第一章

一 鵜久森葵の目標①

 みなと学園高等学校は普通科と芸能科のある私立高校だ。芸能科、という特殊なコースが特徴だが、部活動の種類や、それに関する設備の充実度など、他にも注目すべき点は多い。


 内部から実態を総括してみると、ここは何かに特化した変わり者の集まる高校だった。


 なんでも「偏差値よりも個性を伸ばせ」というのが創設者の主張らしい。それにより、昔から部活動に重きが置かれているのだ。


 特別教室が並ぶB棟に、俺、水内みずうち春斗はるとの所属するセイソウ部が活動している部屋がある。


 「セイソウ」というと掃除のボランティアでもしている部活動かと勘違いされることもあるが、これは略称である。


 その部屋は放送室だ。部活動の名は制作放送部。略して制送部だった。


 放送室の鍵はかかっていなかった。先に誰かが来ているようだ。部長だろうか、と思いながら俺はドアを開けた。


 そこには女子生徒がいた。ハーフアップの髪が白いリボンでまとめられており、清楚なお嬢様という雰囲気を漂わせている女だ。立ち振る舞いも上品で、この場所にふさわしくなかった。


 彼女はぎこちない動きで、なぜか掃き掃除をしていた。真っ先に来て掃除をする優等生でも演じているのかとも思ったが、そうではない。


 これはギャグなのだ。「制送部が清掃部」というお嬢様ジョークである。


 それに気づいた俺だったが、特にツッコミを入れることもなく、ただそれを眺めることにした。すると、彼女はチラチラとこちらを窺ってくる。そういうところをもう少し隠せたらいいのに。


