2 「……無理だ」

「ごめん、下がってくれないか」


 一人になりたくて、強引に話を切り上げる。


「え、あ、……はい」


 突然話を終わらせられたアレックスが言葉に悩みながら頷き、一礼をした後に扉を開ける。御者の後ろ姿を見送り、しばらく立ちすくんでいた。

 信じたくない余り動けなかった。

 窓の外から女性の悲鳴が聞こえ我に返った。何事かと窓を開け、城門前の通りを見やる。

 通り側にあるこの部屋からは、跳ね橋の向こうに広がる通りがよく見えた。通りには、赤いシャツとズボンに身を包んだ体格のいい男を中心に、人が集まっていた。


 一際目立つ格好をしているあの人は号令屋だ。

 文字が読めない人にも伝わるよう、様々な事件を叫びながら領内を歩き回る大切な職業。

 林檎と、薄くて固いパンの入った籠を投げ捨てたと思われる老婆が、通りにへたり込んでいる。先程の悲鳴はこの老婆の物だろう。


「王都に行っているレイモンド様達の船が沈んだぞー!」


 窓から顔を出して通りを見る。

 自分の耳に、仕事だからと言わんばかりの淡々とした声が届いた。

 その光景を見てやっと現実を理解した。もうこんな報せが出回っているというのは、それが重要なことだからだ。


「……」


 言葉を失くし、外を見るのを止めた。

 自分には甘かった父親が死んだ。

 一緒に食卓を囲むと、やたらと肉料理を分けてくれた兄も死んだ。

 文字や剣を教えてくれた使用人も、城の中では若い騎士も死んでしまった。

 あの人達が、死んだ。


「っ……」


 しばらくはただ泣いていた。

 手のひらを涙で濡らし終えると、悲しみは少しずつ不安に姿を変えていく。

 父が死んだということは、ユユラング領主が死んだということだ。

 後を継ぐはずだった兄も死んだ。兄はユユラングの子爵令嬢と結婚していたが、不仲だったようでまだ子を設けていない。


 となると、自分が領を継ぐしかなくなる。

 後継ぎの勉強もせず、本ばかり読んできた自分が領の先頭に立つ。そんなこと出来るわけがない。

 使用人だって大半は父に同行した為、今城にいるのは鍋を振るうのが得意な女中や、騎士と門番ぐらいだ。

 年老いた使用人頭も残ってはいるが、圧倒的に人が居ない。

 それに自分は使用人とはいえ知らない人に頼ることに抵抗があって、アレックスとその姉以外の使用人の名前すら覚えていない有様だ。

 城の外に出るのが憂鬱だった自分に、人脈など皆無に等しい。

 これでユユラングを治めることは無理だろう。


 それに人だけの問題でもない。

 船が沈んだのが、税を届けた前だったのか後だったのかも問題だ。

 前だったとしたら、ユユラングはもう一度領民から税を徴収しないといけない。

 今年は凶作だと聞いている。そんなことをしたら死者が出るのは目に見えていた。

 しかし、父親達が領を出た日と報せが届いた今日。それらを王都までの移動時間と照らし合わせて考えると、税を届けぬ内に難破した可能性の方が高い。

 王に税を出せない貴族は、貴族として生きていけない。最悪人としてもだ。

 半島の最北端にあるユユラング唯一の隣接領クオナを始め、近隣領との兼ね合いや、海に面した領としての体面など、頭痛の種は他にもある。


「……無理だ」


 今後のユユラングを思うと、自然と口から言葉が溢れ、渇いたと思っていた涙が再び浮かび上がる。

 なにをしても、どっちを向いても、ユユラングの未来は暗いように思えた。

 こんなユユラングを支えるのが自分になるかと思うと、無理だ、無理だ、と逃げ出したくなった。

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