第12話 十六夜



 ―厄介な---。―

 政宗は、チッ---と小さく舌打ちした。

 大阪の豊臣秀吉が恭順しない北条氏に対し、小田原征伐を開始した、という。

 その前年に、秀吉の出した奥州惣撫令を無視して、大崎-郡山と合戦を起こした政宗は、元より秀吉の覚えが良いわけがない。

 と言うより、政宗自身、秀吉が嫌いだった。

 織田信長の孫を擁立して後ろ楯として権勢を振るっていたのが、いつの間にか関白太政大臣などという官位を朝廷から拝領して、主家に成り代わって『天下人』と称している。

―下郞が---。―

 名門の家柄に生まれた政宗にとっては、最も唾棄すべき類いの人間だった。

 だが、その前に、今は多くの大名が頭を下げている。

―戦国とは、そういう時代よ。---―

 そうは分かっているものの、どうも虫が好かない。

その上、父の輝宗の代では北条と同盟を結んでいた。

 とは言え、四国-九州の大名までも幕下に収めた今の秀吉の勢力では、北条とて跳ね返すのは困難であろう。

 当然、何度軍議を開いても結論など出よう筈もない。成実と小十郎の間でさえ、見解が割れている。

 此れには、政宗とて心底頭を抱えた。一月、二月---と態勢を示せぬまま、時が流れた。


 そんなある日のこと、母の義姫から食事を振舞いたい---との使いが来た。


―母上が?―


 摺上原の後も、結局のところ、さしたる話も出来ぬままだった。

 政宗は、訝りながらも、招待に応ずることを決めた。


―母上、お久しゅうございます。―

 輝宗亡き後、落飾して保春院と称した母は、変わらず淡々とした表情で、政宗を迎えた。

―政宗、心は決まりましたか。―

 母は、何時もながらの口振りで尋ねた。

―いえ、まだ---。―

 政宗は、口籠り、ばつの悪さから、早々に料理に箸を付けようとした。

 その手を、義姫の眼が制した。

―母上---?―

 義姫は、周囲の人払いが完全に済んでいることを確かめ、聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。

―毒が、入っております。―

―は、母上?―

 驚愕する政宗に、義姫は、微動だにせず、続けた。

―死に至るほどの量ではありません。が、暫しの静養は必要になりましょう。―

 政宗は、ごくり、と唾を飲んだ。

―母上は、敢えて此れを食せと---。―

 義姫は、無言で頷いた。

 政宗の頭は、一気に混乱した。しかし、次の瞬間、全てを理解した。

―もし、嘘だったら---。―

 完全に死に至る量が盛られていたら---。と政宗は目の前の鯛を見た。早期に吐き出せば助かる---もし、ダメな時は---。今一度、母を見上げ、覚悟を決め、箸を口に運んだ。

