2
八月の肌に絡みつくような蒸し暑さの中で、燃えるような太陽が少しづつ沈んでいく。
ここはどこだろう?
見知らぬ街の、見知らぬ公園のベンチ。
私は何故ここにいるのだろうか。
傍らには、ブランコがふたつと、すべり台。それと高さの違う鉄棒がひとつづつ、あるだけ。
ある日を境に私は少しづつ自分を忘れてゆく。何をしようとしていたのかが、思い出せない。
それはひとつの恐怖となって私を苛む。怖い、ここから逃げなきゃ。でも何処へ逃げればいいのだろう。
もう、それすらも思い出せない。
生きているのか、死んでしまったのか、私にはそれも分からない。
何かをしようとしていたのか、分からない。
ただ、そんなぼんやりとした、輪郭のない白い絵を見ているようだ。
私は公園のベンチに腰掛けて途方に暮れていた。
私は何処へ行けばいいんだろうか。
どんなに足掻いても、私の記憶はもう戻ってくる事など、有り得ないと言うのに。
その時、私はその手に何かを持っている事に気付き、視線を落とした。小さなメモだった。
それには、こんな文章が書かれていた。
「私の名前は、杉本悠花(すぎもとゆうか)
年令は36才、身長150cm、背中まで伸びた茶色がかった髪をひとつに束ねている。見た目は20代後半、どうしたらいいのか分からない時はここに電話下さい。悠花の夫で、杉本海斗(すぎもとかいと)という名前です」
携帯電話の番号が書いてある。所謂、迷子札のようなものだろう。
こんなものを持っているという事は、私は恐らく以前にも迷子になり、家族の誰かに大騒ぎされて、大捜索されたのちこれを持たされる羽目になったのだろう。
私は震える手で持っていたバッグからスマートフォンを取り出し、そのメモに書かれていた数字を押した。まだ辛うじて電話の使い方は覚えていたようだ。
二度目の呼出音が切れて、誰かが出たらしく電話の向こう側から「ゆうかか? 今どこにいる?」と、男の人が言った。
私の名前が「ゆうか」だということを、この電話の向こうの人は知っているのだ。
私が知らない私の名前を呼んで、その声からも容易に解るくらいに心配している。
きっと、私の家族とか、そんな感じなのだろうな。
「あの……どこなのか分からないの」
すっかり日も暮れて、辺りを夕闇が支配してゆく。
「ああ、そうだったね。ごめんね、難しい事を君に聞いて……うん、GPSで君の居場所は分かったよ。直ぐに迎えに行くから、そこから絶対に動かないで待ってて」 そう告げて、電話は切れた。
ほぅっ、と深呼吸して、悠花という名前らしい私はベンチに座り直した。
夕闇の中、ブランコや滑り台などの遊具のシルエットだけが浮かび上がって見える。
遠くの方から電車の走るガタゴトという音が聞こえ、すぐそこにある家から漂ってくる夕飯のカレーの匂いが私の鼻を掠める。
程なくして、公園の入り口に白いクラウンアスリートが滑るように入って来て止まった。
そこから降りて来た男の人が、一直線に私の元へ走って来た。
「良かった、何もなかったね」息を切らしながら、その人は言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます