ルート・オブ・ジャック

 オリエンス王国の城下に広がる街は、歴然たる区分けこそされていないものの、大まかにいくつかのエリアに分かれている。

 まずは市場を始めとする商いの場が点在する場所。

 貧しい者達が住まう貧民街。

 そして、貴族御用達の店が集まる娯楽エリアだ。

 この娯楽エリアは庶民には手が出せない高値の品を取り扱う店や、コーヒーや紅茶を味わうことができる店がある。貴族達はそこで審美眼を養ったり、お茶を嗜みながら他の貴族と文化交流を行ったりするのだ。



 そんな喫茶店の一つに、二人の客がいた。

 一人は、まばゆい金髪碧眼が目を引く優形の青年。

 もう一人は、アッシュグレイの髪をした、少し人相が悪い少女。

 どちらも息を呑むほどの美形であり、特に青年の方は見るものをうっとりとさせるほど際立った端正さがあった。

 身にまとうのは下級貴族に多い服装だが、隠しきれない気品が漂っている。

 何を隠そう少女は、上級貴族であるルクスリア家の令嬢、スール・ルクスリア。

 そして青年は、オリエンス王国が第二王子、ジャン=ジャック・スペルビアその人であった。

 その正体が気取られていないのはひとえに、どちらにも付き人がいないこと。何より、高貴なるお方がこんな街中でお茶を嗜んでいるわけがないという先入観の賜物であった。


「普段飲むのは紅茶が主で、コーヒーはあまり嗜んでいなかったのですが……。良い豆を使っている店のものは実に美味ですね」

「え、ええ……」


 ジャックの方はそれに気づいておらず、穏やかな微笑みでカップに口をつけている。しかし、人目を集めていることに自覚的なスールは内心、気が気ではなかった。


(胃が……)


 笑みを浮かべながら、テーブルの下でこっそり腹部を撫でる。

 だが、胃痛を感じているのは正体が気取られ、騒ぎになることに対する不安だけではない。彼女の心痛を強めている要素はもう一つあり、むしろそちらの方こそが胃痛の原因と言っても過言ではなかった。


(なんで私が、ジャックくんとのデートイベントをこなしてるの?)


 本日何度目になるかわからない疑問を、コーヒーとともに飲み込んだ。





 スール・ルクスリアには、前世の記憶がある。

 前世では現代日本でオタクJKをしていた彼女は、乙女ゲームにハマっていた。

 直近でプレイしていたのは『サンドリヨンに花束を』というタイトルのゲーム。エモいが地雷も多いことで名が知られるゲームブランドの新作で、内容は中世ヨーロッパ風の世界を舞台にしたシンデレラストーリーである。

 貴族の屋敷に住み込みで働く下女の少女フレールを主人公とし、上は王子から下は執事長まで、自分より身分が高い男達と恋に落ちて結ばれるまでが基本のストーリーラインとなっている。

 大きく王城ルートと教会ルートの二つに分かれてゲームは進んでいくのだが、どちらのルートにも登場し、主人公の恋路を阻もうとする悪役キャラが存在する。


 下女という身分にも関わらず、自分以上の幸せを得んとするフレールを妬み、暗殺を企み、最終的には国外追放をされたり幽閉されたりする悪徳令嬢。

 攻略キャラの一人、セザール・ルクスリアの実の妹。

 その名は、スール・ルクスリア。

 そう、前世の記憶を持つ少女は自らがプレイしていた乙女ゲームの世界の、よりにもよって悪役の姿になっているのである。

 いわゆる、異世界転生というやつだ。

 実の兄とともにトラックにはねられて死した魂は、その兄も巻き込んで乙女ゲームに酷似した異世界に転生してしまった。

 兄の方は性別を変え、ヒロインであるフレールとして転生を果たしている。

 乙女ゲームは自己投影ではなくキャラクター同士の絡みを楽しむプレイングをしていたため、その立場を羨ましいと思ったことはない。しかし、油断すると破滅フラグが立ちそうになる悪役令嬢には転生したくなかったと思うことは多々あった。