 咀嚼をし、意を決して呑み込む。途端に、激しい痛みと嘔吐に襲われ、部屋から転げ出た。

―誰か!誰か薬師を!―

 あわただしく走り回る足音が響き渡った。

 一番に駆けつけてきた小十郎が、政宗の口の中に指を突っ込み、胃の中のものをありったけのものを吐かせた。

 憎悪に満ちた表情で見上げる小十郎に、義姫は微動だにせず、ただ、ひらり---と一枚の小さな紙を落とした。

 小十郎はさっ---とその紙を拾いあげ、袂に隠して、政宗を抱えあげ、居室に運んだ。

 水を大量に飲んでは、即座に吐き出し、徹底的に洗浄したのちに、解毒剤を投与され、なんとか一命を取り止めた。が、大事をとって、それより三日間、寝込んだ。


―大御台さまも、無茶をなさる---―


 小十郎は、政宗が比較的早く意識を取り戻し、順調に回復するのを見て、ほ---と胸を撫で下ろした。

 家中の反政宗派が、義姫を抱き込み、政宗に毒を盛らせたが、失敗した---という話が城内では誠しやかに広まっていた。

 これで、この後の政宗の決定に異議を唱えるものは、毒殺を企てた黒幕---となり、迂闊なことは言えない。


―ただ--。―


 一番、立場が悪くなるのは、弟の小次郎だった。

 政宗は、床の中で考えに考え、小十郎にあることを命じた。

 小十郎は、黙って頷き、居室を離れた。


 床を離れた日の深夜、政宗は小次郎を自室に呼んだ。輝宗の死と打ち続く戦---それと養子先の定まらぬこともあり、小次郎は、元服もままならなかった。


 自室に入ってきた小次郎は既に覚悟を決めていたらしく、浅黄の裃を着ていた。

―小次郎---。―

 多分、病を得ていなかったら、『あの事』が無かったら、そのようであったろう端正な面差しを強ばらせて、弟は政宗の言葉を待った。

―死んでくれ。---―

 政宗は、なんとか平静を取り繕い、言った。

―覚悟は出来ております。―

 と青ざめた顔に作り笑いを乗せた小次郎の目の前に、政宗は、一枚の紙を差しだした。

 

―今すぐ発って、武蔵へ行け。―

小次郎は、一瞬、目をまん丸くしたが、すぐに無言で一礼した。

―徳川が気になる---―

 政宗は、独り言のように呟いた。

 小次郎は、それ以上、何も語らず、政宗の部屋を後にした。


 翌日、切腹-自害した小次郎の遺骸が義姫のもとに運びこまれた。義姫はとりすがって泣き、早急に荼毘に伏すように命じた。


 そして---その日の夜更け、義姫は、政宗の部屋に来ると、小十郎に火鉢を求めた。確かに寒い夜だった。

―小次郎は、死にました。―

 義姫は、思い詰めた口調で迫った。政宗は、一瞬、言葉を失った。が、

―伊達家のためです。―

と冷ややかに言い放った。

 が、その母の手元が、火鉢の灰に、火箸で、

―いずこへ―

と書いたのを見てとった。

 政宗は、手元の紙に、短く、―むさし―と書き、義姫に見えるように火鉢にくべた。

 義姫は、チラッとそちらに目を走らせ、―わかった―というように目配せすると、勢いよく立ち上がり、

―お恨みもうしあげますぞ。―と激しく言い放って立ち去っていった。


 義姫の背中が見えなくなったことを確かめて、居室に入ってきた小十郎に、政宗は火鉢の灰をぐしゃぐしゃにかき混ぜながらひそ---と囁いた。

―母上は、大した役者じゃ。---―


 義姫のもとに運び込まれた遺骸は、小十郎が因果を含めて切腹させた、小次郎と瓜二つの下働きの青年だった。義姫は、一目で気づいた---そして、他の家臣の目に触れぬよう、早急に火葬させたのだ。


 小十郎は、はい---と小声で応えると、政宗に言った。


―では、如何なさいますか?―


―今しばし待て。―


 昨夜、出奔させた小次郎が武蔵に着くまで、十日余り。一帯の情勢を黒幅履組の者が運んで来るまで、おおよそ一月はかかるだろう。


―そこまで、なんとか引き延ばさねば---―


 政宗はじりじりしながら、小次郎からの返事を待った。そして、浅野長政の催促も厳しくなった6月、ようやく、参陣を表明した。


-------


―政宗さまも、お母上に負けぬよう、役者にならねば---―


 政宗は苦笑いしつつ、小十郎の指示通り、『死装束』で秀吉との対面に臨み、安堵を勝ち取った。


 因みに、同時に人質として浅野長政の真壁の城に赴いていた成実は、浅野長政にいかにも尤もらしく耳うちされ、内心、苦笑した。

「御母堂さまに、毒殺を企てられるとは、伊達殿もお気の毒---それゆえ、太閤殿下には格別の恩情を--とお願い申し上げておきましたぞ。」


―顔に出てやしないかと、冷や冷やしたぜ。―


 お互いに無事に戻った後、成実は、ニヤニヤする政宗に皮肉たっぷりに言った。

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