二 水内春斗の暗躍②

 放送室では、美少女インタビューの編集作業の真っただ中だった。主に部長が。


「おかえりなさいませ、ご主人さま」


 天王寺は俺が入ると立ち上がり、華麗なお辞儀をしてみせる。ボケなのに様になってるのが彼女らしいところである。俺はそれを無視することにした。


「演劇部を調査してきた」


「いけそうなの?」


 優陽は他の舞台発表を調べていてくれたようだ。多分、天王寺も一緒にしていたのだろう。


「多分な。部長、すまないがパソコンを使わせてくれないか?」


「うん、大丈夫だけど」


 仕事を止めるのは悪いが、すぐに済むので許してもらおう。俺はカメラからSDカードを取り出し、パソコンに挿入した。部長がその中にある映像ファイルを開いてくれる。


 ブースの中で漫画を読んでいるバカは放っておいて、三人で部長を囲むようにモニターを覗く。そこに映るのは、さっき俺が撮影した大空築希だった。


「この人がどうかしたの?」


 優陽が言う。正面でそれをジッと見ている部長は口に手を当てている。


「演劇部のはぐれ者だ。こいつを利用したい。天王寺」


「はい?」


 天王寺から素の声が漏れる。俺はにやりと笑う。


「こいつの弱みを握ってくれ」


「弱み……?」


 天王寺はきりっとした声で聞き返した。彼女が面白いものを見つけたときの反応は、俺と同じものだった。


「不良だから容易いはずだ。お前にしか頼めない」


「私にしか」


 悪い表情を浮かべるお嬢様。漫画に出てきそうな金持ちだ。天王寺はこうやってノリで動かすのがちょうどいい。


「この人を脅せば演劇部の舞台を乗っ取れるの?」


 優陽が物騒なことを言う。そんな言い方をすると、制送部の善悪がともに反応してしまうというのに。


「なに? 面白い話してんじゃん」


「脅したりとか……ダメだよ」


 いつの間にか話を聞いていたらしい小鳥遊と、さっきからひやひやしていたであろう部長。制送部の両極が両極端な反応を示した。


 俺はため息をつく。


「脅すつもりはない、交渉するんだ。小鳥遊は寝てろ」


「その適当なあしらい、やめてくれない?」


 しょうがないだろう。部長は説得すべきだが、小鳥遊を相手にする必要などない。


「弱みを握るとか、そういうのはちょっと……」


「これは交渉だ。交渉の際に優位になるものを用意しておくのは当然のことだろう」


「でも弱みって言うのなら、それは脅迫なんじゃ……」


 部長がか弱い目を使って訴えかけてくる。善良な高校生なら屈しそうなものだが、俺は意志を貫きたいところだ。


「……天王寺!」


「――はっ! 歌乃先輩、スタンダップ!」


 俺は例の手段を使うことにした。物わかりの良い天王寺は、すぐに支度をしてくれる。


 天王寺に手を引かれると、部長は特に抵抗することもなく立ち上がった。これからのことを想定していないのか、想定していて抵抗しないのかはわからない。


 部長を壁際に寄せると、俺は壁に手をついて、部長を見下ろした。途端に顔が赤くなる。


「脅迫は相手を怖がらせて強引に成立させる行為だ。しかし、俺がするのは交渉だ。


 なぜなら、俺はあくまでも鵜久森の出演と劇の協力を交換条件にする気しかないからだ。弱みを握るのはその交渉を優位に進めるためのカードに過ぎない」


「は、はい……」


 部長はすでに目を回している。これは制送部の日常風景である。


「だから、俺のしようとしていることは脅迫ではないんだ。わかってくれるか?」


「でも、その――」


「わかってくれるか?」


 ダメ押しで少し顔を近づける。部長も限界が近そうだ。


 ただ、正直俺としても、部長に対してこの距離は恥ずかしい。これは俺が優位に立っていることでできる技だから、ここで俺が照れるわけにはいかない。


 俺は一度壁から手を離し、部長から離れることにした。部長の緊張が緩和する。


「制送部の名において、脅迫という行為は絶対にしない。それは約束する。俺は鵜久森の舞台を用意をして、それを映像に収めたいだけなんだ」


 緩急は様々な物事で有効だ。俺はその強引さから一歩引いて、口説き続ける。


「うん……水内くんは悪いことしないよ、ね……」


 洗脳しているような気分だ。俺は割と本気でこの人の将来を心配している。


 再び壁に手を置いて、部長を見下ろした。


「わかってくれたか?」


「し、信じる……」


 俺は目をつぶり、安どする。勝手に行動することはできるものの、部長に不安な顔をされると気持ちが揺らいでしまいそうになるのだ。


 そのまましばし固まり、再び目を開くと、部長はとろんとした顔で俺を見ていた。しかし、目が合うとすぐに逸らされる。


「本当に恋しちゃいそうだから、そろそろ解放してほしいんだけど……」


「……ああ、すまない」


