第17話 有明月
世の中は、静かに収まっているように見えた。
関ヶ原の戦いの後、徳川家康は、江戸に幕府を開き、実質上の天下人として、君臨していた。
政宗には奥州合戦の恩賞自体は殆ど無いに等しかったが、家康は、政宗の機嫌を損ねたくない---のだろうか、常陸国の河内郡と信夫郡の一部を所領として与える---と言い出した。
―龍ヶ崎---という村があってな。お主に相応しかろう?―
妙な機嫌の取り方をする---政宗も小十郎も家康の態度に何やら不自然なものを感じ取っていた。
―お主は、自ら『独眼竜』と名乗っているそうではないか---。―
という理由の付け方も甚だ妙だ。
―大御所さま、何か仰りたいことがあるなら、はっきり申されよ。―
家康は、う~ん---と唸りながら、まずは近習達を下がらせ、人払いをした。
―半蔵、お前も出ておれ。―
襖の向こうに声をかけると、さ---と気配が動いた。
―実は、伊達殿に折り入って頼みがある。―
意を決したように、家康は切り出した。
―頼み---でござるか。―
家康は太い首をこくん---と頷かせた。
―我が一族、この徳川の世の守り神になって頂きたい。―
天下獲りを諦めよ、わが臣下に下れ---そう言いたいなら、わざわざこのように持ってまわったことをしなくてもよさそうなものを---。政宗と小十郎は思わず顔を見合わせた。
家康は、言いづらそうに続けた。
―お主は、龍であろう。
龍は、天下泰平の守り神。人の世を見守るのが、神の役目であろう?―
つまりは、人の世の天下を治めようとするな、天下を護る側になれ---と言いたいのだな----と家康の不自然に緊張した顔を見た。
―大御所さまのご威光は、今や天下に並びなきもの。誰がその威光に楯突きましょうや。―
政宗は深々と礼をして、言った。大阪のあの親子を除いては---という一言は、敢えて飲み込んだ。
―そうではなく---―と家康は続けた。
―末代まで---、わしの子々孫々まで、守って頂きたい。―
きょとん---とするふたりに、家康は、言いにくそうに続けた。
―わしの家紋は、もともと賀茂の神紋でな---。―
あっ---と政宗は目を見開いた。そして、思わず右目を押さえた。
―まぁ、さほどの力はわし自身には無いが---。―
もごもごと口ごもりながら、家康は続けた。
―だから---お主が三成よりわしの側に附いてくれた時、『勝った』と思うた。―
思わず、絶句した。何時から知っていたのか---あまりの「狸」ぶりに言葉を失った。怪しげな術でなくても、忍びに探らせていたことだって考えられる。
―心底、油断のならない男だ---。―
成る程、こういう輩でなくば、天下などは握れようも無いのかもしれない。ある意味、呆然てしている政宗に代わって小十郎が口を開いた。
―政宗さまは、人間でございます。仮に龍が憑いていたとて、人の寿命がございます。―
―なぁに---―
と家康は、にべもなく答えた。
―政宗殿が、その子々孫々に至るまで、我らを支え護ってくださる---と仰せになれば良いのじゃ。
政宗殿の龍は、政宗殿の亡き後は、政宗殿の子孫を護る筈じゃし、なれば---―
誓ってくれれば、家康の子孫もまた護られる---という算段らしい。
―悪いようにはせぬ。それに相応しい扱いはさせていただくゆえ---―
呆気にとられる政宗主従の目の前で、家康は畳に頭を擦り付けんばかりにして懇願した。
政宗はしばし考え込んだが、結局、家康の申し出を承諾し、起請文に署名した。
―良いのですか?―
城門を出、見送る家康と家臣の姿が見えなくなってから、小十郎は、ひそ---と政宗に囁いた。
―我れが、大阪側に着くわけが無かろう。知っていて言うのじゃ、なんぞ含むところがあるのだろう。―
政宗は、懐手で、ううむ---と唸りながら、言った。
その言葉どおり、家康は、外様大名の伊達家を「御一族さま」に列し、親藩同様の特権を与えた。
ただし、会津に保科正之、水戸に徳川頼房---と江戸までの道筋を身内でがっちり固めたうえでだが---。
―それより、そなた、体調はどうなんだ?―
政宗は、ふいに小十郎を振り返って言った。最近、とみに顔色が悪い。一時、太り過ぎていたのが、急にめっきり痩せてきている、いややつれてきている。---病を抱えているらしいことはわかっていた。
―ご案じ召されますな。まだ、死にはいたしません。―
小十郎が冗談めかして答えると、政宗が、火を吐かんばかりに、顔を真っ赤にして、怒った。
―冗談でも、死ぬなどと口にするな。我れを置いて逝くことは、許さん。―
無体なことを---と思ったが、主の健気な気持ちが嬉しかった。小十郎は、にっこりと微笑んだ。
―承知つかまつりましてございます。―
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実のところを言えば、小十郎には予感があった。
ここのところ、小十郎の内の龍がひどく煩悶している。元々、小十郎の内の黒龍は、争いを好み、血を好む。その悪業ゆえに地に落とされた龍だ。
それ故、その龍と一体になった小十郎に戦場での敗北は、無い。
