に、俺は学校までやってきた。今日は学園祭の用事ではなく、制送部の作業のために訪れたのだ。


 最近はカメラを持って行くときと、置きに戻るときしか放送室に来ていなかった。だから、腰を落ち着けるのは久しぶりだ。


 先に来ていたのは部長だけだった。部長は熱心にパソコンと向き合っている。モニターに映っているのはミナ校生。美少女インタビューの編集作業中だった。


 美少女インタビューは、番組でかなり長い間使われているネタだ。


 それもそうだろう。芸能活動をしている、もしくはしたいと思っている生徒が多いこの学校で、テレビに映る機会はありがたいものだ。


 テレビ局側も、出演した生徒がその後全国区で活躍し、映像に価値が出たことに味をしめ、すっかり出演者とテレビ局とでウィンウィンとなるネタになっていた。


 しかし、最近はそれが影をひそめるようになっていた。先に言っておくが、これは俺のせいではない。俺の野望とは関係のないところで問題があっただけなのだ。


「部長、こんちは」


「水内くん。来てくれたんだね」


 来てくれた、というのは変な言い回しだった。まるで来る必要がない人間のようだ。その実は、単なる平部員なのに。


 部長は俺に気を遣い過ぎるところがある。やっぱり怯えているのだろうか。


「さっさと終わらせなくちゃならないからな」


 俺は持ってきたノートパソコンを机の上に置いた。放送室の中にパソコンは一つしかないため、忙しい時期になると、パソコン室を借りるか、俺と天王寺のノートパソコンを使用することになるのだ。


「データは?」


「これ。坂口さんの編集点をお願い」


「了解」


 ノートパソコンには、残念ながら映像編集ソフトが入っていない。これを持ってきてできるのは、編集点をあらかじめ決めておくことと、テロップの文章を考えておくことだ。


 一回の放送で、三人分を使用する。構成は、何かに打ち込んでいるスナップ映像を一分ほど流してから、インタビューが始まるというものだ。


 元の映像は、二週間前に部長たちが撮ったものだ。ここから使う部分を切り出していくのだ。


「ごめんね」


「いや、小鳥遊が役立たずだから仕方ないさ」


「そ、そんなこと言っちゃダメだよ」


 小鳥遊はインタビューの対象の美少女探しには奮闘するのだが、編集作業には全く向いていない。欲望に沿うことしかできないやつなのだ。


「撮影させても視線がエロくて使い物にならないから、現状あいつはただのアンテナでしかない」


「あはは……。でも、今ではそのアンテナも結構ありがたいんだけどね」


 部長が困ったような笑顔で言う。多分、本音だろうと思う。


「まあ、俺が鵜久森たちのほうに付きっきりなのも大きな原因だからな。こんな時くらいがんばるさ」


 現在、人数は二、三で振り分けている。鵜久森側に俺、インタビュー側に部長と小鳥遊を固定し、優陽と天王寺を入れ替えている形だ。


 学園祭に向け、日程はかなり厳しいものとなっていた。


 制送部の活動の流れは、週の前半にインタビューを撮り、後半にそれを編集するというものだ。そして、火曜日にテレビ局へ提出すると、次の週の金曜日、つまり提出日の一〇日後に放送されることになる。


 ただ、学園祭を前にそのパターンは崩れてしまう。それは基本的に俺のせいだが、番組の質を上げるためだということは理解してもらいたい。


 そこで、優陽の指示によって、インタビューは早い段階で数回分の撮り溜めをしておいた。


 だから、それを編集して火曜日に出す、という作業を繰り返すだけで学園祭までの放送は乗り切れるはずだった。


 しかし、その編集の時間も厳しいものとなっていた。それは、インタビューチームが学園祭前の練習風景の撮影に追われたからだ。


 部長以外が一年生という制送部において、湊高校の各部活動の練習風景を撮影することに、一週間以上かかることは想定外だった。そうして編集時間が削られていった結果、こうして土曜日に集まることになったのだ。