 それはまずいことだ。俺はすぐに手を壁から離した。


 部内恋愛などややこしいに決まっている。しかも、よりによってこんな洗脳じみた行為で部長を落とすのは気が引ける。


 ふと他の三人を見ると、揃って微妙な顔をしていた。


「……なんだ?」


「いや、微妙な空気になってたから」


 優陽が呆れたように言った。やっぱり俺はやり過ぎたらしい。


「水内くん。歌乃先輩の体触り放題の権利を放棄していいんですか?」


「お前は真剣な顔で何言ってるんだ」


「私なら行使するのに……」


 天王寺が部長を椅子に座らせながら言う。こいつはいつも通りアホである。


「こいつ、何だかんだ言って歌乃先輩に気があるんじゃないの? 歌乃先輩は渡さないぜ」


「……わ、私なんて、そんな良いものじゃないよ?」


 思いっきり照れている部長。すると、小鳥遊は小鳥遊なりに口説きモードに入ったらしかった。


「歌乃先輩、かわいいしおっぱい大きいし、めちゃくちゃ魅力的っすよ!」


 しかし下手くそである。何よりも下品だ。こんな下品なことを言うと、俺が対処せずとも怒ってくれるやつがいる。もちろん優陽だ。


「セクハラするな。殺すわよ」


「ぶ、物騒だって。見た目の感想じゃん」


 小鳥遊の言葉に、部長が顔を赤らめる。すでにセクハラは成立していそうだった。


 そんな部長の体の一部に熱い視線を注いでいるやつがいる。もちろん天王寺だった。


「歌乃先輩、略してかのぱい。ここにはきっと夢が詰まっています」


「……杏奈までセクハラしない」


 天王寺の場合、自身と比べての嫉妬だろうか。いや、言うまい。


 彼女は、座らせた部長をなぜかもう一度立たせる。何をする気かと思えば、今度は天王寺が壁ドンをしていた。


「な、なに?」


「おっぱいを触らせてください」


「えっー!?」


 アホか。どうして真面目な顔をしてこんなことが言えるんだか。部長は部長で動揺しすぎだし。


「おーっ!! その手があったか!」


 隣のバカも声を上げる。部長の反応は、アホとバカのテンションを上げてしまっていた。


「ダメ! ダメだよ!」


「はあ、はあ、ええやないですか」


「なんで関西弁なのよ」


 優陽は呆れすぎてボケっとした顔になっている。俺はその隙にパソコンの席に座ることにした。


「……冗談でしててもさ、ああいうの興奮しない?」


 小鳥遊が俺に呟く。頼むから巻き込まないでくれ、と思いながら天王寺と部長を見た。


「すご……」


 すると、天王寺が本当に部長の豊満なそれを艶やかに撫でまわしていた。確かに小鳥遊の言う通りだ。俺は直視できなかった。


 隣では、優陽が腕を組みながら真剣な表情でそれを見ている。優陽も思うところがあるのだろうか。いや、そんなことより早く止めてやってくれ。


「いい仕事しました」


 渾身のドヤ顔だ。でもそれは喜びだけではなく、どこか天王寺の黒い部分が見えていた。


 本当に大きな胸に対しての憎しみとかではないよな? 俺には訊けなかった。


 部長は気の毒なほど憔悴し、椅子にへたり込んでいた。その姿は妙にエロくて、俺はモニターのほうに目を逸らすことしかできない。


「なんか、貰えた気がします」


「気のせいよ」


「え?」


 うん、気のせいである。俺は撮ってきた映像を見ながら、優陽の素早いツッコミに同意した。


 そろそろこのアホアホ空間も終わりにしたい。いいかげん、本題に戻ろうと思った。


「よっし。僕も――」


 しかし、まだバカが活発だった。小鳥遊のその発言には、俺を含む四人は警戒するしかない。


 部長はさっきまで呆けていたのが嘘みたいな動きで、優陽のほうへと寄っていった。


「……殺すわよ」


「ち、違うって! 触るほうじゃなくて、壁ドン! 僕も部長に壁ドンしたいんだって!」


 いくらなんでも触ろうとしていたとは思っていない。それでも、他の部員は、小鳥遊が何かやらかすのではないかと思い、部長に近づけたくはないのだった。


「ダメだ」


「なんでお前がよくて僕がダメなんだよ!」


 それは、お前以外は全員わかっている。


「お前からは犯罪の匂いがするからな。ネタの範囲で終わらない可能性がある」


「そんなことはない! 僕は歌乃先輩をとろけさせたいだけだ! 僕は純愛だ!」


 強くそう訴える小鳥遊。しかし、優陽がそれを鋭く否定する。


「純愛なんて、比呂光には似合わないわよ。あと何よりも、あんたみたいな獣を、胸以外は小動物系の女子に近づかせるわけにはいかないの」


「む、胸以外……」


 部長は思いっきり照れた。優陽の言動も大概セクハラである。


「なんだと!? 僕が歌乃先輩にふさわしくないって言うのか!?」


「それはお前以外の地球上の生物はみんな思ってるだろ」


「人以外にまで範囲を広げるなよ!」


「おぉ……」


