第60話:舞踏会 2
俺、ジャン=クリストフ・スペルビアの誕生日を祝うという名目で開かれた舞踏会。
結婚相手の候補を見繕うという裏の目的に、多くの貴族たちが血眼になっている、退屈極まりないパーティー。
父上にからかわれ、ジャックに注意されながらもつまらない心地で目の前の光景を見ていた俺の目は、ざわめきとともに飛び込んできた光景で一気に覚めた。
「は……!?」
思わず椅子から立ち上がり、視線の先に立つものを凝視する。
そこにいるのは、先ほどホールに入ってきたばかりの一組の男女。
どちらも容姿端麗で、ホールをざっと見渡しても同じ水準に達している者は男でも女でもいないことがわかる。当然のように衆目の注意を引き、ざわめきと関心は波を打つように周りに広がっていた。
これで少しは退屈も紛れるだろうか。
普段ならそんな感想を抱いたかもしれない。
だが、今はそれどころではなかった。
なぜなら女も男も、俺には嫌というほど見覚えがあったからだ。
(フレール……!?)
その女は、俺がこの世で最も好いている女であり。
男は、俺と同じくあの女を好いている、恋敵とも言うべき男だった。
そんな二人が礼服に袖を通し、傍から見ると仲睦まじく歩いているのだから、声くらい上げたくもなる。しかし、そんな事情がわかるのは他ならぬ俺だけだ。
「どうした、クリス。あのご令嬢が気になるのか?」
今入ってきた女が俺の好みだと思ったのだろう(それ自体は間違ってはないが)。
玉座に座っていた父上が、にやついた顔でそんな問いかけをしてきた。
「ああ、いや、まあ……」
当たってはいるが、正直に肯定もしづらい。
思わず言葉を濁していると、それを照れによるごまかしだと思ったのだろう。父上の笑みはますます深いものになった。
「はっはっはっ。お前くらいの年頃だと、素直になれないのも無理からぬ話だがな。人生の先輩として助言するなら、こと女に関しては変に強がったり見えを張ったりしてもろくなことにはならんぞ」
「はあ……」
「そろそろダンスの時間だ。クリスもジャックも、席を立ってご婦人方を喜ばせてこい。エスコートしている男がいようがいまいが、王子二人に声をかけられて断る奴もいないだろう。気になった女がいたら、その身分を利用して遠慮なくかっさらってこい」
「王としても父親としても最低な台詞で送り出すな」
「ははは…」
そして、為政者の風上にも置けないような言葉とともに俺達二人はホールの方へと追いやられた。
俺達がホールにやってきたのを見て、にわかに令嬢達が色めき立ったのがわかる。
だが、先陣を切る度胸はないらしい。互いに牽制しあうひりついた空気を醸し出しながらも、俺達に声をかけようとする女はいなかった。
ここで突っ込んでくるような胆力のある女がいたら、二曲目のダンスはこちらから誘ってもいいのだが。
……いや、ここにはフレールがいるからな。ないな。
本人に自覚があるかはわからないが、あいつはどうやら前世が男だったことに引け目みたいなものが抱いているらしい。恋人の女として扱われることを厭うくせに、こちらがそれを押し切って抱き寄せたり口を吸ったりすると、喜びと安堵が入り混じったような反応を返す面倒くささがあった。
俺が他の女と踊ろうものなら、変な勘違いをする可能性がある。
潔白である以上いくらでも説得はできるが、こじれて面倒なことになるのは避けたい。自己評価が恐ろしく低いくせに変なところで頑固だからな……。正直な話、あいつとの揉め事が、俺が強引に口づけをした一件だけで済んでいるのは奇跡だと思う(ルクスリア家のセザールが不法侵入してきたのはまた別件だ)。
まあ、そういうところも含めて愛らしくてたまらないわけだが。
未だ抱擁と口吸いで済ませてやっている己の理性を褒めてやりたい。もっとも、その理性も今夜が最後だろうが。
令嬢さながらに着飾ったフレールの姿を探す。
気質を考えると笑ってしまうような恰好だが(可愛くないとは言っていない)、今この場においては、ともすれば主役として担ぎ上げられている俺以上に衆目を集めている。視線が集まっている方を探せば、すぐに居場所は見つかった。
問題は、先ほど「なんですぐに気づかれたんだ!?」と言わんばかりに引きつった顔をした愛しい女が、あろうことか恋敵の背中に隠れてこちらの様子を窺っているということだが。……くそ、セザール・ルクスリアが心底嬉しそうな顔をしているのが腹立たしいことこの上ないな!
