三部

世界の裏側の話

 暗くて、冷たくて、そして寂しい。

“それ”がいたのは、そんな場所だった。


 ――――憎い


 暗がりの中、“それ”は一つの感情に囚われていた。


 ――――憎い

 ――――憎い


 凍える中、“それ”は多くのものに同じ感情を向けていた。


 ――――憎い

 ――――憎い

 ――――憎い


 寂寥に満ちた中、“それ”は世界に強い感情を抱いていた。


“それ”はある女が憎かった。

 見苦しい自尊心を振りかざし、何度も何度も自分を苛んできた女が憎かった。


“それ”は男達が憎かった。

 無自覚な傲慢さで人生を掻き乱す男が。

 純愛を騙る色欲で展望のない未来に誘う男が。

 一方的な所有権に基づいた憤怒で縛りつけてくる男が。

 聖職者にあるまじき強欲で自由を奪う男が。


“それ”は、ある男が一番憎かった。

 飢えた獣のように“それ”の命を何度も暴食し。

 自らが投げた小石による波紋を、怠惰に見過ごし。

 そのくせ、ひとたび嫉妬に狂えば何もかもを台無しにする男が。


 そして今は、それらよりもっと憎いものがあった。


(憎い)

(許さない)

(許されない)

(私達はあんなに不幸になったのに)

(お前だけ幸せになるなんて)

(そんなの絶対に)

(許されはしない――――)






 夕暮れの教室。

 机の上に、銀髪の少女が腰かけていた。

 素朴で、傍にいるだけで人を安心させるような、そんな愛らしい顔立ちの少女である。しかし銀髪という異質な髪のせいなのか、はたまたトリックスターという言葉を連想させる微笑みのせいなのか、素朴さは反転し、蠱惑的な印象を強く感じさせた。


「うーん、これはちょっと困りましたね」


 少女は、言葉とは裏腹に楽しそうな様子で口を開いた。


「妹さんに情報を横流しネタバレして、お二人にデッドエンド回避に勤しんでもらったまではよかったんですが。まさか強引にイベントを発生させようとするとは。所詮は人に似せて創られた存在だというのに、実に人らしく粘着質です。うーん、実に御しがたく解しがたい!」


 愉快愉快と。

 そんな独り言を口にしながら、少女は机から下りる。


「とはいえ、どうしますか。あそこまで自我を持つと、フレールを葬っても治まらないでしょうし。むしろそれがきっかけとなって、世界そのものを滅ぼす災厄に転じかねません。まあ、こんな世界の一つや二つ、なくなったところで困りはしないんですけど。今のお兄さんも妹さんも、それなりに気に入ってるんですよねえ」


 軽やかな足取りのまま向かうのは、教室の前方にある教壇。そこにとんと飛び乗ると、チョークの痕跡がうっすらと残る黒板に、さらさらさらと文字を書き始めた。


「私がなんとかできれば、一番なんですけどねえ。いかんせん人の人生に干渉するというのは、米粒に絵を掘るようなものでして。面と向かってお話できるのは、お役目の時くらいなんですよね。いわゆるチート能力のお渡しとか、魂の転生とか。まあ、あのお二人は引っ張られる形による転生だったのでその時はご対面してないわけですが。さておき」


 そこに書かれたのは、ある世界では強欲のラテン語読みとして扱われ、ある世界では一人の男の名前を指す単語。

 それを書き終えると、少女はくるりと後ろを振り返る。

 そして。


「なので、貴方には私のメッセンジャーになっていただきたいのです♪その代わりと言ってはなんですが、貴方には知りたがっていた世界の真実をお教えしましょう」


 夕暮れの教室に現れた男に向かって、にこやかな笑顔を浮かべた。

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