 天王寺が小さく感嘆の声をもらす。何かと思えば、ツッコミに対してか。天王寺は小鳥遊のツッコミがお気に召したようだ。


「不良でバカのあんたが、どのようにして歌乃先輩にふさわしいのか説明してみてよ」


 優陽が問う。すると、小鳥遊は不敵に笑った。


「ふっ……僕の名前を見ろ!」


 小鳥遊は指で胸を示す。湊高校に名札なんてないのだが、昔の癖だろうか。


「ことりあそびと書いて小鳥遊だ! どうだこの主人公ネーム!」


「名字……?」


「そうだ! 僕は漫画の主人公でしかあり得ないくらいの立派な名字を持っている! この名字にはヒロインが必要だろ! どうだ!」


 まさかの主張に唖然とする。どうやら名字だけはふさわしいらしい。なら俺たちも否定はできない。


 思えば、こんなバカに生まれたことで、常に人にバカにされて生きてきたのだろう。だから運動だけはがんばっていたというのに、その性格のせいで続かず、結果的に「ちょっとケンカが強いだけのバカ」に仕上がってしまったのだ。


 名字だけふさわしい。これは小鳥遊の唯一の誇りが、親から受け継いだ名字しかないことを意味しているのだ。


 小鳥遊は名字が生きる支えだった。名字以外なんの魅力もない人間だった。


 今まで、小鳥遊比呂光という名前を、漢字六文字で面倒くさいなどと言っていたことが申し訳なくなってきた。俺は、俺たちは、小鳥遊唯一の自慢を汚していたのだ。


 俺は優陽、天王寺を順に見る。二人は哀れんでいるような表情をしている。天王寺はなぜかスマホを手にしていた。


「優陽」


「うん」


 優陽は部長の壁になるのをやめた。


「えっー!?」


「壁ドンまでだぞ」


「マジで!? うへへ……かのぱい先輩!」


「な、なんでーっ!?」


 小鳥遊が部長に襲い掛かる。部長は放送室内を逃げ回り、ブースへと入っていった。小鳥遊がそれを追う。


 その様子を、天王寺がしっかりと映像に収めていた。


「ほら、ちょっとだけ、ちょっとだけですから!」


「いやーっ!!」


 ブースの角に追い詰められる部長。小鳥遊が逃がさないようにゆっくりと迫っていく。


「本当に変態みたいで草、ですね」


 なぜかドヤ顔する天王寺。ネットスラングな単語も、彼女の守備範囲だった。


「笑うなら普通に笑ってくれ。で、どうだ?」


「この動画があれば、暴行未遂で十分に立件できます」


「じゃあそろそろ止めるわ」


 優陽が素早く中に入ると、小鳥遊の膝裏に、流れるような動きで回し蹴りを叩き込んだ。それは日常的にしていないとできないほど滑らかな動きだった。


「ほげっー!!」


 小鳥遊が床にキスをする。これもよく見る光景だ。小鳥遊には悲鳴がよく似合う。


「怖かったよー!」


「おおーよしよし」


 まるでコントのような動きなのに、部長は本気である。優陽はこれ見よがしに部長の頭を撫でている。


「い、いいんじゃないのかよ……」


「小鳥遊、婦女暴行未遂だ。この映像を見せればお前は停学、退学。下手をすれば逮捕されるだろう」


「なにぃー!!??」


 この紋所が、と言わんばかりに、天王寺はスマホを倒れている小鳥遊に見せつける。そこには、はっきりと証拠となる映像が映っている。はずだ。


「これを提出されたくなければ、人数分の飲み物を買ってきてくれ」


「ちょ、ちょっと待て……お前、さっき脅迫は絶対にしないって言ってたじゃねえか!」


 そういえば言っていたな。俺は咳払いをした。


「これは制送部としてではないから問題ない。な?」


 部長にお伺いを立てると、部長は静かに頷いた。さっき襲われ(壁ドンだが)かけていたため、これは条件反射だった。


「か、歌乃先輩? 僕は別に襲おうとしてたんじゃなくて――」


「小鳥遊、早く行け」


「僕の純愛が勘違いされたまま行けるか!」


 勘違いなものか。俺たちは小鳥遊がバカなことをした、という見解で一致しているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。


 そして、それよりも。


「そろそろ部活を再開したいんだ。早く行け」


「そうそう。もうこのくだりも飽きてきたのよ」


 俺の言葉に、優陽がうんうん頷いた。そう、俺たちは遊び過ぎたのだ。


「……え? なに、この感じ」


「小鳥遊くん」


 天王寺が優しい口調で声を掛ける。小鳥遊はパッと笑顔になる。


「僕に優しくしてくれるのは杏奈ちゃんだけだ!」


「私はフルーツ牛乳でお願いします」


「歌乃先輩も。私と春斗はコーヒー牛乳ね」


「……わかりましたよぉ!!」


 こうして小鳥遊は走り出した。その後ろ姿だけを見ると、主人公と言えなくもない。そんな気がした。

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