一 鵜久森葵の目標②

 翌日の放課後、俺は優陽とともに、二年生のフロアまでやって来ていた。


「何組だ?」


「C組かな」


 今日は部活を確定させるつもりだった。すぐにでも行動しないと、学園祭に間に合わなくなってしまうため、ことを急いだのだ。


「聞き込みのとき、怪しまれなかったか?」


「大丈夫。インタビューのターゲット探しとしてなら、特に怪しまれないから」


 なるほど。美少女という括りに堪えうる人間だと判定されれば、普段の活動として勝手に納得してくれるわけか。


「そうだ」


 そう言って、優陽は声をひそめる。


「学校を辞めるらしい、って話は誰からも上がってこなかったわ」


「もうひと月もないのに?」


 優陽は首を捻り、眉間にしわを寄せた。


「うん。あの様子じゃ、そのことを知らないのかも」


「鵜久森と仲の良いやつとかいなかったのか」


「うん。訊いてみたけど、誰からもそこそこって感じだった。愛想は良いけど人付き合いが悪いから、仲の良い友達がいなかったのかなって」


「なるほどな」


 鵜久森は俺と話していたときも感じが良かったし、人に嫌われるようなタイプではなかった。俺も優陽の推察に賛同する。


「でもさ、学校を辞める、って深い仲じゃないと言えないことかしら?」


 優陽は首をひねる。たしかにそれは、普通に会話する程度の関係でも伝える必要のある重大な事柄だった。


「どうかな。事情によるんじゃないか」


「事情、か。でも――あっ」


 その声に、俺は顔を上げた。どうやら鵜久森が出てきたらしい。先に見つけた優陽についていくと、確かに鵜久森の姿があった。


「こんにちはー」


「はい? あっ、制作放送部の――」


 鵜久森は俺の顔を見て、思い出したようだった。


「水内春斗だ」


「私は宗本優陽です。これから、鵜久森先輩の協力と取材をしていくので、よろしくお願いします。日替わりですけどね」


 愛想の良い優陽。こいつは乱暴なところはあるが人当たりは良い。だから、部としての初顔合わせには優陽が適しているのだ。


「よろしくお願いします。あなたは年上として扱ってくれるんだ」


「こいつがおかしいんですよ。誰にでもこうなんですから」


「そうなんだ。てっきり、私がこんなだからかと」


 二人は笑い合う。呆れられているようだが、気にしないでおく。


「ところで、入りたい部活は決めたのか?」


 相変わらずのタメ口で訊くと、鵜久森は視線を落として首を横に振った。


「これでも迷惑をかけるって自覚はあるからね。ちょっと勇気が出なくて」


「そうか。まあいいさ、今日は見学からだからな」


「今日さっそく?」


「ああ。都合が悪いか?」


「ううん、大丈夫」


 そう言うと、鵜久森は笑顔を見せてくれる。ルックスはともかく、彼女の表情の変化は大人っぽいものだった。


「学園祭二日分、舞台に立つ部と内容は調べてあります。ピックアップもしていますから、その中から見学して決めましょう」


「あ、はい。よろしくお願いします」


 鵜久森は教えを乞うみたいに頭を下げた。



「舞台か。やっぱりそうだよね」


「はい。わかりやすい形ですからね。それを映像に収めることも含めて」


「テレビのことも考えると不安だよ……」


「大丈夫ですよ。鵜久森先輩、かわいいですから」


「そ、そんなことないよ」


 二人の話が弾んでいる。やはり、優陽は打ち解けるのにもってこいの存在だ。天王寺もあれで悪くはないが、取っつきやすいのは優陽のほうだろう。


 これからB棟と、陽明舎という名の部室棟を順に周っていく。部活が多く存在する湊高校で、文化部の部室があるのは大体この二つだった。


「あの、どの部を見学する予定なのかな?」


 鵜久森は俺を見て言った。取り仕切っているのが俺という認識はあるようだ。


「被服部、書道部、合唱部、お笑い研究部、ダンス部、演劇部。以上だ」


 ピックアップしたのは六つだった。これは華やかさで絞った選択肢だ。


「なるほど、ありがとう」


 さっきから、鵜久森の俺を見る目は妙な感じだった。不審か警戒か。もっとも的確なのは「不思議」かもしれない。


 あるいは、自分から話しかけておいて優陽に丸投げしているようなやつだから、呆れているだけか。


 まあいい。俺の、もとい制送部の役割は、彼女を舞台に立たせて輝かせることだ。親しくなる気など一切ないのだ。


 そして、目的はもっと別のところにあるのだから。


 まず、やって来たのは家庭科室だった。ここでは被服部が活動している。


「あ、いらっしゃい」


 被服部の藤原部長が手を振ってくる。


 気さくな良い人で、それでいて貫禄のある二年生だ。三年生もまだ部に残っているが、学園祭での引退に先んじて夏ごろに引き継ぎ、すでに次の代になっているらしい。


 被服部は、他の部に衣装提供などをするため、学内でも広く信頼されている。


 そして、制送部と友好関係にあるため、最初に来るにはもってこいだった。


「すまないな。今日はよろしく頼む」


「いいよいいよ、世話になってるし。じゃあ君――あれ、鵜久森さん? 見学したいのって鵜久森さんだったんだ」


