21 「逃げるなよ」
人懐っこい笑顔を浮かべる姿は、墓地で会った時の鬼気迫る表情とは全然違いう。ジャックの性格もあるのだろうが、自分が領主になると決めただけでこんなに人は落ち着くのかと驚いた。
「誰かを殴らない限り大丈夫だよ」
改めて責任の重さを感じ、してはいけない約束を交わしてしまったような罪悪感に襲われる。
ジャックには啖呵を切り仕事を斡旋する約束もしたが、クオナからの要求をどうするかも、税のことも何一つ解決していない。下手するとこの少年に給金を払うことだってできないかもしれない。
無理だ、と思う気持ちは変わらないが、リリヤが居てくれることの心強さと、やると決めたおかげで心がすっとした気がした。
「人手不足なら他にも言ってくれよ。何かくれるなら何だってやるからさ」
ジャックはまるで、自分達の生活が安定したとばかりの緩んだ表情だ。
「覚えておく」
その後は、ジャックが出来る仕事を何点も挙げていくのを聞く形になった。
どうやらジャックは色々な場所で仕事を得てきたらしく、港やクオナ領でも仕事をしたことがあるという。妹が七人もいて大変らしいが、本当なのだろうか。
港で働いていた時の話は自分の知らない世界で聞いていて面白かったが、道に人工物が増えてきたため話を一度中断した。
「ジャック、そろそろ手を離して貰ってもいい?」
「それは嫌だ」
「そうは言ってもね、これから領主になるのを宣言しに行く人が誰かに捕まっていたら不自然だよ。強制的に言わされたみたくなるだろ。それは君も困らない?」
ジャックを見ながら説き伏せていくと、黒髪の少年は嫌そうに眉を顰めしぶしぶと手を離した。
一気に手先まで血液が流れていく感覚がする。
「逃げるなよ」
城門前の通りとなると、衣類や草花の露店が出ていて人が増え始める。
半島最北端の領で港町は、木彫りの細工などの露店も並び、門前通りが一番賑やかな場所となる。
普段なら野菜や肉が売られていることも多いが、今はさすがに店を出していなかった。
今まで何人かとすれ違ったが、誰も自分には気がつかなかった。
「君も疑り深いなあ」
呆れた声で返す。ここまで来て誰が逃げるというのだろう。
「そうは言ってもあんた、現行犯じゃんか」
隣からジャックの冷えた声が聞こえる。その奥には領内の景色を見ているリリヤが映る。
「それは……反省している。ごめん」
謝罪の言葉を口にすると、痩せっぽっちの少年が意外そうにこちらを眺めてくる。
「ふうん」
値踏みしているような視線を感じながら歩いていくと、段々通りを埋め尽くさんばかりの人だかりに出くわした。
門は跳ね橋を渡った先にあるが、跳ね橋には柵がない。下には人口的な堀が広がっているが今は水が入っていない。
落ちたら怪我は免れないので、跳ね橋の上に詰めかけることはさすがに使用人が許さなかったのだろう。
人の多さに一瞬怯んだが、決めた以上は足を前に進めた。
「失礼します」
喧騒の中声をかけながら人混みをかき分けて進んでいくと、ゆっくりながらも前に進めた。
自分が前に進むことばかり考えていたからか、どうやらジャックとはぐれてしまったらしい。ふと振り返って気が付いた。
「あいつなら後ろにちゃんといる、安心しろ」
内心焦っていると、頭上からリリヤの声が聞こえてきた。
視線だけを上向かせてリリヤを盗み見ると、絵本の挿絵に描かれた天使のように上空に浮かんでこちらを見ている少女と目が合った。
幽霊ならではの光景をしばらく眺めていると、面白くなさそうに少女は続けた。
「いくら私とて自分から人間はすり抜けられなくてな」
相槌の代わりに瞬きをして応え、再び前に進む。
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