 そんな中、スール・ルクスリアとして生まれたことを嬉しく思うことが二つある。

 一つは言わずもがな、前世では実の兄だったフレールのすぐ近くだったということ。

 前世でブラコン気味だったスールは、兄の存在を支えに生きていけると言っても過言ではない。十四才(そろそろ十五才を迎えるが)という、まだまだ幼い体に引きずられるように情緒不安定になっては、兄に慰められることはしょっちゅうだった。

 そしてもう一つ。

 それは今目の前にいる青年、ジャン=ジャック・スペルビアだった。



 ジャックは『サンドリヨンに花束を』の攻略キャラの一人だ。

 主人公のフレールと交流し、スール・ルクスリアはそれを見てフレールへの妬みを強くしていくのがゲームの筋書きである。


 しかし、当のフレールが隠しキャラルートのフラグを踏み抜いたばかりに、ジャックは敬愛する義兄にして『サンドリヨンに花束を』の隠しキャラ、ジャン=クリストフ・スペルビアと親しくするフレールに嫉妬心を抱くポジションになった。そして本来下女の時にクリストフと出会うはずだったフレールがスール付きのメイドになったため、その嫉妬心は曲解を経てスールに向かうという、さらにややこしい事態になったのである。

 危うく主人公のデッドエンドに入りかけたが、フレールが蹴り飛ばす形で阻止し、クリストフが事情を説明したために誤解は解け、それは回避された。

 後日ジャックからの謝罪を受け、スールはそれを受け止めて彼を許した。

 詰問された時は確かに恐れを感じたが、直接危害を加えられたわけでもない。何より彼女もまた、彼と同じくブラコン気質を有する者であった。好きな兄のために暴走してしまったジャックの気持ちは、少なからず理解できたのだ。


 転機があったとしたら、おそらくそこだろうと少女は考える。

 自身の愚行を許したスールに対し一気に心を開いたのだろう。謝罪の日以来、ジャックはルクスリア家を訪れるようになった。

 フレールに会うため足繁く訪れるクリストフほどではないにしても、彼の訪問回数もまた、熱心な部類に入った。彼が忙しくて足を運ぶ余裕がない時は文通でのやりとりもしていたので、ともすればフレールとクリストフよりも密に交流をしていたとも言える。



 前世の記憶を取り戻したのが、スール・ルクスリアが十三才のころ。

 現代日本ならば、対人関係に問題がなければ最低でも一人や二人の友人はいるだろう。しかし、貴族社会が横行しているオリエンス王国ではそうもいかない。子供の社交界デビューは十五才で、そこで交友関係を広げるのが定例となっている。

 そのため、貴族の横繋がりで知人と呼べる関係の者はいたが、堂々と友達と言えるほど仲が良い相手は一人もいなかった。

 そんな中で生まれたジャックとの交流は、兄の存在とは違うベクトルでスールにとってある種の支えとなっていた。

 相手は王族なので、完全な対等関係というわけではない。それでも、限りなくそれに近しい立ち位置で喋ることができる相手というのは得難いものだ。兄と違い、無礼に当たる行動さえとらなければおおっぴらにやりとりができるというのもスールの中ではポイントが高い。

 そしてこれは、スール・ルクスリアとして生まれていなければ得られていない縁でもある。そういう意味では、この立ち位置に生まれたことをスールは喜ばしく思っていた。


 ……つい先ほどまでは。





「あ、そうだ。お兄ちゃん」


 夕食も終わり、兄もといフレールを引き連れて自室に戻ってきたスールは、さも今伝えるべきことを思い出したと言わんばかりの態度で口を開いた。

 無論、忘れていたわけではない。

 シスコンの気がある兄に知らせるなら、直前が良いだろうと判断した結果だ。


(友達と遊びに行くだけなのに、相手がジャックくんってだけでお兄ちゃん、目を吊り上げそうだし)


