第43話:兄、囲まれる

 前回までのあらすじというやつをやろうと思う。

 43話目ともなれば、冒頭でお出しされた設定なんて忘れられているだろう。あと、諸事情によって俺達のとんでも話に触るのがめちゃくちゃ久しぶりの人もいると思うので、そういう層向けでもある。

 さて、色々とすれすれな前置きはこのへんにして。


 俺の名前はフレール、この前十七才になったオンナノコである。

 気づいた時には天涯孤独。

 孤児院で育ち、最低限働ける程度に成長したところで、オリエンス王国の貴族・ルクスリア家に下女として引き取られた。

 そして今はご息女スール・ルクスリア専属のメイドという、本来なら庶民には絶対つけないような役職として毎日働いている。例えるなら平社員がいきなり社長秘書に任命されたようなものだ。

 バリバリの身分社会でどうしてこんな成り上がりができたのか。

 理由は一言で済む。説明は一言じゃ済まないが。


 俺が前世で、スールお嬢様の兄貴だったからだ。


 ……うん、意味わかんないよな、わかる。

 俺だってこんなこといきなり言われたらまずそいつの頭を心配する。

 しかし、これは覆しようのない事実だった。中世ヨーロッパ風の世界じゃ逆立ちしたって捻り出せないような現代日本の知識とそこで過ごした記憶が俺にはあり、同じものがスールお嬢様もとい俺の妹にもあるのだ。

 仲良く登校中、仲良く交通事故にあった俺達は、仲良く同じ世界に転生した。

 奇跡的な確率すぎる。事実は小説よりも奇なりとはこのことだろう。

 この世界の(自称)神様曰く、妹が直前までプレイしていた乙女ゲームの世界だから、一緒に事故った俺達は同じところに転生しやすかったとのことだが。


 乙女ゲームの世界に転生とかふざけているのかって?

 残念だが、冗談でもないし俺の頭がどうにかなったわけでもない。いや、正直今でも半分くらいは疑っているんだが、無関係と言い切るにはその乙女ゲーム『サンドリヨンに花束を』との類似点が多すぎた。

 あ、俺がプレイしていたわけじゃないからな!

 プレイしていたのはゲームオタクだった我が妹である。この世界が乙女ゲームだという妄言を言い出したのは、他ならぬ妹だった。

 妹が主人公、俺が攻略対象にでも転生していれば丸く収まったが、世の中そううまくはいかないもので。

 妹はこのゲームで悲惨な運命をたどる悪役令嬢。

 俺はこのゲームの主人公に転生していた。なんでだよ本当に。



 そしてなんやかんやあって、俺は『サンドリヨンに花束を』の隠しキャラ、ジャン=クリストフ・スペルビアの攻略ルートに進んでいる。

 なんやかんやはなんやかんやだ。

 察してほしい。いや察してくれ。むしろ察せ!

 そろそろ半年の付き合いになるけど、いまだに男だったころの自尊心とかそういうのが邪魔するので俺も困っている。いや、正直これを失ったらちょっとアイデンティティがやばいので一生傍にいてほしいんだが。


 さておき。

 つまり俺はフレールという女の子として、クリスという男とオツキアイをしている。

 男のころはモテモテハーレムを夢見たこともあったが、逆ハーレムは一ミクロンもそそられない。そもそもクリスだからギリギリOKを出しているわけで。他の野郎に求愛されるなんてごめんである。

 しかし、俺は乙女ゲームの主人公・フレール。

 スールに比べると平凡オブ平凡な顔面偏差値(銀髪になったり女の子らしい表情になったりすれば第三者視点だと可愛い女の子に見えるのは知っているが、自分のツラだと思うと普通としか言いようがない。おっぱいもでかくないし)だというのに、主人公補正で国宝級イケメンからモテまくる罪な女である。

 なので。


「フー…、林檎が煮えましたよ」

「あ、ありがとうございますイーラ様。もうすぐ生地ができるので、それまでお待ちを」

「ええ、わかりました。しかし、煮た林檎に、卵と牛乳で作ったソースを合わせてパイとして焼くとは……。フ-の発想にはいつも驚かされますね」

「ははは…。お褒めに預かり光栄ですわ」

「フレールの料理の上達は実に目覚ましい。たまには妹のわがままだけじゃなく、私にも何か作ってもらいたいものだね」

「え、ええ。セザール様のご下命とあれば謹んでお受けいたします」

「ご下命だなんて、そんな他人行儀な。お願い、と言ってくれると嬉しいな」

「は、はい、申し訳ありません……」

「ふふっ。謝る必要なんてないよ、フレール」


 国宝級イケメン二人に甘い言葉をかけられながら、お菓子を作るなんてこともある。

 …………いやいやいやいやいや。

 冷静に考えるとなんでこの二人に囲まれてんだよ!

