第65話:舞踏会 7

 やべえ、絶対ややこしいことになる。

 そんな思いに駆られ、俺は慌ててドレスのポケットにペンダントをねじこんだ。


「これはこれは、ジャン=クリストフ殿下。誕生日おめでとうございます」


 その間に、司教はそんな言葉とともに会釈をする。

 そ、そつがない……。

 そういや今日の舞踏会は、クリスの十八才の誕生日を祝う名目で開かれたんだった。あぶねえ、色々あってすっぽぬけていた。後でお祝いしないと。


 そんな指針を固める俺をよそに、クリスは俺と司教を見比べてから、なんともいえない表情で口を開く。


「……ああ、ありがとう。お前は第一聖堂の司教の、リティア=アウア、だったか?」

「はい。殿下に覚えていただき、光栄です」

「歴代最年少司教の名前だ、記憶に残らない方がおかしい。……そこの女とは知己か?」

「ええ、ただの茶飲み友達ですがね。では、自分はこれで」


 そう言うと、最後までそつがないまま司教は去っていった。

 ……あっ!結局聞けなかった!あの野郎!


「……一体いつアウア司教と茶飲み友達なんかになったんだ、お前」


 追いかけて捕まえてやろうかとも思ったが、その前にクリスが声をかけてきた。

 やきもちと不思議さが半々で入り混じったような表情に、むずがゆさと罪悪感が伴う嬉しさと、まあ不思議だよな……という同意の気持ちが湧き上がる。


「当主様経由で色々あってな……」

「色々……?」

「まあ話すとややこしいから今度説明するけど……その前に」

「む?」

「誕生日おめでとう、クリス」


 司教の二番煎じだったが、クリス的にはあまり気にならなかったらしい。

 一瞬きょとんとした後、褒められたことを喜ぶ子供のように頬をほころばせた。


「ありがとう、フレール」

「んぐぇっ」


 あまりの破壊力に変な声が出そうになった。


「どうした……。急に音痴なヒキガエルみたいな声出して」

「誰が音痴なヒキガエルじゃい!」


 仮にもこ、恋人に対する例えとは思えない暴言に文句を入れつつ、俺はいったん顔を背ける。

 なぜなら頬がめちゃくちゃ熱いからだ。


 イケメンが!!すぎる!!

 国宝級のイケメンがそんな笑顔をほいほいするな!!

 俺じゃなかったら死人が出ているぞ。必ず殺すと書いて必殺だぞそんなの。

 いや落ち着け俺、クールになれ俺。

 自分でもちょっと意味不明なツッコミを胸の内に留めてから、改めてクリスを見た。


 俺の顔が赤いことに気づいてないわけがないだろうに、三白眼イケメンフェイスにはいつもの意地が悪い笑みは浮かんでいない。その代わり、はにかむような微笑みがイケメンフェイスを彩っていた。

 ……ああ、くそ、嬉しそうにしやがって。

 王子様だろうがお前。こんな言葉一つでめちゃくちゃ喜んでるんじゃねえよ。


「……それより舞踏会はいいのかよ。主役だろ、お前」


 顔がにやけそうになるのをごまかすため、質問を放り投げる。

 そしたら一気に「は?」という顔をされた。なんだよその顔、文句あんのか。


「お前が似合わないドレスなんか着てまで、男を連れて舞踏会に突貫してきた理由を問いただす以上の優先事項があるとでも……?」

「は、はい」


 文句の代わりに正論が返ってきた。

 優先事項のわりには後回しじゃ~んなんてふざけた茶化しをするには、クリスの目は据わっていた。というか、全身から「お前覚悟はできているんだろうな」というオーラが漂っている奴相手にふざけられねえ。

 圧倒されて敬語になってしまったが、これは俺にとってもチャンスだった。

 元より俺の目的は、二つ。

 一つはなんやかんや達成された。

 なら、もう一つを片づけるべきだ。


「……えっと、お前に聞きたいことがあって」

「わざわざ舞踏会に乗りこんできた理由になってないが?」


 ええい、人の話は最後まで聞け。正論で遮るな。


「逃げ道ない状態で話したかったんだよっ。ダンス踊ってる最中なら俺もお前も逃げようがないし、ヒートアップもしないだろうし!」

「……猪突猛進のお前がそこまでするような話なのか?」

「一言多いんじゃ!」


 クレームをつけてから、俺は大きく深呼吸をする。

 聞きたくないという情けない本音を宥めすかすこと数十秒。

 永遠にも感じられた間の後、その質問をぶつけた。


「…………二週間前さ。女の人と一緒に街の中、歩いてたろ」

「ん?ああ、その通りだが……。なんだ、見てたのか」


 …………んんん??

