Ed

「何でもないさ、最近少し疲れているだけ。私の身体は、冬眠でもするつもりなのかな」

 なんて言うけど。人魚は寿命で泡になる前、眠っている時間が長くなるのだと聞いた。

 心配になり、国の中心部へとこっそり聞きに行ったのだ。

 往復している三日間、マーシェはずっと眠っていたようだった。

「知っているんだよ、マーシェ。貴方が死んだら僕はどうすればいいの……」

 その呟きに返事はない。

 涙の関が、決壊したかのようにポロポロと流れ出ていく。

 もうマーシェが眠り続けて二週間になる。

 次第に伸びていく睡眠時間で、死期を悟る。

 あと何度マーシェと会話することができるのだろうか。

「泣いてはいけないよ、ブラウト。幸せが零れ落ちてしまうだろう」

「っ、マーシェ」

 涙で滲む視界に、瞳を開けたマーシェがいた。

 見た目は出会った頃とさほど変わらないけれど、寝ている間食事をとれない身体は、やせ細ってしまった。

 それにマーシェの声が、少し弱々しい。

「マーシェ、僕はね、知っている。知っているんだ。知ってしまったんだ。貴方の、死期が近づいていることを。隠そうとしていることはわかる。でも、ねえ、教えてよ、あとどれだけ、一緒にいられるの」

「知ってしまったんだね。私はあと一年もしないうちに、泡になって消えてしまうだろうさ」

 へらり、と何でもないことのように笑うが、僕にはわかる。

 それが精一杯の強がりなのだと。

「ごめん、いつか決心がついたら告げようとは思ってたんだよ」

「マーシェ」

「私が消えたら君がどうなってしまうか心配なんだ。私は君に生きてほしい。でも、どうしても消えたい、と思うのなら西の海の底の魔女を訪ねてごらん」

「マーシェ」

「彼女なら君の存在を消すこともできる。人魚の伴侶になった者は彼女に消してもらいに行くんだ。死ねないから」

「マーシェ」

 話しているうちも涙は止まらず、ただただ流れ続けていく。

 名前を呼ぶことしかできずにいる僕の涙をか細い指先が拭う。

 こんなことをして貰うことはもう出来なくなるのだと思うと、さらに涙が止まらなくなる。悪循環だった。

「ほらそんなに泣いては目が溶けてしまうよ。最後は笑顔が見たい。残りの時間もずっと一緒にいようね」

「マーシェ、マーシェ」

 苦しくて、悲しくて、伝えたい言葉がのどに引っかかって口に出せない。

 頭の中で、思いがぐちゃぐちゃにからまる。

「そうだ、ブラウト。私の懺悔をきいてくれるかい?」

「うん」

 泣き腫らした僕の眼をしっかりと見つめ、なにか覚悟を決めたようだった。

「以前、少しだけ話したことがあっただろう、私が探していた男の話さ」

 長いまつ毛に縁どられた瞼をふせ、ゆっくりと告げられた。

「もう、こうやって話せるのは何時になるかわからないから、ずっと隠していたことを聞いてくれるかな」

 その言葉だけで、泣き崩れそうなのを必死にこらえ、うなずいた。

「私はね、ずっとブラウトを見続けてきたんだ。乳母に抱かれていた頃から。だって君は、私がずっと探していた男の生まれ変わりだから」

 初めて知る事実に驚きを隠せない。

「昔、少しだけ話しただろう、探している男がいたって。ある男に復讐したくてさがしていたら、早くにこの世を去っていて間もなく転生するだろうって聞いたんだ」

 マーシェの話で少し聞いていた男。

 恋人ではなかったと知って、安堵する自分がいた。

「それを知るために多少の犠牲はあったけど、転生したとしても復讐してやろうって思ってた。その時は。でも、毎日のように泣いて、時には怪我をつくってくるブラウトが、どんどん愛おしくなって」

 頬をするりと撫でられる。

 くすぐったいそれが心地よい。

「血は争えない、とでもいうのかな。叔母上と私、同じ魂を持った人に惹かれるなんてさ」

 僕はマーシェの懺悔を聞いていることしかできなかった。

 ただ、マーシェの復讐への思いを、愛情に変えられたのだと知って、少しだけ、嬉しかったのだ。

「こんなときに、後味の悪い話でごめん。でも隠したまま消えたくなかったんだ」

「うん。その、なんて言ったらいいのか……」

「ごめんね」

「違うんだ。嫌だとかじゃなくて、嬉しいなって思って自分でも驚いて……。復讐より僕を選んでくれたってことで良いのかな。思い上がりじゃない、よね?」

「思い上がりなんかじゃないさ、ブラウト」

 腫れぼったくなった瞼にキスが落とされる。

「それに気づいたこともある。マーシェが死んだら転生するんじゃないかって、また会えるんじゃないかってね」

「人魚が転生する、なんて話は聞いたことが無いけど、もしかしたら、もしかするかもしれないね」

 今にも泣きそうな笑顔で強く、抱きしめられた。

「ブラウトは私を満たしてくれる天才だね。ありがとう」

 微笑むマーシェが眩しかった。 

 時間は、音もなく均等に流れる。

 残酷にも。

「ああ、私はもう消えるみたいだ」

 その言葉は、消えかけた声で告げられた。

「置いていかれるのが嫌でこちらの世界に連れてきたけれど、結局は私が置いていってしまうね。幸せだった。いつも君は自分が我儘だと言うけれど、我儘なのは私の方だ。ありがとう、ブラウト。広い世界を見せてあげられたかな」

 成人した人魚の涙は、宝石に変わることがあるのだと。

 真珠やサファイア、人によって様々だが、とても美しいという。

 という、とはマーシェが泣かないから僕は一度も見たことがなかったからだ。

 マーシェの瞳から大粒の涙が一粒流れ、ベッドに落ちる。

 幻想的な光景だった。

「マーシェ、僕は貴方と生きられて幸せだった。我儘なんかじゃない。いつも僕を励ましてくれて助けてくれた。ずっと、ずっと待っている。だから、また――」

 強く抱きしめた身体が次第に泡になり消えていく。

 揺れる光に七色にも見える泡が煌めいて、あまりにも幻想的で残酷だった。

 かの有名な人魚姫は独りでこの最後を迎えたのだろうか。

 僕はベッドに残る深い蒼のかけらを握りしめ、呟いた。

「また、会おうね」 

 マーシェが泡になってから、長い時が過ぎた。

 僕は魔女の元で助手をしながら生きている。初めて彼女に出会ったとき震えた。

 マーシェと瓜二つだったのだ。

 彼女が何者なのか、よくわからない。これほどまで似ているのかも。

 ただ、僕は彼女を見てマーシェを思い出すように、彼女も僕を誰かに重ねているようだった。互いに深く干渉せずに生きている。

 僕に生きてほしいと、言いながら死に場所を教えたマーシェは、結局のところ、僕に生きてほしかったのだろうか。それとも一緒に消えてほしかったのだろうか。

 僕はこうして生きている。

 マーシェが転生すると信じて待つと決めた。

 左耳にアクアマリンを光らせながら。

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アクアマリンの涙 字書きHEAVEN @tyrkgkbb

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