三 大空築希の欠陥②
「酷いですよ! 待ちぼうけですよ!」
陽明舎へ行くと、怒る天王寺と出くわした。
「すまんすまん。ところで、大空は居たか?」
「軽っ!? 軽いですよ! 私、ずっとあの感じで立ってたんですから!」
俺はあの雰囲気を維持しながらジッと立っている天王寺を想像する。それはとても面白そうだった。
「あの、ごめんね」
「え? いえ、鵜久森さんは悪くありません。すべては水内くんの仕業ですから」
本当のところ、全部天王寺自身の仕業なんだけどな。勝手に行ったわけだし。
「天王寺さんって凄く上品で、いかにもお嬢様って感じだね」
これを見て本気で言っているのか。いや、きっと機嫌を直すためにおだてているのだろう。最初の時点でそれには気づいたはずだ。
「いえいえ。鵜久森さんこそ、とてもかわいらしくて、ランドセルをお付けしたいです」
「あ、あはは……」
すでに会話は天王寺ペースになっていた。とりあえずもう怒っていないようで良かった。
「大空は?」
「裏に居ます」
「昨日と一緒みたいだな。よし、行くか」
そのまま三人で、陽明舎の裏手へと移動する。
大空は昨日と全く同じ場所で、台本を読み込んでいた。
たった一人という状況でここまで熱心になれるものだ。それはなかなか真似できない。それだけ演劇部、もとい演劇に思い入れがあるのだろう。
「また来たぞ」
大空は、キッとした目をこちらへ向ける。隣の鵜久森は深く頭を下げた。
「取材はいらないって言っただろ」
「今日は取材じゃないんだ。頼みたいことがあってな」
「昨日、初めて会ったやつに頼み事される筋合いなんてない」
大空の言う通りである。俺は気にせずに話を切り出す。
「演劇部に新入部員が入った。そこで、大空の芝居に混ぜてもらいたいんだ」
「は?」
大空は呆れるような声を上げた。理解できなかったようだ。
「鵜久森葵。こいつを大空の劇に出演させてもらいたい」
「無理に決まってるだろ」
怒っているわけではなく、冗談を言われたような対応だった。呆れた顔をして、俺と鵜久森に視線を往復させている。それでも、こちらは真面目に話を続けた。
「鵜久森は二年生だが、この学園祭が最後の思い出になる。そこで、昔からの夢だった舞台に立たせてあげたい。そのために大空の協力が必要なんだ」
話は少し盛っているが、実際、憧れはあったんだ。このくらい言っても嘘にならないだろう。これで同情してくれるとやりやすいのだが。
「そんなの部長に言いな。あたしは知らない」
そう上手くはいかない。大空はつっけんどんに言う。
「部長にはもう話を通してある。その結果、大空の舞台になったんだ」
「……あいつがこっちに寄こしたのか?」
大空は見るからに機嫌が悪くなった。相思相愛ならぬ、相嫌相悪、とでも言ったところか。はっきりとお互いを嫌い合っているらしい。
俺はどちら側に立つこともないが、面倒だしあまり怒らせたくはなかった。
「違う。俺たちが希望したんだ」
「どうしてだよ?」
「人が少ないほうが、急な増員に対応できると思ったからだ」
こういうやつにはわかりやすい理由のほうが伝わりやすいと思い、俺は単純な理由で攻めた。
「そりゃそうだ。で、あたしが受け入れると思ったのか?」
「それを交渉しに来たんだ」
大空は見せつけるようなため息をついた。面倒なことになったと思っていることだろう。
さっさと話を進めたいが、露骨に脅迫するようなことはしたくない。とりあえず、鵜久森が邪魔だった。
「天王寺と鵜久森は少しあっちへ行っててくれないか? 二人で話がしたいんだ」
「了解いたしました」
「う、うん……」
鵜久森は不安そうな顔でこちらを見ている。俺は安心させるために頷いてみせた。
二人が去ると、俺は改めて大空へと向き直った。大空は腕を組み、ジッと俺のほうを睨んでいた。
「普通、どんな状況でも、あたしみたいなのとは組ませたくないだろ。あんな真面目で大人しそうな子」
「そうかもな。だが、その方が面白いだろう?」
「……知るか」
大空は面白くないらしい。自分が嘲られているように感じているのかもしれない。そうだとしたら、それは俺の本意ではなかった。
「他に融通の利きそうなチームがなかった。だが、どうしても鵜久森の夢をかなえてやりたいんだ。お前だけが頼りなんだ」
「あたしだってそんな余裕はないよ」
「わかっている。だから、制送部が協力することも条件につける。裏方を他の部員に頼んでいることだって、本当は大空にとって不都合じゃないか?」
俺の質問に、大空は答えない。俺は続ける。
「今日だって、本当なら大空は体育館で確認したいはずだ。脇島部長との確執によってそれができないのは不安だろう。制送部はその辺りもフォローできる。事前の舞台練習の実現を保証しよう」
これは大空にとって都合の良いことのはず。なびいてくれれば良いのだが。
しかし、大空はツンとしたままだった。
「……いらない。これは自己満だから」
演劇部での最後の舞台。それを、人に見てもらうことよりも、あくまでも自己満足のためだと言い張るようだ。てこでも動かないつもりだろうか。
仕方ない。あまり使いたくなかったが、早くことを進めたいので、すぐに次のカードを出してしまおう。俺は大空の近くへ歩を進めた。
「……なんだよ」
キッと睨みつける。男に近寄られても怯むことなく、こういう表情を返す。肝の据わった女だ。なら、その肝の据わったところを、新入部員のために活かしてもらおう。俺は大空に耳打ちする。
「タバコのことも黙っておいてやるから」