 前世の妹にそんなことを思われているとは露知らず、ベッドのシーツを整えていたフレールは小首を傾げた。


「ん、なんだ?」

「明日ね、ジャックくんと遊びに行くことになったから」

「…………は?」


 初耳ですが?と言わんばかりの顔で、フレールは低い声を漏らした。

 そんな彼女かれの反応は予想できていたため、驚きはしない。心配性な兄にやれやれと肩をすくめてから、スールは笑った。


「そんな反応しなくても。友達と遊びに行くってだけよ?」

「いやいやいやいやいや」


 ベッドの脇から素早くスールの前に移動したフレールは、彼女の肩を鷲掴みにして顔を近づける。


「今日も可愛くて何よりな妹よ。異性同士で友情が成立するのは幻想だぞ?」

「そうは言ってもこうして成立してますし」

「いやいやいやいやいや」

「もう、心配性なんだから。心配してくれるのは嬉しいけど、だからってついてきちゃダメだからね?お兄ちゃんがいるの見つかったら恥ずかしいし」

「は?」


 耳を疑うような顔をした後、その表情のまま、フレールは口を動かす。


「……つかぬこと聞くが妹よ」

「どうぞ?」

「その言いようからは、お前は俺という供もつけずに第二王子殿と出かけるとしか聞こえないのだが。いかがか?」

「それで合っていますことよお兄様」

「はー???」

「だって、ジャックくんがお忍びだからあまり供はつけたくないって言うんだもの」

「…………」


 間近にある顔がしかめっ面になる。

 可愛い顔が酷いことになっているなあとスールが思っていると、しかめっ面が頭痛を堪えるような表情に変わる。そのまま肩から手を離したフレールは、こめかみを押さえながら一歩後ろに下がった。


「……えーっと、整理するぞ?」

「うん」

「お前は明日、第二王子と遊びに行く。これは第二王子から誘ってきた」

「そうね」

「んで、第二王子はそのお出かけはお忍びにしたいから、供は極力つけないでほしいとお願いしてきた」

「王子様はそこらへん気を遣わないといけないの大変よね」

「いやいやいやいやいや」


 否定の言葉を重ねた後、フレールは呆れた顔で続ける。


「お前それ、どう考えてもデートのお誘いだろ!」

「えー、まっさかあ。攻略キャラのジャックくんが、悪役令嬢役の私を好きになるわけないじゃん」

「このゲーム脳!」


 頭から否定するスールにそう怒鳴りつけてから。


「そんなこと言うなら、明日のデート内容とゲームの記憶を照らし合わせてみろ!」


 腰に手を当てて仁王立ちになったフレールは、そう言い放った。




 それが昨夜のできごと。

 そして当日。メイド長に兄を預けて尾行できないようにしてから屋敷を出たところまでは、友達と遊びに行くという事実にテンションを高めていた。

 しかし、ジャックと合流した後、お忍びだからお互いの格好を変えようと王族御用達のブティックに連れて行かれた辺りで雲行きが変わり始めた。


「この格好なら、我々の正体に気づく者はいないでしょう」

「普段のドレスも貴方の魅力を引き立てていますが……その格好もとてもよくお似合いですよ」


 用意された下級貴族の服。

 それに袖を通した時の褒め言葉。


 細部に違いこそあれど、ブティックに連れて行かれるまでの流れまで含め、ジャックルートのデートイベントで見たものと酷似していたからだ。

 この世界で起きることはゲームの内容を基準に考えていたスールも、否、ゲームを基準に考えていたスールだからこそ、認めざるを得なかった。

 自分が今、ジャックルートのデートイベントを追体験していることを。




「コーヒー、ありがとうございました」

「あ、ありがとうございましたぁ」


 店の出入り口で、ジャックの会釈に合わせてスールも頭も下げる。

 考え事をしすぎて、コーヒーの味をろくに覚えていない。その申し訳なさから声が上ずったが、店員には特に変な顔を向けられなかった。

 もっとも、その店員がまずジャックの美貌に見惚れていて上の空なことが多々あったのだが。


「おいしかったですね、スール」

「ええ」


 ジャックにも気取られていないようで、微笑みとともに同意を求められる。

 安堵しながら頷けば、店の段差の前を先にジャックが降りる。そして、そっと手のひらを差し出された。


「それでは、次の場所に参りましょうか」

「え、ええ」


 様になったエスコートに、声がひっくり返らないようにするのがやっとだった。

 落ち着かせるように深呼吸をしてからその手をとり、それを支えにしてゆっくりと段差を降りる。横に並び立てば、さりげない動きでジャックは車道側に立つ。時折ある馬車の往来からスールを守るポジションに立ったところで、その顔に再び微笑みを浮かべた。