 セザール様は前回いったん身を引くって言ったし、いー兄さんに至っては一応俺あんたのご主人様の彼女だろ!好感度稼ごうとすんな!


 いやまあ、事情はそれなりにあるのだ。

 刃傷沙汰未遂事件から数ヶ月。夏はとうに過ぎ、現在は秋の真っ盛り。

 その間に、セザール様ことセザール・ルクスリアと、いー兄さんこと執事長イーラがエンカウントする事件があった。

 紳士騎士と腹黒執事。

 水と油なことはこの字面だけで察してもらえるだろう。

 セザール様は、クリスが相手ならいったん身を引くという表明をした。

 しかし、他にもライバルがいるなら――しかもそいつが生理的に気に食わない――話は別らしい。クリスと俺が破局した時に備えるとばかりに、積極的に俺との交流を増やしにかかった。それを面白がってか(この人二回くらいでかいやらかしをしているんだからそろそろ省みてくれねえかな……。いや、一応主であるクリスの恋路を立てる方向にシフトはしているっぽいけど)、いー兄さんも俺に余計に構うようになった。

 それはまあいい。まあ許す。

 問題は。


「…………………」


 現在進行形で俺と付き合っている男、ジャン=クリストフの前だろうと構わずにそれをやってくるということだった。

 いや、ほんとなんでだよ!

 攻略対象どもはどいつもこいつも思い込みが激しいというか行動がバグるというか、とにかく暴走機関車みたいな挙動で俺の人生を物理的にピンチに追いやってきたのだが(自称神様曰く「補正」による不具合らしいし、俺や妹、クリスが無事なので水に流した)、この二人は特にやばい。

 多分、元の性格からして思い込みが激しいんだろう。

 それにしたってお前らツラ以外にも有能さが売りなんだから、もうちょっと自分の感情をセーブした行動をとってくれ。


 さて、俺と同じくらい可哀想なのが二人の時間をぶち壊されたクリスだ。

 イーラが同行してきた時点でもうだいぶ機嫌が悪そうだったが、そこに二人が来たのを聞きつけてきたセザール様が厨房にやってきたあたりでご機嫌は刺殺ができそうなくらいななめになった。

 今はめちゃくちゃ不機嫌そうな顔で、俺達を睨みつけている。

 ツラは国宝級にいいけど目つきがやばいから、睨みつけられると迫力が段違いだ。目で人を殺せるならここにいる三人は爆散していることだろう。


 刃傷沙汰未遂事件の時に俺に対してもう遠慮しないと豪語はしたものの、前世が男である俺に配慮してまだ不意打ちちゅーくらいで許してもらっている。俺様系ではあるが、なんだかんだクリスは優しいし気遣いもできるのだ。そういうところが好感度高い。

 その代わりクリスがルクスリア家に来る頻度が爆上がりしたし、何度も当主様に俺の引き抜き交渉をしてはそのたびに妹に阻止されているのだが。

 メイドネットワークで聞いた話だと、社交界では今、王子達がスールをとりあっているんじゃないかともっぱららしい。まあ傍から見たらそうなるよな。第二王子の方も第一王子ほどじゃないけどうちに来るし……今日も来ているし……。

 そんな第二王子ことジャン=ジャック・スペルビアもゲームの攻略対象だが、奴の方は俺じゃなく妹――スール・ルクスリアに好意を寄せている。なので、社交界の噂は全く見当はずれというわけでもなかった。


 とまあ、こんな感じに遠慮してないところでは攻め攻めになった我らがアサシンだが、恋敵にはまあまあ大人しい。大人しいというか、この中でぶっちぎりの権力を持っていて、その気になればどっちも簡単に黙らせられるから自重しているっぽい。

 この第一王子、俺様系なわりに権力で言うことをきかせるのは好きじゃないらしい。

 つまり、めちゃくちゃ気に食わないけど権力パワーを使うのはむかつくから、仕方なく自分の女に群がる野郎を黙って見ているわけで。

 それがわかっちゃう俺は針のむしろに座っている気分だった。


 ちなみに天然系紳士セザール様は第一王子の内なるお怒りには全然気づいてないが、いー兄さんは気づいた上であえて俺に話しかけている節がある。

 こいつなー!Sっ気あるからなー!