「…………」
大空の目が厳しくなる。はっきりとした怒気を俺に向けていた。
「脅迫する気か?」
「そんなつもりはないさ。脅迫するなら協力なんてしない。何も条件を付けずにただ彼女のことを丸投げするだけだろう」
すっとぼけたりはしないらしい。動揺もない。あくまでも自分が優位にいるような威圧感を持っている。
しかし、実際はこちらが優位に立っている。俺だって弱気にはならない。
「俺は鵜久森の目的を果たしてやりたい。そして、俺たちはそれを、その一部始終をカメラに収めたい。
その中に、すでにお前は含まれているんだ。不良だが一流の役者と噂されるお前も、もう俺たちの番組に必要になっている」
大空はまだ強い目で俺を見ている。でも、表情は少し柔いでいるように感じた。一流の役者、という言葉が効いたのかもしれない。
実際、こいつに実力がないなら鵜久森を託すつもりもなかった。周りからの評価が高いにもかかわらず、窓際に追いやられている大空も、俺の撮りたい映像の一部だ。
だからこそ他のチームを選ぼうとなんて思わなかったのだ。
「俺たちはもう決めたんだ。お前と鵜久森が、最後の学園祭で輝く姿を撮るってな」
「随分勝手な話だな」
撮る理由において、面白さに勝るものはない。見られなければ意味がないのだから。
俺は二人を主役として撮影することを決めた。それが学園祭における、最も良い被写体だと思ったからだ。そして、それはもう確定したのだ。
「もう気づいたかもしれんが、お前がいくら抵抗しても俺は引かんぞ」
「……はぁ」
露骨なため息がこぼれる。さっきまでの警戒心は影を潜め、何かを諦めたように見える。
「制送部って今はこんなことやってんのか?」
「たまにだ。毎週やるわけにはいかんからな。今回はその中でも一大プロジェクトだ」
「ふーん」
大空は考えている。これは是か非かではなく、どうやって対応するかに移っているはずだ。
本来、こいつにとって都合の悪い話ではないのだから、こちらが強引に出たところで反発する必要などない。
「あの子、経験は?」
「全くない」
「……本当に面倒だな」
呆れたような顔をする。実際、三週間でゼロから仕込むなんて相当面倒なはずだ。その負担を押し付けるわけだから、こんな顔にもなろう。
「もし彼女が不真面目にするようなら切ってくれていい。それなら撮る価値すらなくなってしまうからな。その時はタバコのことだって言わないし、変わらず協力する」
「こっちが適当にあしらったら言うってことだな」
俺はにやりと笑う。でも大空はもう怒ることもなかった。
「脅されてやるよ」
独特な言い回しだった。
「やってくれるのか?」
「強制だろ。いいよ、そのかわりちゃんと約束は守れよ」
「もちろんだ」
俺はホッとひと息ついた。でも、一応訂正しておこう。
「脅されたというのはやめておいてくれ。せめて強引な説得に根負けしたぐらいで頼む」
「……注文が多いな」
「うちのボスが気にするんでな」
俺はそう追加の要求をしてから、二人に手招きをした。
○
青春という字は青い春と書くが、青春を直に感じるのは夕暮れのオレンジ色だと思う。
特に学園祭などのイベントに追われがちな秋の日の夕暮れは、今の我々にとって、まさに青春の色と言えよう。
染まる世界の一部になると、映画の中にいるような気分にさせられる。
俺と天王寺は、暗くなる寸前まで鵜久森と大空を撮影した。緊張する鵜久森と、真剣に話す大空はとても絵になった。
この日は打ち合わせのみだった。元々一人芝居だったものを二人でこなすので、その調整が中心だ。
「鵜久森は大空に、台本を明日までに丸暗記してくると言った。演劇経験など全くない彼女だが、最後の学園祭への想いは強い。そのことを証明するために、大空にそう言ってのけたのだ」
「何それ?」
鵜久森が首を傾げる。だいぶ疲れた様子だった。
「こういう感じのテロップが入るってことですね」
「あの、明日までに覚えるって言ったのは水内くんだよね……」
鵜久森はため息をついた。そう、これは俺が大空に言ったのだ。
「鵜久森が自分でハードルを上げたことにしたほうが良いだろう?」
「そうなんだろうけど」
そうぼやいて、手にしたプリントの束に目を落とす。それは先ほどコピーした台本の写しだった。
大空と別れた後、俺たちは校舎へと歩を進めていた。準備が整ったので、気分は晴れやかなものだ。
「でも、本当にびっくりしたよ。演劇部の舞台に出させてもらえるなんて」
鵜久森がしみじみと言う。それはどこか儚いものだった。
「なんとかするって言っただろう」
「どうやったの?」
「それは天王寺力と交渉力かな」
俺は言われたままの単語を使ってみた。当然、鵜久森は首をかしげる。
「天王寺力?」
「ふふふ……」
天王寺は小さい胸が強調されるように体をそらし、ドヤ顔してみせる。
「こいつは結構凄いやつなんだ。アホだけどな」
「あー! 酷いですよ!」
「まあ細かいことは気にするな。過程を気にせず、結果だけを受け入れてくれ」
あまり深く掘り下げられると、また脅迫うんぬんの話になりそうだった。
「あとは、お前ががんばるだけだ」
「……うん」
鵜久森は噛みしめるように頷いた。
学園祭まであと約三週間。さあ、彼女はどこまでやれるのだろうか。どんな感動を見せてくれるのだろうか。それは神のみぞ知る。
その神にならなくてはならないのは俺たちだ。俺はカメラを持つ手を強くした。
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