50 「旦那様の言うことは絶対じゃからのぅ」

 やはりリリヤに会う前に会った幽霊は彼女だ。こんなに華のある人を、間違えられるわけがない。

 自分の視線に気がついたのか、エレオノーラが人々を惑わす海の精霊のように唇の端を持ち上げる。馬が近くにいるからかこちらに来ないリリヤをよそに、つかつかとゆっくり近寄ってきた。


「こんにちは、セオドア様」


 高飛車ながらも落ち着いている声に名前を呼ばれる。

 使用人が門先にいる以上返事ができず、意図的にゆっくりと瞬いて答えた。


「妾はエレオノーラ。クオナの幽霊じゃ」


 切れ長の目を細めて女性は含みのある笑いを漏らす。

 自分からこんなことを言ってくるなんて、やはりクオナは狙って自分を揺さぶりにきていたのだろう。目の前の美女を見る目が厳しくなっていく。 


「セオドア様も色々と聞きたいじゃろう? 妾はあなた様に期待をしていてな、中で待っている。ふふ」


 しかし女性は笑みを浮かべたまま、別段気にしていなさそうに喋り続ける。

 期待、と言われても王が家臣に言うような期待ではないだろう。素直に喜べなかった。

 喋り終えた後エレオノーラはドレスの裾を持ち上げて微笑み、一礼をしてからリリヤの傍へと帰っていく。


「お前、うちのに何を言ったんだっ」


 戻ってきた女性にリリヤが噛み付いている声が聞こえた。エレオノーラは口元をドレスの裾で隠し、物乞いを見るような目を少女に向けた。


「ただの挨拶じゃ。……にしても出無精で有名なセオドア様が、まぁよくここまで来てくれたものよ。嬉しくて涙が出そうじゃ」


 エレオノーラの声も聞こえてくる。

 出無精で有名。ラウルを始め近隣諸侯は自分のことをそう噂していたのだろうか。


「ふんっ、そう仕向けたのはそっちだろうによく言うな」


 リリヤの言葉にエレオノーラは笑みを深め、とぼけるように小首を傾げた。


「旦那様の言うことは絶対じゃからのぅ」


 そして二人の幽霊はそれ以上会話を交わさなくなった。

 身を翻してエレオノーラが館の壁を擦り抜け、入れ替わるように玄関か開く。

 視線をそちらに向けると、シャツにベストと普段着のような格好をしたラウルが出てきた。

 こっちは服にも気を遣ったが舐められたものだ。

 隣領の領主を見る目がすっと細まった。


「セオドア、突然の時間変更悪かったな」


 ラウルは門を開けたままこちらを見下ろしてくる。

 自分を見た瞬間、鳶色の瞳にあからさまな嫌悪が走った。自分は思ってた以上にラウルに嫌われていたようだ。誕生日の本もやはりご機嫌取りでしかなかったのだろう。

 玄関は石畳の上にあるので、ラウルを見上げる姿勢になった。


「いえ、本日はお時間を割いて頂き有り難うございました。本来なら気の利いた手土産でも用意するところなのですが」

「止めろ、そんな形式張った挨拶お前には似合わんよ」


 不愉快そうに挨拶を遮り、伯爵は門前で困惑している使用人達の方を睨みつけた。


「お前達はそこで待っていろ、私はセオドアと二人で話し合いたいんだ」


 威圧的に放たれた言葉はささくれ立っていて、機嫌の悪さを少しも隠そうとしていなかった。

 そうは言っても証人のいない会合に信用などない。

 それにクオナの館は使用人が少ないのだから使用人達の立場もある。使用人の一人が戸惑いの瞳をこちらに向けてくる。

 だが自分もラウルと二人で、白髪の人について話してみたかった。


「……一先ずクオナ伯の言われる通りにします。けれど、これは話し合いです。少ししたら、使用人を呼んでも構わないでしょうか」

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