第55話:兄、しびれを切らす

 お城、正確には城の通用口的なところの近く。

 手にバスケットを提げたまま、俺は物陰で通用口の様子を窺っていた。

 待つこと十数分。何度か見かけたことがある、というか何度か伝令をお願いしたことがある下男が歩いてくるのが目にとまった。

 慌てず騒がず、しかし急いでその後ろに忍び寄る。


「……あの、すみません」

「はい?……おや、貴方はルクスリア家の」


 フードを被っているのに速攻でばれた。

 よくこの平凡顔が記憶に残っているな……。下男さんの記憶力に内心感心しつつ、わかってくれるなら話が早いとばかりに少しフードをずらしながら、バスケットからクッキーと手紙を取り出した。


「イーラ様ですか?」


 話はっや。

 この人の中だと、俺はいー兄さんと密会したいメイドと思われてそうだな……。


「ええ。このお手紙を、イーラ様にお渡しください。こちらは、いつもお世話になっているお礼です。甘いものがお嫌いでなければどうぞ」

「おお、ありがとうございます」


 嬉しそうにクッキーの袋を受け取り、手紙を懐に入れる下男さん。

 そしてさわやかな笑顔とともに別れの言葉を口にすると、城の中へ入っていく。それをメイドスマイルで見送ってから、他の人に見咎められる前に脱兎のごとく離れていった。




 場所は変わって、城下町。

 舞踏会をやるからか、心なしかいつもより活気づいている。具体的に言うと人が多いし、期間限定みたいな露店も多く出ていた。

 だが、俺がいるのはそれとは関係ない、老舗の喫茶店である。

 上級貴族様御用達のお高い店じゃなく、庶民でも背伸びをすれば足を運べるような店。現代日本風に言うなら、都内にあるおしゃれなカフェだ。しかし味はお高い店に負けていないらしく、うちの妹のようにこっそりお忍びで来る令嬢も多いとか。

 そんなカフェの端の席で、俺はちびちびと紅茶を飲んでいた。

 紅茶をおかわりしたりケーキを頼んだりしつつ、かれこれ三時間は粘っている。おしゃれなカフェなのに、気分はファミレスのドリンクバーで粘る高校生だ。

 ファミレスと違って、居座っても嫌な顔はされないのが救いというか。

 それでも三時間も一人で居座っているフードの女に、店員は怪訝な目を向けている。

 気まずいことこの上ないが、ここで帰るわけにもいかない。

 心を無にし、紅茶をすすりながらチーズケーキっぽいものを食べることさらに三十分。


「いらっしゃいませー」


 からんというベルの音とともに、店員の女の子が来客を教えてくれた。

 全力で振り向きたい気持ちをぐっと堪え、それとなくドアの方に視線を向ける。

 男にしては長い髪を揺らしながら悠然と店内に入ってくる、ラフな格好のイケメンがそこにはいた。最悪閉店まで待つつもりだったが、その必要はなさそうだ。

 そのイケメンは店員に声をかけようと口を開きかけたところで、視線を俺の方に向けてくる。そして、嬉しそうに頬をほころばせて店員の女の子をくらっとさせていた。

 ……なんでそんなに気づくの早いんだよ!

 変装しているし、視線だってそれとなく向けたくらいなのに!


 不服に思う俺を後目に、席の案内を丁寧に断ったそのイケメンは、入ってきた時と同じく悠然とした足取りで近づいてくる。

 そして俺がいる席の前で足を止めると、にこやかに微笑みながら目線を合わせてきた。


「お久しぶりです、可愛いフー」

「……久しぶり、いー兄さん」


 フードを軽くずらしながら会釈すれば、楽しそうな笑顔が返ってくる。

 このイケメンもとい執事長、にっこにこである。


「店を変えましょうか?」

「あ、うん。そうしてくれると嬉しいかな」


 その申し出にこくこくと頷く。

 三時間半居座った客にイケメンの相客が来たことで、店内(というか店員達)はにわかにざわつき始めている。この中で会話する勇気はない。というか会話したら絶対に聞き耳を立てられる。

 俺の首肯を見てから、イケメンこといー兄さんはさりげない仕草で手を差し出してきた。

 き、きざ~~~。

 でも似合うんだよなあ!国宝級のイケメンだからな!

 店内のあちこちから小さく上がる黄色い声。内心顔を引きつらせながらも、いー兄さんを立てるべく差し出された手に掴まって立ち上がる俺。うう、視線が……。


「君。この子の会計を頼めるかな」

「は、はいっ」


 身を縮こまらせる俺の横で、さらっと俺のお茶代が支払われる。

 庶民も背伸びすれば手が届く店とは言えど、総額を気にせず肩代わりできるようなお値段設定ではない。さすがに申し訳ないので、慌てて妹からもらった財布を取り出す。

 ……今は主とメイドだから仕方ないとは言え、妹にお小遣いもらうの、地味に兄としての自尊心が痛む。


「あ、私が出すから」

「こういう時は男に払わせるものですよ、フー」


 やんわりと、しかし有無は言わさずさっさと支払ってしまういー兄さん。

 くっ、こんな時だけ執事長らしいそつのないムーブを……!