「……ツッコミどころですよ」


 彼女はそうささやいた。どうやら俺の勘が悪いのだと思ったらしい。アホか。


「天王寺よ。その程度では俺はツッコまない」


「清掃と制送をかけた高度なギャグなのにですかっ!?」


「驚きすぎだから」


 がっくりする女、天王寺てんのうじ杏奈あんな


 その見た目のお嬢様感を裏切らないほどにちゃんとしたお嬢様であるはずなのだが……なんというか、ふざけたやつだ。


 赤いリボンは一年生だ。クラスは違うが同級生である。


「水内くんは厳しいです。慣れないお掃除をがんばっていたというのに」


「だからか、かなりぎこちなかったからな」


 天王寺は椅子に腰かける。そういった振る舞いも全て煌びやかなのに、中身はこういう性格である。まあ、だから面白いやつだと思ったわけなのだが。


 俺はパソコンの電源を入れ、その前に座る。すると、それと同時にドアが開けられた。


「こんにちはー」


「おーっす。水内と杏奈ちゃんのほうが早かったのか」


「こんにちは、歌乃かの先輩に小鳥遊たかなしくん」


 やって来たのは二年の愛川あいかわ歌乃かのと、クラスメイトの小鳥遊たかなし比呂光ひろみつだった。共に制送部であり、愛川歌乃は部長である。


「杏奈ちゃん、掃除してたの?」


「え? いえ、あはは」


 部長は部内で唯一の先輩だ。見た目からおっとりとした大人しい人なのだが、それに似合わない大きな胸が男を魅了してやまない。


 その優しい人柄は、後輩の暴走を許容してくれる。心の広い人だった。


制送部は、とある事情から部長一人となり廃部寸前だった。そこを俺たちが乗っと――いや、救ったのだ。そして今に至る。


「まあ天王寺の奇行にはツッコまないでやってくれ。部長、小鳥遊と一緒に部屋に入ってくるのは不安になるからやめよう。事件性を感じる」


「どういう意味だよ!」


 小鳥遊は茶髪の刈上げ姿で、関わりたくないタイプの不良に見えるのだが、その中身はただのバカである。


「清純な歌乃先輩がそれをつけ狙うヤンキーと一緒に行動していると、水内くんも心配になるんですよ」


「杏奈ちゃんまで冗談きついよ。僕は紳士的に歌乃先輩をエスコートしてきただけだよ」


「あ、あの。そこで偶然あっただけだし、つけ狙われてなんてないよ」


 苦笑いしながらそうフォローする部長。しかし、そうして少しでも優しくするとつけあがるんだから、その対応は適切ではない。


「やっぱり歌乃先輩は優しいなー。今度一緒に映画行きましょうね!」


「え? あの――」


「イヤだ」


「お前に言ってないだろ!」


 変わりに答えた俺に、小鳥遊は声を荒げた。


「小鳥遊くんは誰でも誘っちゃうからいけないんですよ。私もすでに百回くらい誘われてますし」


 天王寺にまで指摘される。そういえば、以前はそういう光景をよく見た気がする。一筋縄ではいかない天王寺を狙うのはもう諦めたのだろうか。


「そ、それは盛りすぎじゃない?」


 盛りすぎだとしても、軽いから相手は警戒するのだ。顔は悪くないのに、そのチャラさとバカさで女が逃げていく。


 小鳥遊はそういうやつだった。


「でも今回は本気ですから! 歌乃先輩! 一緒に映画を観に行きましょう!」


「ええっ!?」


 距離を縮めていく威圧的なナンパを始める小鳥遊。


 そういうことに弱い部長を守らなければならないのだが、ドアの向こうに一人の女の姿が見えたので、俺は見守ることにした。


「一回くらい一緒に行きましょうよ。絶対楽しいですから」


「あ、あの、私と行っても、楽しくない、よ?」


「僕が楽しくしますから。うへへ」


 それにしても下品だ。天王寺を見ると、素早い操作で動画撮影を始めている。証拠は逃さないということだろう。


「今週の土曜日なんてどうです? 駅前に集合して、一緒にいけぶっ――!!」


 急に――俺はそうでもないが――ドアが開けられた。すると、いけぶっという謎の悲鳴とともに、前にいた小鳥遊が吹っ飛んでいった。


「あ、ごめーん。比呂光がいること知らなかったから、ドアを思いっきり蹴っちゃった」


 そこに現れたのは、宗本むねもと優陽ゆうひ


 表向きは、特に女に優しい真面目なやつなのだが、裏では口が悪く手も早い。こいつもクラスメイトだ。


 短めのポニーテールが活動的な印象を与え、この部で最もきびきびと動く彼女によく似あっている。


「お前は普段から足で開けてるのか!」


「神のお告げで、たまたま今日は足で開ける必要があったのよ」


「前に他の人がいたらどうする気だったんだよ!」


「ちゃんと比呂光がいるって確認したから大丈夫よ」


「矛盾してるじゃねえか!」


 優陽は俺とともに、クラスの厄介者である小鳥遊のお目付け役をさせられている。しかし、俺たちがその職権を悪用し、小鳥遊で遊んでいることは否定できない。


「杏奈ちゃん! 今の酷くない!?」


「シミュレーションですね。ノーファールです」


「そんなわけあるか!」


 最近ではすっかり天王寺のおもちゃにもなっている。部長にもこのくらいできるようになってもらいたいものだ。


「そんなことより、春斗」


「そんなことより!?」


「例の情報を調べてきたわ」


 優陽はケロッとしながら言う。


「おお、助かる」


「あ、ちゃんと私も調べてきてますよ」


 スマホをしまいながら、天王寺はビシッと頭に手をやる。俺は有能な部員の存在に口元を緩めた。



「容疑者は鵜久森うぐもりあおい。二年生ですが一年生に間違われたり、あるいは中学生以下に間違われたりするほど幼い容姿をしています。


 背の低さや、髪をショートカットにしていることも要因の一つですが、その童顔が最も大きな理由でしょう」


「天王寺」


「なんでしょう?」


「容疑者ではない」