 どうやら藤原は鵜久森を知っているらしい。


「うん。よろしくお願いします」


 鵜久森が頭を下げると、被服部長はまた手を振り、部活動に戻っていった。


「知り合いだったのか」


「藤原さんとは一年生のとき一緒だった」


「そうか」


 親しいわけではないようだが、知り合いなら心強いかもしれない。鵜久森の目的を達成させるためだけなら、被服部は都合が良さそうだ。


 ただ、都合が良い、を優先させる気はない。これは鵜久森のためだけではなく、テレビで放送する作品でもあるのだから。


 被服部の発表はファッションショーだった。教室内では、試着した服の試着、それと並行して作業を行っている。


 この作業の中には、自分たちの部以外のものも多く含まれている。他の部への服装協力も、被服部の重要な役割だった。


 二〇分ほど見学すると、俺たちは家庭科室を後にした。


「そういえば、被服部の発表は例年通りのはずだから、鵜久森は見たことがあるか」


「ううん。私は去年の学園祭に来られてないから見てないんだ」


「そうなんですね」


 その辺りも、学校生活が希薄、ということか。学園祭という行事は、この高校では誰もが喜ぶものだと思っていた。


「でも良いよね。憧れる」


 鵜久森の反応は良い。上々の出だしだった。


 しかし、俺としては微妙だった。活動は称賛に値するが、鵜久森を目立たせるためには難しい部分が多い。


 舞台発表となると、モデルとしての出演である。芸能科も含めた面子の中で、鵜久森が立ったところでどうも特別なイメージが残らないように思う。この幼さはその点で厳しい。


 他の候補が無理だったときの最終手段。そのくらいが妥当だろう。


「とりあえず全てを見てから決めるつもりでいてくれ。次は書道部だ」


「あ、はい」


 俺が歩き出すと、鵜久森と優陽もそれに従う。


 時間は限られている。なんとか時間内に制送部の希望と鵜久森の希望を合致させたい。


 ある程度、彼女の意志をコントロールすることも視野に入れ、俺は策を練っていた。


 書道室で書道部の活動を見学した後、陽明舎ようめいしゃに移動する。


 湊高校の主だった建物は、普通教室のあるA棟、それとL字に連結しているB棟。二つはまとめて校舎と呼ぶことが多い。


 あとは第一体育館と第二体育館、温水プール。運動部部室が集まる天光舎てんこうしゃ。そして、陽明舎だ。


 部室棟の二つは校舎から離れているため、陽明舎へ向かう俺たちは靴を履き替えてから外へ出た。


 校舎から校門までの長い道の左右には、それぞれ野球場やサッカー場などの運動場がある。


 天光舎はそれに合わせたのか、比較的校門寄りに建っている。まあ理にかなっているのだろう。


 しかし、陽明舎は校舎裏の森の中という珍妙な場所にあった。最も新しい建物だし、部活が増えていく中で強引に追加したように感じられる。実際、その通りなのかもしれない。


 俺たちは舗装された一本道を歩き、陽明舎へと向かっていた。


「来てみたかったんだよね、陽明舎」


「虫が多い、って怒ってる人も多いですよ」


 二人の会話を聞きながら、俺はポケットに手を突っ込んで後ろを歩いていた。


 書道部も好印象だった。大きな筆で行うパフォーマンスは華やかだとも感じた。


 ただ、あれを下手なやつがやると、全然印象が違うだろう。三週間で仕込めるものではなさそうなため、最初から無理だったのかもしれない。


 被服部と比較したところで、最初に切るしかなかった。



 合唱部、お笑い研、ダンス部と見終わった。どれも鵜久森の反応は良かったが、単にこいつが人のすることを悪く言えない性質である可能性も否定できない。


 俺は三つとも向かないと思った。


 合唱部は鵜久森が目立てないし、残りの二つは候補選びから間違っていたのかもしれない。


 性格的に厳しいお笑い研(喜劇的なものなら良いと思ったのだが、あまりにもコテコテだった)と、身体能力的に厳しいダンス部は、鵜久森には無理だった。


 だから、やはり被服部が有力のようだ。


 いよいよ、最後の演劇部だ。俺たちは、今日演劇部が活動している陽明舎多目的ホールへと足を踏み入れた。


「こんちは」


 静かに入っていくと、一応事前に連絡してあるが、奇異な目で見られてしまう。部外者の侵入に警戒するのは、それだけ学園祭のために集中して練習しているのだろう。


 湊高校演劇部は共学と思えないほどの女子率を誇っている。元々女子が集まりやすいのかもしれないが、現在、女子が一〇割である。


「……ああ、制送部ね」


 演劇部部長の脇島わきしまが小さなため息とともにやって来た。


 脇島は三年生だ。演劇部は学園祭という最高の舞台のために、三年が引退しておらず、まだ現場を仕切っている。


「ああ。よろしく頼む」


「いいけど、ちゃんと本番の撮影も頼むわよ。代替わりしたことで信用したんだから、さ」


 そう言って去っていく。あまり反応が良くないのは、部同士の関係が悪いからだ。


