笑わなくなった日

なごみ

笑わなくなった日

いつからだろう、彼女が笑わなくなったのは。




ずっと僕に関心がないのだと思っていた。この人は、こういう人なんだと落胆のような軽蔑のような思いだった。楽しいことを話しても、怒りをぶつけても、悩みを相談しても、一定のトーンで話す彼女が憎いとも思っていた。




昔はもっと楽しい人で、もっと話をしていたし、一緒に出掛けたりもしていたのに。彼女は変わってしまった。なぜなのか、いつからなのか、そもそもなぜ彼女は僕と一緒に居るのだろう。僕のことをどう思っているのだろう。




彼女は僕を嫌っていると思っていた。だから何も聞かないし、自分のことも話さないのだろうと。




彼女が笑わなくなったのはなぜなのか、いつからなのか、僕にはわからなかったし、考えようともしなかった。だが彼女は、ある日突然そうなったのではなかったはずだ。いつからか彼女から笑顔が消え、その事に怒った僕の顔を、いつも無表情で見つめるだけだった。




「気持ち悪いんだよ!死んじまえよ!」


いったい何回言ったのだろう。当たり前のように口にしていて、もう麻痺していたのかもしれない。


初めて言ってしまった日は、何日も後悔していたのに。




晩御飯の準備ができてない日が多くなった。最初のうちは頭が痛いだの、疲れていてなどと言い訳をしていたが、そのうちに僕が帰ってきてから渋々台所に立つようになった。作ったかと思うと、何かと理由をつけ、自室にこもるようになった。僕としてはその方が気が楽なので何も言わなかった。


そんな日が何日も、何ヵ月も続いたある日、


「ごめんなさい。迎えにきてほしいんだけど。」


彼女からのメッセージが届いた。その日僕はとても忙しかった。いや、たとえ忙しくなくとも断っていただろう。


「本当にごめん。帰れないの。」


どこにいるのか聞くとわからないと答える。


「わからないってなんだよ!ボケたんじゃないの?そのままどっか行けば?」


いつものように返信をしたが、彼女は謝るばかりだった。


仕方なく地図で場所を調べさせ迎えに行くと、彼女は怯えた子供のようにキョロキョロと辺りを見回し、僕の顔を見ると駆け寄ってきた。


「ごめんね。」


「何でこんなところに居るんだよ!」


「ごめんなさい…」


もう何も話す気になれなかった。帰ってからの彼女は、しきりにスマートフォンを見ていた。何をしているのかなんて興味がなかった。




いつものように、彼女の存在にイラつきながら支度をしていた。頼んでいた物は忘れて買っていなかったし、今日着ていこうと思っていた服は洗濯していない。


彼女が何かを言っていたのは聞こえていたが、同じ空気を吸うのすら嫌でその日は早めに出ることにした。僕がわざと急いでいる風に支度をしていると、彼女が僕の部屋に入ってきた。


「勝手に入ってくるなよ!死ねよ!さっさと死ねよ!」


そう言って彼女を押し退け、僕は家を出た。途中でスマホを忘れたことに気がついて帰り、玄関のチャイムを押すがドアは開かない。またイラつきながら自分で開けて入ると、浴室からシャワーの音が聞こえていた。


風呂に入っているのか。それなら仕方がないと思うと同時に、言い過ぎたと反省したので謝ってから行こうと思いドアをノックしたが、返事がなかった。シャワーの音で気づかないのだろう。


「母さん、さっきはごめん。」


正確には、さっきは…までしか言っていない。言えなかったのだ。浴室のドアを開けて言葉を失ってしまった。




どれくらいの時間立ちつくしていたのだろう。シャワーから水が出る音を聞き、排水溝へと流れる赤い水を眺めていた。


ーー赤い水?血だ!