 ばつが悪そうな言い方だけど、なんかこう、俺と温度差ない?あれ?


 いきなり出端を挫かれた気分になったが、今さら後には引けない。

 内心首を傾げつつ、俺は言葉を続けた。


「あの人と何してたんだ?」

「何って……」


 あっ、言いよどんだ!

 よくないけどよかった!シリアスさん息している!

 本末転倒だろうと頭の片隅でツッコミを入れてくる理性さんを無視して、問い詰めるような目でクリスを見る。俺の眼光からは逃れられないと悟ったのか、気まずそうに頬を掻いた後、クリスは渋々とばかりに口を開いた。


「もっとこっちに寄れ」

「え、なんで」

「いいから寄れ」


 説明の代わりに、奴の口から出てきたのは王子らしい命令口調。もちろん素直に聞くいわれがないので理由を聞いたが、まあこっちも素直に応えてはくれなかった。

 仕方ねえな~。

 まあ、俺はお兄ちゃんだからな。折れてやろう。

 年齢的にはあっちが年上だとか、そういう無粋なツッコミはNGだ。


「ほら、寄ったぞ」


 一歩二歩をクリスに向かって踏み出し、体が触れそうなギリギリまで近づく。

 直後、イケメン力の高い手が俺の頬に伸ばされたかと思うと、もみあげのあたりをそっと搔き上げてきた。


「ほわっ!?」

「奇声を上げるな」


 奇声を上げさせるようなことすんな!

 そんな文句を言う前に、反対の手が胸ポケットから包みのようなものを取り出す。その包みは片手だけで器用に剥がされ、そこからクリスの目と同じ色のイヤリングが現れた。

 二週間前の記憶を、鮮明に思い出す。

 それはクリスが、街の露店で手にしていたものと同じだった。


 そのイヤリングの片方が、俺の耳にあてがわれる。

 今自分がどういう感じになっているのかはさっぱりわからないが、間近にあるクリスの顔が満足げに笑ったのは嫌というほど目に焼きついた。


「これ……」

「本当は指輪を贈りたかったんだが、料理する時には邪魔だろう?ネックレスだと服の下に隠れてマーキングにならんし、なら髪の間から見え隠れするイヤリングが最適だと思ってな」


 一生残る傷もつけられるしな、などと。

 おっかないことをウインクとともに言うクリス。

 普段ならツッコミの一つも入れるところだけど、あいにくと今はそれどころじゃない。なんでそれどころじゃないかというと、今俺の中では喜びと羞恥がミックスされて大変なことになりかけているからだ。

 聞きたくない。

 さっき思ったのと同じ言葉が、さっきとは違う意味で脳裏をよぎる。

 もちろん聞かずに済ますことなんてできるわけもなく、俺は恐る恐る質問を続けた。


「……じゃあ、あの人は」

「ルシール……お前に贈る食材の相談をしていたコックは、髪がお前と同じ黒だったからな。背格好や気質も似ていたし、無理を入ってマネキンになってもらった」

「……それだけ?」

「……なんだ。もしかしてやきもちでも焼いたのか?安心しろ。コックという役職上指輪こそつけていないが、ルシールは既婚者で、周りが引くほど夫婦仲が良い」

「きこんしゃ」


 その言葉を起爆剤に、二週間前のことがフラッシュバックする。

 人間の脳とは不思議なもので、その時知覚した覚えがなくても、目にしていたり耳にしていたりするものは意外と覚えているものらしい。それは俺の脳みそも例外ではなかったようで、あの時聞こえてなかったいー兄さんの言葉がリフレインしていた。



『まあ、もっとも彼女は既婚者で、周りが引くほど夫婦仲が良いんですけどね』


 …………誰か俺を殺してくれっ!!



「そうかそうか。やきもちを焼いた結果、そんなドレスを着てまで舞踏会に来たと」

「うるせーーーっ!!にやにやすんな!!」


 至近距離で叫ばれてうるさいだろうに、クリスはにやつくのを止めない。

 嫌な気分にならなかったのは何よりだが、代わりにめちゃくちゃ恥ずかしい。徹頭徹尾勘違いによる空回りじゃねーかよこれ!ばかじゃん俺!


「おおおおおう……っ」


 顔から火が出そうとはまさにこのこと。

 せめてもの抵抗とばかりに俯き、地の底から聞こえるような呻き声を上げながら悶えていると、小さな笑い声が聞こえてきた。

 おおう!?まだ笑ってんのかてめー!?