 俺にちょっかいはかけるけどクリスのことも大好きなんだよな、この腹黒執事長。

 その愛が複雑骨折さえしてなければ悪いことじゃないんだが。


「…………はあ」


 こっそり溜息をつきながら、俺はこしらえたパイ生地をタルト型に入れた。

 今日の妹わがままもといリクエストはアップルパイである。

 冷凍パイシートに頼りきりだった俺がパイ生地を一から作るのは無理ゲーだが、パイの包み焼きはこの世界だとポピュラーなのでレシピが存在する。おかげで我が家の母の味、カスタードソースとカラメル林檎を合わせたアップルパイを再現できていた。

 コーンスターチを何で代用していいのかわからず(前世だとコーンスターチが何なのか知らずに使っていた)、カスタードを作るのに苦戦しまくって、完成にこぎつけられたのはつい最近なのだが。いくらクリスからの貢物があるとはいえ、卵に砂糖に牛乳という、お値段が張る上に真ん中以外は日持ちさせづらいものを使ったレシピは気安く再挑戦ができなかったのもでかい。

 一体何度、フレンチトーストのカラメル林檎のせ~パイはディナーに~になったことか。

 まあ、そんな苦労はさておきだ。


 どうせいるんだからといー兄さんをこき使って作らせた、林檎のカラメル煮。

 これをまずパイ生地に並べてから、先に作っておいたカスタードソースを上にかける。その上にまた林檎を並べて、さらに上からソースで隠す。どっちもあえて全部は使い切らず、林檎を煮た鍋に残ったカスタードを流し込んでから、いったん鍋を下ろす。

 不思議そうにしているいー兄さんはスルーして、縁ごと隠すようにパイ生地を被せた。

 本当はここに卵黄を塗るのだが、さすがにもったいないので省略。そのまま天板に器を乗せると、今か今かと出番を待ちながら熱を放出していた石窯に入れた。

 これで後は焼けるのを待つばかりだ。

 オーブンと違って、油断していると簡単に消し炭になるから気は緩められないが。

 とはいえ、数分ほったらして真っ黒になるようなもんでもない。


「クリス様、ちょっとこちらへ」


 なので、俺はクリスに声をかけた。

 ……うっわ、仏頂面が一瞬でちょっと緩んだ。あいつ俺のこと好きすぎるだろ。


「なんだ、フレール」

「いいからこちらへ」


 それでも、さすがにご機嫌マックスとはいかない。いつもより一オクターブくらい低い声で、何の用かと暗に聞いてくる。

 それをガン無視して、ちょいちょいと手招きをした。

 ……いー兄さんの好感度高くなかったら館の裏に呼び出されそうだなこれ。さらっとやっちまったけど、次からは気をつけよう。セザール様とか「ええ…?」みたいな顔してるし。


「まったく、俺をぞんざいに扱うのはお前くらいだぞ」


 とはいえ、自分の身分とか気にしない扱われ方をすると「おもしれー女」判定を下してくるクリスのお気には召したらしい。ご機嫌ゲージをさらに上昇させながら、言われた通り、俺の方へと近づいてきた。

 こいつのこういうとこ可愛いんだよな……。

 なんというか、偉ぶっている犬みたいで。

 微笑ましく思いながら、俺は林檎のカラメル煮が入った鍋を手に取る。そして、黄色いソースが絡まったそれをスプーンですくい、それをクリスの方に差し出した。


「パイが焼き上がるまで、まだ時間かかりますからね。大人しくお待ちになっていたご褒美です」


 いつもなら、こんな「あーん」みたいなことは絶対しない。恥ずかしいから(妹にやるみたいに思わず手ずから食わせることはあるけど、それは無意識なのでノーカン)。

 でも今日はサービスだ。今日のクリス、可哀想だし。

 そして、面食らった様子で見ている二人への牽制?威嚇?でもある。

 いい加減諦めろよなー!ほんとなー!


「……」


 一方のクリスは差し出されたスプーンをまじまじと見た後、ニィッと満足げな笑みを浮かべる。そして俺の手首を掴むと、自分の口元へと引き寄せた。

 そのまま、黄色いソースがかかった林檎のカラメル煮を頬張る。

 味がお気に召したのか、イケメンの頬が緩む。最初は嬉しそうにしているだけだったけど、だんだんと表情筋が陥落されていっているのは正直見ていてテンションが上がる。食べさせがいがあるとはこのことだ。

 だが、そんな可愛げのある顔も林檎を飲みこむまで。

 喉仏までイケメンに見える喉を上下に動かした後、クリスはめちゃくちゃドヤ顔でセザール様といー兄さんの方を見た。くそっ、ドヤ顔もかっこよく見えるイケメンがよ!