僕は慌ててスマホを部屋に取りに行き、電話をかけようとした。震えながらロックを解除し、たった3つの数字なのに上手く押すことができない。


僕が家を出てから何分経ったのだろう。間に合うだろうか。イライラする僕の気持ちを他所に、スマホからはおっとりとした声が聞こえる。


僕は状況と住所を伝え、まだ震える手でシャワーを止めた。


それからのことは覚えていない。


「大丈夫ですか?」


そう声をかけられて、今自分がどこにいるのかようやく気がついたといった感じだった。


手術室の前の長椅子で俯いて座っている僕に、看護師が声をかけてくれていた。


しばらく経って、手術室から医者らしき人が出てきた。


「母さんは?は、母は大丈夫なんですか?」


答えは聞かなくても表情を見れば明らかだった。


「残念ですが、出血が多く…」


母は、自分の腹を切り、その後で首を切ったのだろうと言われた。出血が多く、病院に搬送された時にはもう既に手遅れだったと。




2年4ヶ月振りに父に電話をかけた。父は他所で若い女を作り家を出ていた。僕が高校を卒業するまでは離婚はしないでほしいと母に懇願され、渋々別居を承諾したのだ。




葬儀やその他のことは父に任せた。まだ夫なのだから、それくらいはして当たり前だと思った。


葬儀を終えた夜、僕は母の部屋に入った。母の部屋はほとんど物置状態で、狭い部屋に洋服ダンス、使わない物がたくさん詰まった棚、そこに母の布団が一枚。


母の部屋なのに、母の物はほとんどなかった。でも何か残しているんじゃないかと必死に探した。


母のバッグ、スマートフォン、洋服ダンス…母の下着の入った引き出しを見るのは躊躇ったが、他はもう探し終えていたので仕方なかった。


少ない下着の一番下に、一冊のノートがあった。




「6月13日 鬱病だと診断され、薬を処方してもらった」


母は鬱になっていたのだ。今思えば、母の様子は明らかにそれだった。なぜ気づかなかったのか、それとも気づかないふりをしていたのか。




母の日記らしきノートを握りしめ、続きを読んだ。


「薬を飲んだ時は調子がいい。でも夕方になるとすごい不安に襲われる。帰ってくる。」


それは僕のことだった。僕が帰ってくることに恐怖や不安を感じていたのだ。


母の日記は毎日ではなかった。日付があるものとないものとの違いに意味があるのかわからなかったし、洗濯洗剤がなくなるので買わなくちゃとか、鬱に関する内容ではない日もあった。




数日分読み終え、あの日の日記を見つけた。


「帰り道がわからなくなった。怒られるのはわかっていたけど、迎えにきてもらった。帰ってから調べた。認知症?若年性アルツハイマー?怖い。でも病院に行く。忘れないように!」




母は認知症にもなっていたのだろうか。その後の日記は書かれていなかった。母は病院に言ったのだろうか。昼間、母が何をしていたのか全く知らなかった。


洗濯や家の掃除をしてある日もあったが、毎日ではなかった。鬱のせいだったのだろうか。母は一人で戦っていたのだ。鬱と、そして全てを忘れてしまうかもしれない恐怖と。




他に何か書いていないかとページをめくるが、何もない。遺書など書く余裕すらなかったのだろう。僕に「死ね」と言われて、その足で台所へ行き、浴室に入ったのだろう。




今まで何回言ったのか。その度に母は泣いたのだろうか。本当に死んでほしいなんて思っていなかったのに。いつものように聞き流せばよかったのに。僕にはもう、口癖のようになってしまっていたのだ。母もそうだと思っていた。




もう何も書かれていない日記を閉じた。見つけたときは気づかなかったが、閉じたノートの裏に紙が張り付けてあった。




言われたことを言われたようにちゃんとすればいいだけ


聞かれたことを正しく答えればいいだけ


意味のない話はする必要がない


私の話なんてする必要がない


私の話なんて興味がない


私の思ったことなんて言う必要がない


私の言うことなんて正しくない


相手が望むことだけをすればいい


余計なことはしない


私のやることはおかしい


人の話もまともに聞けない


頭がおかしい 頭が悪い 欠陥がある


記憶力がない


言われたことをまともにできない


人を不快にさすようなことしかできない


良いところなんて全くない


何もまともにできない


できることなんてない


私の感情なんていらない


私のことなんて大嫌い


私は信用できない


私はうざい 私は気持ち悪い


私は面白くない


私といてもつまらない


私は必要ない


死んでしまえ




これも母が書いたのだろうか。誰かに言われたことなのだろうか。


一つ一つ読み返してみた。昔、父と口論になり、このようなことを言われていた気がする。それだけではない。僕自身が言った言葉も書かれているようだ。


父と僕に言われた言葉、それで母は、自分はこんな人間なのだから、こうすべきなのだと書き記したのかもしれない。


まるで呪いのようだと思った。母はその呪いの言葉を何日も何ヵ月も、いや何年も言われ続けていたのだ。


これで鬱にならない方がおかしいのかもしれない。




反抗期の僕は、いろいろと聞いてくる母をうざがり、きつく言ったのかもしれない。もしかしたら、初めて死ねと言った日だったのかもしれない。


母が何も聞いてこなかったのは、僕が聞かれるのを嫌がり、母が自分のことを話さなかったのは、僕や父が興味がないと言ったからかもしれない。


母が僕を嫌っていたのではなく、僕が母を嫌っていたからだったのだ。


だから、笑わなくなったのだ。母は自分の感情を無くしてしまったのだ。何回も言われ続け、何回も自分に言い聞かせ、それであの母ができあがったのだろう。




僕と父は母を否定し、見下し続けていたのだ。




母さん。


母さんはどんな声で笑っていたの?もう思い出せないよ。母さんの手を握って眠るのが大好きだったのに、もうその温もりも忘れてしまったよ。


母さんの作ってくれた料理、本当は美味しかったんだ。


母さん。酷いことを言ってごめんなさい。




母さん。

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