 逆ギレしながら勢いよく顔を上げる。だが、その先で見たのは意地悪そうなにやにや笑いじゃなく、どこか安堵したような表情だった。


「……クリス?」

「いや、なに。束縛の意味合いが強い贈り物はまだ早いんじゃないかと心配していたんだが、杞憂だったなと思ってな」


 言いながら、クリスの手が俺の頬を撫でた。


「俺はお前が好きだ。お前の前世が男だったとしても、お前が男としての自分を捨てきれないとしても、俺は今目の前にいる女を心から好いている。だが、言葉だけにその想いを担保させるには、俺の立場とお前の負い目が障害になっているのも知っている」

「それは……」


 今回の空回りの根本的原因をずばり言い当てられて、思わず言いよどんでしまう。


 クリスと歩いていた女の子に嫉妬した。

 それはクリスと仲良さそうに歩いていたことに対してでもあり、かつて『フレール』という主人公おんなのこの存在と向き合った時に抱いた「まっとうな女の子なら」という思いが湧きあがったためでもある。

 俺は俺である以上、どれだけ女々しくなっても「男」という意識は消せない。

 クリスの想いがどれだけ真摯か実感しても、結局俺はそれから逃げることができない……いや、忘れることができないのだ。その問題はセザール様事件でいったん消えたかに思えたが、消えたように見えただけでばっちり残っていたことを今回の件で思い知らされた。


「だから、俺はお前にこれを贈る」


 そんな俺の煩悶をはねのけるかのように、クリスは声に力を込めた。


「幸せにしたい女は、俺が決める。病める時も健やかなる時も、俺はお前と共にいたい。そんな言葉だけじゃ足りないというなら、装飾品でお前が俺のものだと彩ってやる。耳元でイヤリングが揺れるたびに、イヤリングをつけた耳が疼くたびに、お前はこのジャン=クリストフ・スペルビアのものだと自覚させてやる」

「クリス……」

「だからフレール、必ず迎えに行くから――――俺の伴侶として待っていてくれ」

「――――」


 女神に見せられた夢の台詞と似ているようで違う言葉に、一瞬呆けた後。


「……なんかそれ、プロポーズみたいだな」

「これがプロポーズ以外の何に聞こえるんだ、阿呆」

「アホとはなんだ、アホとは」


 実に俺達らしいやりとりをした。


 ……あーあ。

 ほんと今回はいいところないな。

 司教が来る前に思っていたことが、さっきとは違う意味で脳裏をよぎる。空回りに気づくのを拒否った時と似ているけど、あの時と違って今はプラスの気持ちだった。


 俺と妹がケッコンハチョットナーだなんだとうだうだ悩んでいる間に、クリスはハッピーエンドに向かって進んでいた。己の不甲斐なさが男としてのプライドを容赦なく突くが、それ以上に嬉しいと思うのは、今の俺が女の子でもあるという証明だろう。

 ああ、そうだ。

 女の子として、好きな奴にプロポーズされたことをめちゃくちゃ喜んでいる。クリスと会う前まで、とてもじゃないけどありえない思考だ。

 こうも女の子にされたんだ。

 お嫁さんにして責任をとってもらわないと、俺も困る。


 一番の懸念だった妹のことが、脳裏をよぎる。

 浮かんだビジョンの中には、妹の隣に立つ第二王子……いや、ジャックもいた。

 フレールと踊るというゲームイベント再現中でも、あいつは迷わずスールを優先した。それは本来フレールに起きるイベントが、妹のところで発生したからなんて、夢もロマンもないような理由じゃないはずだ。

 今はもう、ジャックがゲームの強制力に負けて妹を害するなんて思えない。

 あいつは妹を幸せにしてくれるだろう。

 そして、悪役令嬢という呪いみたいな補正からあいつを守ってくれるだろう。

 ……クリスが、王子という立場をフル活用してフレールを守ってくれたみたいに。今後出てくるだろう、使用人というポジションじゃ逆立ちしても対処できないようなトラブルから。


 つーか、俺と妹って周りが納得するほど仲良しこよし認識だったんだな……。

 主におしとやかに忠義を尽くすメイドムーブをしていたはずなんだが……。


 さておき。


 もらったものは違うし言われた言葉も微妙に違うけど、今は間違いなくクリスルートのクライマックスだ。なら、俺は夢で見た台詞を言うべきだろう。正直ちょっと俺の考えにはそぐわないけど、変にテコ入れして「ダメよ」されても困るからな、うん。

 ……見ているか、悪のフレール。

 俺は今から、『サンドリヨンに花束を』を終わらせるぞ。


「……ああ。どうか俺を、幸せにしてくれ。クリス」


 男言葉になることだけは勘弁してくれよ。

 そう思いながら、プロポーズの返事を口にする。




 ――――直後、世界が暗闇に包まれた。

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