第11話 望月
政宗は、ふぅ---と息をついた。
―やっと、ここまで来た---。―
輝宗の初七日の日、二本松城に攻め入ってから、はや四年が経っていた。
南奥州の諸大名を敵に回しての戦の連戦---ここ摺上原で、蘆名氏を討ち破るまでに、大崎-郡山合戦と苦戦を重ねながら、辛くも勝利をもぎ取ってきた。
―父上---左月---見ておられるか---。―
政宗は、今まさに登らんとする満月にひそ---と呟いた。そして、人取橋で最後に鬼庭左月の見せた凄絶な後ろ姿を思い出していた。
--------
―不味い---。―
輝宗の初七日、畠山義継の遺児、国王丸を討つため、二本松城を一万三千を囲んだ政宗だったが、要害として知られる二本松城の攻略は困難を極めていた。
そこに、佐竹氏率いる会津-蘆名-磐城の南奥州の連合軍が、三万の兵力を持って、攻め上ってきたのである。
途中の伊達側の要塞は次々に陥落し、最早、絶対絶命の危機に立たされていた。
激突の場所は、
『人取橋』
豪雨の降り頻る中、将兵の全てが討ち死にを覚悟で、多勢の佐竹連合軍を迎え討った。
政宗自身も戦闘の最中にあり、矢玉を数ヶ所に受け、なんとか持ちこたえている状態だった。
―殿、お引きくだされ。―
夕刻になり、劣勢が明確になりつつある中、鬼庭左月は、小十郎に政宗を本宮城に撤退させるよう命じた。
―何を言うか。我れはまだ戦える。―
そこ此処から血を滲ませながら、尚も敵に斬り込もうとする政宗を抑えつけさせて、左月が叫んだ。
―あなたは、死んではいけないのです、殿。生きて伊達家を背負い、歩まれねばならんのです。―
そして、くるり---と背を向けると、周囲にいた老臣達と目配せを交わし、淀みない声音で言い放った。
―我ら、これより殿(しんがり)を務め申す!―
―左月どの---―
小十郎は、声を詰まらせた。―死んで、くださるというのか---―
左月は、肩越しに一度だけ振り返り、ニヤリと笑みを見せると、敵の真っ只中に自ら駆け入った。その後に、次々と老臣達が続いた。
―何をしている。小十郎、綱元、早う殿を本宮城へお逃しせよ!―
老臣達の最後のひとりの声に、小十郎達は、立ち止まろうとする政宗を引き摺るようにして、その場から引き剥がし、本宮城への道のりを急いだ。
―成実は---、成実はどうした?―
途中、追ってくる兵を片端から斬り除けながら、政宗は叫んだ。成実は、政宗のいる場所から、やや南に離れて、敵と応戦していたはず---である。
―成実さま、現在も敵と応戦中にてございます。―
誰かが、応えた。
―敵の間隙をついて、本宮城へ退け。と伝えよ。―
―は---。―
政宗は、泥濘の中を泳ぐように走りながら、口の中で呟いていた。脳裏を、あの元服の日の懐こい笑顔が過っていた。
―成実、成実---無事でいてくれ。―
幸いなことに、政宗の祈りは天に届いた。政宗に遅れること半刻、本宮城の広間に、成実は血塗れの姿を現した。
―成実---。―
―成実どの、ご無事でしたか。---―
口々に呼び掛ける政宗や家臣達に成実は、あの懐こい笑顔で応えた。
―済まん。ちぃと手間取っちまった。―
―お怪我は---―
―あぁ、大事ない。まぁ、だいぶ返り血を浴びちまって、どこが傷だかわかんなくなっちまった。―
成実は、どっかと腰を降ろすと、そこに居並ぶ面々の顔を見渡した。
―爺さま達は---―
政宗も他の者達も、言葉が出なかった。が、この場においては歳かさの綱元が、ぽつり---と言った。
―死んだ。我らを逃がすために---な。―
―そうか---。―
それきり、皆、口をつぐんだ。敵はまだ、周囲に有象無象いる。明日は---日が昇れば、今度こそ生死を決する戦いとなる。
誰もが---、政宗も覚悟を決めていた。
政宗は、ふっ---と顔を上げて、小十郎の方を見た。
―小十郎、笛はあるか。―
―は、こちらに---。―
小十郎は懐から『秋月』を取り出した。戦場に赴く時には、いつも懐に携えていた。屍となった時に自分と分かるよう、墓標がわり---にもなるか、との思いからだった。
―吹いてくれ。―
政宗は言った。
明日は亡き身---かもしれない。せめてものこの世の名残に、今一度、その音色を留めておきたかった。
―は---―
一礼して、小十郎は笛をひた---と唇にあてた。
静かな---戦場には似合わぬたおやかな音色が辺りを満たした。
―えっ---。―
曲が終わり、ややしばらく皆が余韻に浸る中、ある家臣が、小さく声をあげ、狭間に走り寄った。
―どうした--。―
―今、大きな白きものが---光を放ちながら、あちらへ---―
そう言って、狭間を覗きこんだ家臣の口からもっと大きな叫びが発せられた。
―と、殿!―
―なんじゃ。そんな素っ頓狂な声を出して---―
と言いかけた政宗も、家臣の口を突いた言葉に、狭間に駆け寄った。
―て、敵がいません!―
外を覗くと、塀の外側、一里ほど先に煩すぎるほどに煌々と灯っていた松明が一つ残らず消え失せていた。
夜明けのうっすらとした光が、静寂を照らし出していた。
―敵が、引いた---。―
突然のことに茫然自失となりながら、皆で狭間から辺りを見回したが、人の気配は何処にも見留められなかった。
―何が、あった。---―
政宗のもとに、斥候からの報告がもたらされたのは、それより二刻の後だった。
佐竹義政が、陣中で配下の者に殺され、尚且つ、里見-北条の連合軍が、本国である常陸に向かっているとの報せにより、佐竹軍が
撤退。此れにより、他の諸候も我先に撤退を始めた---という。
―勝った---のか。―
政宗は、放心したように呟いた。
その傍らで、小十郎は密かに手を合わせた。
―八大龍王さま---。―
見えはしなかった。だが、間違いなく、あの社に降りた光と同じものだ---と直感した。
―有難う存じまする---
その次の年の春まで、政宗らは小浜城に軍を置き、二本松城を攻めたが、結局、力業では落とせず、相馬氏の仲立ちにより、畠山氏を会津に撤退させ、開城-支配に至った。
-------
―それにしても---。―
郡山合戦で、北からの最上軍の攻勢を止めたのは、他でもない政宗の母、義姫だった。兄の最上義光とて、妹の懇願を無視することは出来ず、兵を引いたのだった。
―頭が上がらぬの---。―
病---『あの事』があってから、優しい言葉などもらったことがない。けれど、夫を失っても、その事を一言も責めることなく、政宗の窮地を無言で救ってくれている。
―大きい。---―
女ながらにして、その豪胆さに舌を巻かざるをえない。
―この戦を終えたら、少しは話も出来ようか---。―
政宗は、今一度、燦然と光を放つ望月を見遣り、戦場を後にした。
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