「……ふふっ」


 そんなクリスをしばらくぽかんとした顔で見た後、セザール様が優しく微笑む。

 両方の名誉のために言うと、決して微笑ましいものを見たとか、そういう感じの笑い顔じゃない。なんていうか、敵わないな、って感じの、潔い笑顔だった。

 そのころ、いー兄さんはなんていうか、こう、あれだ。

 推し同士が絡んでいるのを見て、嬉しい反面、解釈違いでもあるからどうリアクションしていいか困っているみたいな、そういう厄介オタクみたいな顔になっている。なんでそんな顔がわかるのかというと、妹がたまにしていたからである。


「――さて。あまり長居し続けてもフレールの気が散るでしょう。イーラさん、私達はそろそろお暇しましょうか」

「えっ?いえ、私はクリストフ様の執事ですので……」

「お暇しましょうか」


 有無を言わせない様子でクリスの腕を掴むと、そのままセザール様はいー兄さんを引きずるように厨房の出入り口に向かい始めた。いー兄さんも俺を路地裏で抹殺しようとしただけあっていい体格をしているが、余裕で力負けしている。

 伊達に武者修行してないな、あの人……。

 あと脳内でめちゃくちゃテンションあげないでください、素フーレルさん。


「またね、フレール」


 去り際、セザール様が俺に向かって優しげに言いながら、ウインクを飛ばしてくる。

 うっっっっっ。

 やめろ!イケメンのウインクはこっちにその気がなくても殺傷力高いって法律でも書いてあるだろ!


「やれやれ……。セザールの方はいざという時の空気は読めるから助かるな。今のウインクはいただけないが」


 思わず熱くなりかけた頬をぱしぱし叩いていると、クリスは溜息とともにそんな言葉をぼやいた。

 いやそんな、普段は空気読まないみたいな。

 いや、読めるならそもそも最初から厨房にいないんだけども。


「ところでクリス様」

「二人きりなんだ、様はよせ」

「あ、ごめんつい。……でさあ、クリス」

「なんだ?フレール」

「腰に手を回すのやめてくんない?」


 いなくなった途端に手ぇ出すの早いなお前は!

 思わず呆れた顔になるが、クリスはどこ吹く風。

 俺から離れるどころか、いっそう腰を引き寄せて顔を近づけてきた。いや近い近い近い!イケメンを急に近づけるのやめろってば!


「せっかくの逢瀬を、ずっと邪魔者二人に阻まれてきたんだぞ。いい加減我慢も限界だ。口の一つや二つくらい吸わせろ」

「デリカシー!!」


 情緒の欠片もない台詞に思わずそう叫び声を上げる。至近距離の大声にクリスはうるさそうに眉をひそめたものの、構わずぐいぐいと顔を近づけてきた。


「……しかし、何度見ても飾り気がないな。よく料理をするなら指輪や腕輪は不適切にしても、ネックレスくらいつけてもいいだろうに」

「使用人が首元じゃらつかせたらダメだろ。あと俺、首にものつけると落ち着かなくて」


 寒い時は我慢するけど、できるならマフラーとかもあんまりつけたくない。だってくすぐったいし。

 俺の返事に「そういうものか」と呟きながら、耳たぶをぷにぷにと触ってくるクリス。顔同士の距離は変わらず、息が触れ合いそうなくらいにめちゃくちゃ近い。

 うーあーうーーーーーー。

 払いのけたい気持ちが湧き上がるが、それ以上に見入ってしまう俺がいた。


「抵抗しないんだな」

「うっさいっ」


 意地悪な囁きに、せめてとばかりに小声で罵る。

 説得力がないことくらい、自分の顔の熱さでわかっている。


「本当にお前は愛らしい奴だよ、フレール」


 そんな俺を見て、クリスはからかうような声音じゃなく、嬉しそうな声でそう言った。

 それにますます体温が上がるのを感じながら、ますます近づいてくる顔を直視したくないとばかりにぎゅっと目を閉じる。

 そして、唇に柔らかいものが当たりそうになって――――


「フレールいるー?」

「うおおおおおおお!!!!!」


 突然聞こえた声に、俺は思いきり目の前の胸板を突き飛ばした。

 ……どっかでやったなあ、このやりとり!


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