「……兄上、そんなに怖いお顔をしていたら誰も声をかけられませんよ」
不意に、横合いから小声が耳打ちされた。
義弟の指摘で、眉間に力がこもっていたことに気づく。……なるほど、道理で誰も声をかけてこないわけか。今さらの気づきを得ながら、深呼吸をして肩から力を抜いた。
だが、事態が何も解決したわけではない。
そのうち均衡を破りにくる令嬢もいるだろうから、猶予もさほど残ってはいない。
一番手っ取り早いのは、あいつをダンスに誘い、踊りながら話を聞くこと。とはいえ、正直今は頭が冷え切っているとは言い難い。言い争いになるのは避けたいところだが……。
「あの令嬢がそんなに気になるのですか?兄上」
どうしたものかと悩んでいると、ジャックがまた声をかけてきた。
「気になるも何も……。あいつはフレールだぞ、気にならないわけがないだろうが」
「えっ、そうなのですか?」
俺の言葉に、ジャックは意外そうな顔で驚く。
首を傾げそうになったが、確かに今のあいつは普段からは想像できないほど、衣装と化粧によって引き立てられている。それでも俺の目にはフレール以外の何者にも見えないが、気づかない奴がいること自体は不思議ではないだろう。
変わるものですねえとひとしきり感心したのち、ジャックは不思議そうな眼差しを俺に向けた。
「彼女をダンスに誘わないのですか?」
「逆に聞くが、お前はスール嬢が他の男と一緒にいるのを見た直後に冷静でいられるか?」
「ああ、なるほど……」
一度直情的になるとあらぬ行動をとるが、基本的に察しがいい義弟。すぐに俺が言わんとしていることを理解し、納得したように頷く。
しかし、神妙な顔はほどなくして、妙案を思いついたような表情を浮かべた。
「でしたら兄上、私に良い考えがあるのですが……」
セザール様から提案されたサプライズ。
それは、舞踏会にこっそり参加し、クリスを驚かせようというものだった。
舞踏会の招待状はクリスと同年代の貴族の子息息女に配られていて、一枚につき二人まで城に入ることができる。ルクスリア家の当主はスールの分で入ることになっているから、自分の分は余っている、とのことだ。
誓って言うが、最初から承諾してない。
(自分で言うのもなんだが)俺は賢くないけど、さすがに自分の暗殺フラグ&妹の破滅フラグがあると言われる場所への同行に脳死首肯するほどバカじゃない。サプライズに頷いたのは、俺なりに熟考を重ね、ちゃんと司教にも相談した結果だ。
『舞踏会の開催が因果となっている以上、お前達が違う場所にいたからといって事態を避けられるとも考えづらい。この場合、最悪なのはお互いが預かり知らないところで事が起きて対処ができないことだと僕は思うがな。あと僕のところを避難所にするな』
とのこと。
これを聞いた時、なるほど!と思った。
実際俺達が回避しようとしてもセザール様イベントは起きたわけだし、それなら事前の回避より起きた時の対処を考えた方が最終的に危なくないってわけだ。さすが頭の良い奴は言うことが違う。
実は言うと、妹を一人だけ舞踏会に行かせるというのは心配だったのだ。
それでも大人しくしてくれと言われたから司教のとこで留守番するつもりだったが、司教がそう言うなら大手を振って見守りに行けるというもの。もし暗殺者に襲われても、こっちには武者修行に出ていたセザール様がボディガードについているのだ。王城ルートの第二王子よろしく守ってくれるはず(男としての沽券とかそういうのには目をつぶる。つぶるしかない)。
肝心の妹の目をどうごまかすか、どうクリスをびっくりさせるかという問題は、シスターさん達によるドレスアップでクリア。司教は舞踏会に行くドレスも準備してくれたし(こっちで用意すると言ったらセザール様はめちゃくちゃ残念そうにしていたけど。これに乗じて俺を自分色に彩ろうとするな)、ほんと頭が上がらないと思う。どっかのタイミングで改めてお礼を言いたいところだ。
閑話休題。
ともあれ、これならこっそり舞踏会に参加して、こっそりクリスと話し、こっそり妹を見守り、こっそり帰ることもできるだろう。そんな自信のもと、俺はセザール様と一緒に舞踏会に臨んだのだった。
……まあ、入って秒で妹とクリスにバレたっぽいんだけどな!
なんでだ!!
鏡見た時はこの美少女はどこの誰だと思ったくらいだし、司教からは「見事に化けたな」、セザール様からは「フレールじゃないのかと思いました」とか言われたのに!
ドレスだって、夢で見たのと同じ色を着たらバレると思ったから水色にしたのに!
「フレール。お前の壁になるのはやぶさかではないけれど、そろそろダンスが始まるよ」
「……はっ」
セザール様の呼びかけで我に返った。
いかんいかん。
妹の雷が落ちることは確定したけど、だからって本来の目的を忘れるわけにはいかない。何のためにわざわざドレスを着て化粧までしたと思っているんだ俺。別にクリスを驚かせるためだけに男としてのプライドに目をつぶったわけじゃないんだぞ俺。
そう、サプライズはあくまでおまけ。
主目的は妹に変な冤罪がかからないか見張ること。
そして、お互いの逃げ道をなくした(あとうっかりクリスルートのデッドエンドフラグを踏んでも困らない)衆人環視の中で、一緒にいた女の人が誰なのかをクリスにこっそり聞くこと!
答えを聞くのはめちゃくちゃ怖いけど、うじうじいつまでも悩んでいるのは性に合わないんだっての。
あっでもクリス、やべーくらい怖い顔している!
妹もかなり怖い顔しているけど、輪にかけて顔こっわ!声かけづら!
いやうんそうだよな、よりにもよってセザール様と同伴だもんな!ごめん!
心の中で謝っている間に、ムーディーな音楽がホールに流れ始める。
……ひっ、ホールにいる女の子達がいっせいに殺気立った。
これはあれか、牽制?
抜け駆けしようとしたお前、顔を覚えたからなってやつ?ひえ……。
「――――もしもし」
「ぉ、っ!?」
女の子の圧にビビり散らしていると、不意に声をかけられた。
びっくりして野太い声が出そうになったのを寸前で堪えつつ、声がした方を見る。そして、そこに立っていた意外な人物に目を丸くした。
「私はジャン=ジャック・スペルビアと申します。どうぞ一曲、踊っていただけないでしょうか、レディ」
なぜなら、俺をダンスに誘ってきたのは、第二王子ことジャックだったからだ。
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