 聞いた話、ここは真剣に俳優を目指している部員が多いため、テレビ放送を利用したがったらしい。そうしていくうちに前体制の制送部ともめたようだ。


 制送部は前体制で悪評を生んだ。


 しかし、現在は歌乃先輩以外の部員が入れ替わっている。だから俺はこれからのことも考え、演劇部と関わり、警戒を解いていきたいと思っていた。


「三年生にもこんな態度なんだね」


「そうなんですよ。呆れちゃうでしょ?」


 鵜久森はこの微妙な空気に気づいていないのか、あるいは気にしないのか、さっきまでと同じように優陽と話していた。少し安心する。


 演劇部の活動は本格的で、体育会系の部活のような張り上げた声がホールを支配している。部員の数も多く、ピリピリした空気感だ。


 ホール内で少し段差のあるところをメインとして使っているが、他の場所でも練習している姿がある。これは大所帯の演劇部が、チームごとに発表するからだ。


 部内での競争も盛ん。だからこそレベルも高くなるのだろう。


 隣を見ると、鵜久森が見入るように固まっていた。明らかにさっきまでとは反応が違う。


 鵜久森は演劇部を望むかもしれない。俺は想定を始める。


 ハードルは高い。このレベルの中で、鵜久森が舞台に立つのは困難を極めるだろう。


 ただ、見映えの良さでは断トツだった。こんな舞台に立てたなら、最後の思い出にふさわしいものになるだろう。


 今のうちにここを諦めさせるように促していく手はある。


 しかし、俺自身が絵としての魅力を感じ始めている今、諦めさせたいとは思わなかった。


 ホールを出ても、演劇部らしき生徒が声を出していた。五人で円陣を組んでいるやつらもいれば、一人でぶつぶつと練習しているやつもいる。


 俺たちはそれを横目に、陽明舎から離れていった。


 道すがら、鵜久森がぽつりと言った。


「私、昔は演劇部に憧れてたんだ」


「そうか」


 元々持っていた憧れ、そして間近で見たインパクトにより、鵜久森は魅了されたようだった。


「演劇部かぁ……」


「高いハードルだな」


 俺と優陽は密かに相談する。すると、鵜久森はそれを察したように、苦笑いをした。


「大丈夫だって、あんな中に入れるなんて思ってないから、ね」


 そう言って、鵜久森は歩を速めた。


 諦めたというその背中は、それをさらに小さく見せた。俺は見学中から考えていたことを口にすることにした。


「無理とは言ってないさ。それに、あそこが鵜久森の目的達成に最もふさわしいと、俺も見て思った」


 鵜久森は立ち止まって振り向いた。夕陽が彼女を赤く染めている。


「俺たちがなんとかしよう。お前は演劇部の舞台に立つんだ」


「そんなこと、できるの?」


「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。そして、一番大事なのはお前がやりたいかだ」


 俺は問うた。鵜久森は一瞬だけ下を向くが、すぐに俺の目を見て、


「やりたい」


 と言った。決まりだった。


 鵜久森との別れ際、優陽が色々と話をしていた。


「――ですから、意味が分からなかったら無視してください。あの子はそれで傷つかないので」


 優陽が言っているのは、次回接触する天王寺のことだ。癖のある天王寺への対処法をあらかじめ助言しているのだ。面倒なやつである。


「今日はいろいろありがとう」


 ぺこりと頭を下げる。そうして、俺たちは鵜久森を見送った。


「本当に大丈夫なの?」


 優陽はこちらを向き、心配そうな顔で言う。


「演劇部か」


「うん。あの部長、ああいうの許容するタイプの人じゃないでしょ」


「まあな。でも四つもグループがあるなら、一つくらいは入る余地があるだろう。それに――」


 俺は一度放送室に戻るため、体を校舎に向ける。少し照れもある。


「俺たちは被写体にとっての神でなければならない」


「はぁ?」


「シナリオができたんだ。ならその通りに進行するのが俺たちの仕事だ。まあ、何とかしてみるさ」


 俺は歩き出した。優陽も、それを見てかすぐについてきた。


「もう……」


 呆れているような声が漏れる。でも、それは少し笑っているようにも感じた。



 俺の家の二階には三つの部屋がある。


 階段を上って左にあるのは転勤して単身赴任している父の書斎で、右の手前が俺の部屋だ。


 右の奥のドアの前の床には盆が置いてあり、その上には手つかずの食事がある。


 ……いや、手つかずではない。少しだけ、食べたような跡があった。俺はホッとする。


「ただいま」


 返事はない。でも俺は続ける。


「少し食べたんだな。良かったよ。何か食べたいものがあったら言ってくれ」


 返事はない。いつものことだった。


 俺は荷物を自室においてから、盆を片づけた。


 あの部屋の中には妹の櫻子がいる。顔を合わせることはほとんどなく、生活音が時折聞こえるだけではあるが、確かにいるのだ。


 俺は彼女に、自分の意志で外に出てもらいたいと思っている。


 そのためには人も環境も利用するのだ。

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