「いえ、彼女には『小学生料金で電車に乗った容疑』がかけられています。私に」


「知らんがな」


 こいつは本当に一ネタ入れないと気が済まないのか。けして笑わせようとしているわけじゃないところが微妙にたちが悪い。


「でも本当にかわいい人だったわね。春斗ってロリコンなの?」


「俺は別にそんな目的で声を掛けたんじゃない。で、天王寺の報告はそれじゃないだろう?」


「はっ。両親と歳の離れた弟との四人家族。自営業の共働き。家族仲は良好。家庭環境に特段変わったところはありませんでしたっ」


 それを先に言ってくれ。俺と優陽はため息をついた。


 放送室内はガラス一面でブースとサブに隔てられている。ブースは撮影や録音に使えるところで、サブが機械の揃っているところだ。


俺たちはサブの中心に長机を一つ置き、それを囲むように座っていた。


 右隣では小鳥遊があくびをしている。左隣、上座に座っている部長は、天王寺の発言に苦笑いしていた。


「優陽は?」


「クラスを探ってみたけど、目立つ存在じゃなかったわ。男女ともに、かわいい子、くらいの印象ね。


 気になるところを上げるなら、学校生活が希薄な気はするかな。授業が終わったらすぐに帰る人みたい。自営業なら手伝いとかしてたんじゃないかしら」


 学校生活が希薄、か。なるほど。


「なんだか、探偵会社みたいになってるよね……」


 ボソッとこぼす部長。それは否定できなかった。


「で、この人でいくの?」


「ああ、問題ないだろう。今まで学校生活に消極的だった女生徒が、学校を辞める前の思い出として、最後の学園祭で日の目を見るドキュメンタリーだ。


 これは良い番組になる」


 鵜久森葵は学校を去る。自主退学だ。その前に何かしようと、あの日、部活を探していたのだった。


「私も良いと思います。魅力的な番組になることでしょう」


 すぐに前向きな言葉を返してくれたのは天王寺だった。優陽はなぜか渋い顔をする。


「優陽は反対か?」


「内容的には反対ってわけじゃないけど……。これってようは、学園祭という晴れの舞台で、この人を中心に撮影するってことでしょ?」


 そう言って、優陽は部長の顔を窺う。


「うーん、困る……かな」


「ですよね」


「あの、一応テレビ局から、こういう感じのを撮ってってプランがあって、学園祭は結構重要で……」


 部長は気を遣うように言った。我々制送部の活動方針に関わることだから、もっと堂々と言ったらいいのに。


 湊高校は、毎週金曜日、地方局の早朝に二十分の放送時間を持っている。その番組制作を行っているのが、他ならぬこの制作放送部だ。


 これは、湊高校に現役の芸能人が在籍していることと、芸能科が芸能人を多く輩出している実績にテレビ局が目を付けたもので、もう十年以上も続いている。


 学内を撮影することで、後のお宝映像として使われたこともあるそうだ。


「大丈夫だ。こっちは過程のほうが重要になるから、当日に密着している必要はない。そのプランにも沿うことは可能だ」


「でも、こっちも過程があったほうが――」


「では、そのプランというのはどういうものなんだ?」


 俺が訊くと、部長は明らかに焦ってしまう。どうやら俺は部長に怯えられているらしい。


「え、えっと、女優や俳優の娘さんが活躍している絵が欲しいって」


「ふむ。具体的に挙がったのか?」


「えっと……特には」


 俺は立ち上がる。やっぱりそこまでの意志はないようなので、ここからは力押しすることにした。


 俺は部長のそばに立ち、無表情で見下ろす。


「ミナ高学園祭に、現役バリバリに活躍しているやつは参加しない。だから、テレビ局は未来のお宝映像に備えて候補だけでも撮らせておきたいんだ。


 でも、その候補なんて見当もつかないから、七光りだけ抑えておけって程度のプランだ」


 いつの間にか立ち上がっていた天王寺が部長を立たせ、椅子を横にどけた。


「絶対、僕より水内のほうが危険だよね」


「否定はしないわ」


 二人の声を無視し、俺は部長を壁際に追い込む。そして、壁にドンと手を置き、再び部長を見下ろした。


 すると、部長の顔が真っ赤になる。


「俺はそんなしょうもない映像よりも、今を必死に生きているやつを撮りたいんだ。それはダメなのか?」


「え? いや、あのー……」


 部長は「壁ドン」というシチュエーションに異常に弱い。俺がこうすると、顔を赤くして目を回してしまうのだ。


「面白い映像や感動する映像さえ撮れば、テレビ局だって文句はないさ。そうだろう?」


「そ、そうかな……」


「そうだ」


「そう……」


 部長はもう落ちていた。あとは言質を取るだけだ。


「ということで『鵜久森葵、学園最後の思い出づくり』の撮影をする。いいな?」


「はい……」


「よし、決定だ」


 俺は振り返り、席に戻った。部長のアフターフォロー――椅子に座らせるだけだ――は天王寺がしてくれている。


「じゃあ、来週に渡す分はこの前の美少女インタビューでいいとして、数週間分はこれから撮り溜めってことでいい?」


「ああ」


 さっそく日程表を作ってくれる優陽の有能さに俺は舌を巻く。


 学園祭までは三週間。ノルマを埋めるためだけの映像と、鵜久森葵の映像を並行で撮り進める。これで決まった。


「じゃあ部活から決めよう。何か候補はあるか?」


「落研!」


 声を上げたのは天王寺だ。俺は鵜久森が落語をしている様子を想像――できなかった。


「候補だからな、うん。でもできるだけ現実的なものからくれ」


 こうして制送部の新たな作品の方向性が決まった。


 鵜久森葵。彼女の活動をバックアップし、それを映像として収める。それが、俺たちの学園祭の作品だった。

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