「ありがとうございましたぁ」


 変な悔しさを胸に、一オクターブくらい高い店員の声に見送られる。

 そのまま店を離れていき、いつもより人密度が高い大通りを歩くこと数分。

 適当に人気のない路地裏に入り、そこに置いてある木箱に腰をかけた。


「今日は来てくれてありがとう、いー兄さん」

「いえいえ。フーから逢瀬のお誘いなんて、クリストフ様が聞いたらさぞかしいいお顔で悔しがってくれそうですね」

「言わないでよ!?」


 Sっ気満点の台詞に、否定より先に食い気味に釘を刺す。

 言うなよ!?フリじゃないからな!?

 ハラハラする俺を見て、ニマニマ笑ういー兄さん。は、張り倒してえ。頭には手が届かないけど張り倒してえ……!

 ぷるぷる震える拳を抑え込む。

 落ち着け俺、クールになれ。

 何のために妹を必死に説得してまで、近づくなって言われた城に行っていー兄さんにコンタクトをとったと思っているんだ。


「さて。からかうのもこれくらいにしておきましょうか」

「うん、そうして……」

「手紙には話があるからあの店に来てくれとしか書いてありませんでしたが……。話というのはやはり、クリストフ様のことですか?」


 司教ほどではないが、さすがそこそこ付き合いがあるだけあり、すぐに察してくれた。

 こくりと肯定するように頷いてから、俺は口を開く。


「クリス様、最近やけに屋敷に来ないから……。その、な、何してるのかなーって……」


 ……は、恥ずかしい!

 喋っているうちに自分がいかに構ってちゃんの乙女思考だったかをまざまざと突きつけられ、顔を手のひらで覆いたくなる。最近やけに来ないからじゃねえよ、舞踏会の準備に忙しいからに決まっているだろ!


 クリスがなかなか来ないから、いー兄さんに事情を聞きに行きたいと。

 そう頼んだ時、いつもならフラグがどうだのと眉をひそめる妹が妙に温かい眼差しをしてあっさりOKを出してくれた理由が今ならわかる。あの瞬間、妹は俺のことを兄じゃなく恋する乙女として見ていた!

 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 穴があったら入りたい。


「フー?百面相してどうしたんですか」

「な、なんでもない!」


 いきなり押し黙った俺を訝しく思ったのか、いー兄さんが案じるように声をかける。

 それにぶんぶんと首を振ることで答えてから、ごまかすように話を続けた。


「それより質問に答えてほしいなーって!」

「ああ、そうですね」


 俺の言葉に、いー兄さんは素直に頷く。


「しかし、妙なことですね」

「ん?」

「最近のクリストフ様はジャック様ともども、城で開かれる舞踏会の準備でご多忙です。ですが、今までと同じくなんとか時間を捻出し、外出されてはいますね」

「えっ?」

「私についてこないよう厳命されたので、てっきりフーの元に行っていると思ったのですが」

「……」


 舞踏会の準備で忙しすぎるから会いに来る暇がない、とか。

 俺に会いに来ることで変なトラブルが起きるのを避けている、とか。

 そういう感じの返事を期待していた俺は、思わぬ返答にぽかんとする。

 余計なことを言うのに定評があるいー兄さんのことだから、また俺達の仲を引っ掻き回すために適当なことを言っているんじゃないかとか。そんな希望に縋りかけるも、本気で怪訝がっているいー兄さんの顔がその手を振り落とした。


 えっ、なんで。

 なんで?

 俺のとこじゃないなら、あいつどこ行っているんだ?


 別に、外出=俺のところに来るわけじゃない。

 クリスにだって他の用事くらい、いくらでもあるはずだ。

 頭ではそうわかっている。わかっているけど、いー兄さんの言葉にめちゃくちゃショックを受けている自分をごまかすことはできなかった。


「……そ、そっかあ。ありがとね、いー兄さん。ごめんね。いー兄さんだって忙しいのに、こんなことで呼び出したりしちゃって」


 とはいえ、そのショックをいー兄さんにぶつけるわけにもいかない。

 フレールモードの口調をことさらに意識しつつ、お礼の言葉を口にする。


「いえいえ。可愛いフーからの頼みとあれば、このイーラはどこでも向かいますよ。こちらこそ、待たせてしまったようですみませんでした」

「いいのいいのっ。あ、この後すぐ帰らないといけない?そうじゃないなら、おいしいガレットのお店があるから、お礼に奢るよ!」


 そう言いながら、我ながら滑稽なほど忙しなく路地裏から出ようとした……その時。


「…………えっ?」


 路地裏に面した大通り。

 人が行き交う中で、見覚えのある浅黒肌三白眼イケメンが目に留まる。

 周りにばれないよう変装しているが、あんな国宝級のイケメンの顔、好きな奴の顔を見間違えるはずもない。けど、偶然見つけたその姿を見ても俺のテンションは全く上がらなかった。


 なぜなら。

 その隣には、見覚えのない黒髪の美少女がいたからだ。


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