55 「……旦那様、さすがにどうかと思うんじゃが」
リリヤの悲痛な叫びと、頭部が床にぶつかり落ちる鈍い音が室内に響き渡る。殺されたという幽霊が、不愉快そうに眉を潜めた。
「……旦那様、さすがにどうかと思うんじゃが」
「うるさい! セオドアさえ消えればなんとでもなるんだ! お前は黙ってリリヤを押さえていろ!」
先程までの沈痛さはどこに行ったのか、ラウルが怒号を響かせる。
エレオノーラは目を伏せて溜息をついた後、衛兵のように背後からリリヤの脇に手を回して動きを封じる。
「おいこらエレオノーラ、離せ! エレオノーラァ……!」
幽霊同士なら幽霊にも触れられることが出来るらしい。幽霊に動きを封じられたリリヤは、最終手段としていた死体に憑依することもできない。
「っ……ラウ、ル……」
首から手を離させようともがいてはみたが、首にかかっている腕の力は強力で外れる素振りを見せない。
「やはりお前は世間知らずのお坊ちゃんだ! こんなに詰めが甘いんだからな!」
感情を高ぶらせたラウルの声が聞こえる。鼓膜に刺さる声は、以前リリヤに言われた言葉を思い出させるには十分な物だった。
ーーそしてそういう奴が寝台の中で死んだことはなかった。
まさしくこの状況を指した言葉だった。
あの時、ラウルに紅茶を飲ませたことが悪かったのか。セルゲイの命まで犠牲にしてしまった。
最初は痛さだけだった感覚も、時間が経つにつれ苦しみの方が強くなっていく。
自分の好きな時に胸を上下できないことが、こんなにも辛い物だとは思わなかった。
「お前もお前だ。これみよがしにレイモンドの服など着てきて、私を笑いにでもきたつもりか? お前は若い頃のレイモンドによく似ているからな。一目見た時から不快で仕方がなかったよ!」
充血した目をこちらに向けるラウルの手の力は強まるばかりだ。
後ろでは相変わらずリリヤの声が聞こえてきたが、何を言ってるかまでは聞こえなかった。
「私はユユラングの一族が大嫌いなんだ……どいつもこいつも勝ち誇った顔をして……。館ごと燃やしてしまえば状況が分かる物はなくなるんだ。お前は私に借金を断られ錯乱したとでも伝えておいてやるさ! だから死ね!」
ラウルは一際声を張り、最後だとばかりに手に力を込めてくる。
なんとか喉の手を外そうと試みたが、上手く手に力が入らない。爪がラウルの手の甲を引っ掻いていくばかりだ。
「……っ」
口から洩れる音も、弱々しく微かな物に変わっていく。
視界もぼやけてきて、頭の中が呼吸をすることしか考えられなくなった頃。
ゴン! という鈍い音に、何かが床に落ちて割れる音が室内に響き渡った。
「っう」
ラウルの物と思われる呻き声が次いで響き、魔法にでもかかったかのように首にかかった手の力が抜けていく。先程セルゲイの死体が降ってきた時のようにラウルの体も覆い被さってきたが、今度は何の躊躇もなく男の体を振り払うことができた。
「っは、ぁ、なにが」
ラウルから急いで距離を取り、喘ぎ喘ぎ呼吸を繰り返す。指先にまで酸素が行き渡る不思議な感覚が戻っていく。
俯きがちだった顔を上げると、正面にはリリヤが尻餅をついている姿が映った。
突然のことに、本人ですらよく分かっていないような表情を浮かべている。
「リリヤっ……」
少女の名前を口にして思い出した。
リリヤはエレオノーラによって拘束されていたはずだ。
彼女が一人で尻餅を付いているのは不自然だ。
急いで振り返り、自分が首を絞められていたソファーに視線を向ける。
「あ……」
思わず呟きを零していた。
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