「次の分は終わってるのか?」


「もうすぐ終わりそう。後は再来週に提出する分だけだね」


 そして、今日中に完成させなければならないものが、三日後に提出する分だけではないことも大きかった。


 学園祭が土日で月曜日がその代休。翌日の火曜日に提出する分も、今のうちに作っておく必要があるのだ。


 俺はノートパソコンにSDカードを差し込み、そのデータを確認し、坂口、という女生徒のものを抜き出して移動した。


 動画は十五分ほどあるため、これを五分くらいに縮めなければならない。骨の折れる作業だった。


 結局、午前中に来たのは部長と俺だけだった。二人でしばらく黙々と作業した。



 昼になると、一度休憩を入れることにした。俺は買ってきたパンを、部長は鞄から弁当を取り出した。


 部長と二人で昼食なんて初めてだ。変な緊張感の中、俺たちは食事を始めた。


「昼過ぎには他のやつらも来るだろう。小鳥遊は微妙だが」


「そ、そうだね」


 俺も少し落ち着かない気持ちになっているが、部長のほうが明らかに動揺している。やっぱり色々やり過ぎているから警戒しているのだろう。仕方ない。


 無言で食べ進める。この前の鵜久森を思うと、こちらから何か話しかけるべきかかもしれない。


 いや、部長は俺を苦手としている。それなら、多少居心地が悪くても黙っていたほうがいいだろう。


「あ、あの――」


 部長が口を開いた。ちっ、沈黙を嫌うタイプだったか。あるいは部長なりに気をつかったのか。無理しなくていいのに。


「どうした?」


「え、えっと……ひょっとして、演劇部の部長ってまだ脇島さんだったりするの?」


 無理やり絞り出したのがよくわかる、どうでもいい話題だった。


「……ああ。演劇部は学園祭で引退なんだってな」


「そ、そっかぁ……」


 再び沈黙。もう無理に話さなくてもいいぞ、と言いたいが、それはそれで言いにくい。


「お、大空さんって、彼氏いるよね?」


「知らないけど」


 今度も、別に部長が興味を持って訊いている話題とは思えないものだった。ただ、俺は少し興味があったので、逆に訊いてみることにした。


「どうしてだ? 知っているのか?」


「確か、元制送部の先輩と付き合ってた気がするんだ。この前映像を見たとき、なんか見たことあるなぁって思ってて」


 ああ、だから妙な反応をしていたのか。


「じゃあ被害者か?」


「あ、そうじゃないよ。そういう目的はあったのかもしれないけど――って、あー……」


 部長の声はだんだん小さくなっていく。口にしていいかわからないからそうなったのだろう。思考が迷子になっている。


「その、大空さんは正式にお付き合いしてたと思う。むしろ、わき――あ、なんでもない」


 この人はどんどん墓穴を掘りそうだった。こっちが不安になる人である。


 しかし、大空が元制送部の先輩と付き合っていたのは意外だった。だから、制送部と聞いて反応を示したのかもしれない。


「まあ、不祥事に関わりのあることなら詳しくは訊かないさ」


「ご、ごめん……」


 部長はしゅんとしてしまう。こっちが悪いことをしたような気分だ。


 制送部による不祥事。それは端的に言うと、制送部の活動を、女を口説くために悪用していたというものだ。


 当時の制送部は部員一〇人、男女五人ずつの部だった。その女子のほとんどが、一人の男子部員を追いかけて入部しただけで、主導権は男性陣にあったらしい。


 男どもは活発に活動していたのだが、前述のとおり、それは対価を求めるためのものだった。それがエスカレートした結果、不祥事へと繋がってしまったのだ。


 男子部員は自主退学を強いられ、当然、それを目の当たりにした女子部員も部活をやめてしまった。


 そうして残ったのが、目の前にいる愛川部長ただ一人だったのだ。


 それに目を付けた俺は、クラスメイトである優陽と小鳥遊を誘い、放送室へ乗り込んだ。そこに待っていたのは、先に行動を起こしていた天王寺だった。


 こうして俺たちは揃ったのだ。


「今度大空を茶化してみよう。面白いかもしれない」