―しかし---―
泰平の世を希み、主の、政宗の安泰と幸福を平穏の内に希む小十郎の人としての願いとは相容れなくなっていた。
しかも、抑え込むには、膨大に成り過ぎていた。
―俺の生命をやる。お前はお前のあるべき場所へ帰れ。―
小十郎は、事毎にそう祈っていた。
そして---最後の大戦、大阪城責めも間近になった年の晩秋、黒龍は決心を決めた---らしい。
小十郎は、床に伏していた。
ゆるゆると、黒龍は、小十郎から離れていこうとしているらしく、少しずつ、体調は悪くなった。
「大丈夫か?」
白石の城に戻り、伏せっている小十郎の元を政宗は事あるごとに見舞いに訪れた。
「面目次第もございませぬ---しかし、この度の戦には、我が倅、重綱がお供つかりますゆえ---」
傍らで、逞しく育った息子が、力強く頷いた。
「殺さぬでおいて、良かったのぅ---」
政宗の言葉に、小十郎は苦笑するしかなかった。かつて政宗への忠義のために生命を奪おうとした息子は、身体ままならぬ小十郎に代わって立派に忠義を尽くしている。
―そうか、人の世とは、そういうものだった。---―
それが誤りでなければ、志は受け継がれていく。
―俺が、この世を去っても---。―
子が、孫が、政宗とその子孫を扶け、守っていく。
小十郎は安堵して、ふぅ----と息をついた。
不意に寂しさが胸を過った。それが、人である小十郎の寂しさか、黒龍の寂しさなのかは、小十郎自身にもわからなかった。
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冬と夏と---二回に及ぶ猛攻で、難攻不落だった大阪城は遂に落城し、豊臣秀頼と母の淀君は、炎の中に滅した。
「大御所は、余程、豊臣が憎かったのであろうのぅ---」
大阪からの帰途、小十郎の見舞いに立ち寄った政宗は、小十郎の枕辺に座して言った。
「重綱の働きは見事だったぞ。あの真田信繁(幸村)相手に勝ちを納めたのだからな。」
重綱は、鉄砲を駆使して後藤又兵衛を討ち取り、真田軍を散々に苦しめた。その戦績から『鬼小十郎』との異名を取った。
「まだまだでございますよ---」
小十郎は、膝元のあたりに座す息子を見た。
そして、わざと明るく振るまう政宗を眩し気に見詰め、涙を滲ませた。
―政宗さま、申し訳ございませぬ---。―
数日も経たぬうちに、良くない報せが、政宗の許に届いた。
小十郎は、真っ青な顔色でドカドカと駆け込んでくる政宗に気付き、苦笑した。
そして、重綱の手を借りて半身を起こすと、部屋にいた妻や子に外してくれ---と目配せした。最後に立った重綱が部屋の戸を閉め、立ち去る足音を確かめて、小十郎は政宗に言った。
「玄姶が---、立ち去ろうとしております。」
政宗は、はっ---と息を呑んだ。
「小十郎---。」
「政宗さま、長い間、良い夢を見させていただきました。」
「待て、待て小十郎!」
政宗は、小十郎の肩に獲りすがった。
「玄姶が去ったとて、何故、お前が逝かねばならねのだ---。まだ、わしは天下を取っておらん。国造りも終わっておらん。まだまだ、お前の力が必要なのだ。それ以上に---」
政宗の左目から、ぼろぼろと涙が溢れ、零れ落ちた。政宗は、それを拭おうともせず、ひし---と小十郎の頭を胸元に掻き抱いて、絞り出すように言った。
「我れには、お前が必要なのだ。ずっと傍にいると、決して離れぬと言うたではないか---!」
―昔のままじゃ---梵天丸さまのままじゃ、このお方は---―
泣きじゃくる政宗の頬の涙をそっ---と手を述べて拭い、小十郎は優しく微笑みかけた。
「申し訳ございませぬ---しかし---肉体は滅しようとも、この魂は---未来永劫---政宗さまのお側に---おり---ます---ゆえ---」
ふ---と、差し伸べられた手が、力なく政宗の頬から滑り落ちた。
「こ、小十郎、小十郎!---誰か!誰かこれへ!」
政宗の悲鳴が、静かな秋の夕暮れを引き裂いて、響いた。
あわただしく城の者達が駆けつけてきた。---が、小十郎が目を開ける事はもう無かった。
項垂れて青葉城に帰った政宗は、自室に隠り、ただただ、膝を握りしめて涙をこらえていた。
どれくらいそうしていたか---ふっ---と二つの大きな手が、肩を抱くのを感じた。振り返ると、---開け放したままの障子の狭間を大きな黒い影が、耀変天目のような虹色の光を揺らしながら、ゆっくりと消えていった。
「小十郎----」
後には、有明の月がひっそりと輝いていた。
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―不如帰 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる--―
片倉小十郎景綱、逝く。
享年五九才---早すぎる主従の別れだった。政宗は四十九才になったばかりだった。
<独眼竜異聞 完>
【独眼竜異聞 本編】 葛城 惶 @nekomata28
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