「お、面白がっちゃ悪いよ」


 困ったように笑う。これは、俺が最も多く部長にさせている表情だった。


 ふいに、トントン、とノックの音が響いた。


「こんにちはー」


 入ってきたのは天王寺だった。手にはパソコンバッグ、背中には小さなリュックを下げている。


「重そうだな」


「リュックにはお弁当しか入っていないので大丈夫です。それに、ここまで車で送ってもらったので。――お金持ち的ステレオタイプです」


 ドヤ顔を決める天王寺。これは自慢ではなくネタである。


 実際に大金持ちなのだが、彼女にとって金持ちということは大したパーソナルデータではないらしく、そのギャップをエンターテイメントとして我々に提供してくれるのだ。


「私もお弁当をいただきますね」


「うん。一緒に食べよう」


 部長はわかりやすくテンションが上がっている。天王寺が来て安心したんだろうな。


「水内くん、パンなんですね。私のおかずをあげましょうか?」


「いらない。箸もないしな」


「私があーんしてあげますよ」


 天王寺が玉子焼きを箸でつかんだ。本当に食いつくはずないと決めつけたボケだが、いっそ咥えてやろうかと考えたりもする。恥ずかしいからしないが。


「結構だ」


「私が来るまで、さんざんそういう行為が繰り返されたというのに?」


「えー!?」


 部長が顔を赤くする。いや、していないのだから、そんな反応をしないでくれ。


「見ろ、部長の弁当は全然減っていないだろう? 部長は俺と二人だと、自分の口にものを運ぶことすら困難なんだから、俺に差し出すなんて不可能だぞ」


「そういう裏の顔があることに期待しちゃうのですよ。実は歌乃先輩のほうが壁ドンしてるとか」


 天王寺はテンプレも好きだが予想外も大好きである。とことん楽しいことを突き詰めているやつなのだ。


「そんなの俺だって見たいさ」


「ですよね!」


「えー……」


 まあ俺もそう変わらん。こうして部長を困らせるのもエンターテイメントと言えよう。だからといって、あーん、などとはするわけもないが。


 部長は元々ちびちび食べるほうだし、俺に気を遣って喋っていたからかほとんど食べ進んでいない。


 部長の昼食を終わらせるためにも、俺はさっさと食べ終わってしまおう。最後のパンの最後の一口をペロッといただいた。


「俺は先に作業に戻るよ。二人はゆっくりかつ急いで食べてくれ」


「はーい」


 お前は俺のボケにツッコまないのか。まあいい。俺は作業に戻った。



 事態が急変したのは火曜日だった。


 テレビ局への提出のため、俺は鵜久森たちのところへ行かずに、先に放送室へとやってきていた。全員揃ってネットを使ってのデータ提出を見守る。


 サーバーが重かったので、少し緊張感の伴う提出だった。その成り行きを見届けていると、もう一時間ほど経っていた。


 送信されたことを確認してから、俺は天王寺とともに部屋を出た。いつも通り陽明舎の裏へと向かう。


 そこには、お互いを見ずにただ茫然としている二人が立っていた。


「どうかしたのか?」


「私は帰る」


 大空はそう言い、足元にあったカバンを肩に引っ掛け、歩いていく。俺はすぐにそれを追いかけた。


「どうしたんだ?」


「劇は中止だ」


 青天の霹靂だった。


「なに? ……何があった?」


「もうどうにもならない。……葵には悪いと思ってるよ」


 それは怒りを悲しさで覆っているような声だった。


 ほんのわずかな時間で二人が諦めてしまった。何があったのかは全くわからない。非常事態だった。


「しっかり説明してくれ!?」


 大空はそれに答えずに歩いていく。感情が整理できていないのだろう。俺は訊くことを諦め、足を止めた。


 去っていく背中を見つめる。いったい何があったんだ。意志の強いあいつがあんなにあっさりと引き下がるなんて……。


「葵先輩!?」


 ふいに天王寺の声が響いた。振り返ると、鵜久森の体がゆっくりと落ちていくのが見えた。

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