(う、うう……)


 慣れたはずの微笑みに、今日はどぎまぎしてしまう。

 社交界デビューはまだのため、男性にエスコートされる経験などろくにない。あっても相手は父や今世の兄くらいなもの。

 つまり、今世でも年が近い異性に女性として扱われる経験に乏しいということだ。前世に関してはオタクJKだったことを考慮し、深く触れないこととする。

 それでもジャック相手ならばさほど気負わないだろうと、スールは慢心していた。いや、昨日までの心境ならば、王子という肩書が様になる仕草を見て他人事のように感心していたかもしれない。

 しかし、ジャックが自分を好いているかもしれないと思っている今ではそうもいかなかった。



「スール、今日は天気に恵まれてよかったですね」

「このネックレスはスールに似合うと思うのですが、どうでしょうか」

「どこか気になるお店はありますか?」

「スール、疲れてはいませんか?」

「この木陰は心地が良さそうですね。少し休んでいきましょうか」


 道中にかけられる、言葉の数々。


(お、落ち着かない……!)


 それに総身をむず痒くさせる間にも、時間は過ぎていく。

 気づけば日が傾き、空の端には夕焼けが滲み始めていた。






(お、終わった……)


 夕日が差し込む馬車の中、スールは胸中で安堵の息を零した。

 服は先ほどまで着ていた下級貴族のドレスではなく、スールの私物であるドレス。向かいの席に座るジャックもまた、今日会った時に着ていた外出用の正装に身を包んでいる。

 お互い、見慣れた格好。

 それを見ていると、先ほどまでのできごとが夢か何かのように感じられた。


(……うん。夢よ、夢。だって悪役令嬢役の私がジャック王子とデートなんて、ありえないもの)


 そんな思いが脳裏をよぎる。

 夢だと思う。すなわち、なかったことにする。その考えは疲れた心に染み入るようで、流されるように思考はそちらに舵取りしかける。

 しかし。


「……スール」

「なんでしょうか、ジャック王子」

「今日は……楽しくなかったですか?」

「――――」


 不意にかけられた言葉に、スールは冷水を浴びせられたように凍りついた。


「今日の貴方は、上の空であることが多かった。……最初は緊張しているのかと、自分に都合の良いように捉えてしまっていましたが、どうやらそうでもないらしい。そうなると……いえ、これ以上は無礼に当たりますね」


 申し訳ありませんと言いながら、ジャックは頭を下げる。

 そこから面を上げると、その顔には寂しげな笑みが浮かんでいた。


「私は、とても楽しかった。私ばかりが楽しんで、申し訳ありません」

「――」


 その言葉に一瞬言葉を失ってから。


「……なんで、君が謝るの?」


 膝の上に置いた手を強く握りしめながら、スールは唇を動かした。


「悪いのは、私じゃない」

(そうだ。私が悪い)


 口にした言の葉と、心の声が重なる。

 集中できていないスールに気づきながらもそれにあえて触れず、エスコートを続けたジャックに咎はない。悪いのは考え事ばかりに終始して、今日の外出を楽しもうという気概がなかったスールの方だ。

 それなのに、ジャックはスールを責める言葉を口にしない。

 自分に非があると頭を下げる彼に、スールは身勝手な怒りを感じた。


「楽しかった、楽しかったよ。でも、君が向けてきたのって、友達に対するやつじゃないじゃん。それに気づいちゃったら、どうしても戸惑っちゃうよ」

「スール……」

「君にそんなもの向けられるような覚えなんて、私にはないのに!」


 敬語を忘れて、素のままで声を荒げる。




 ユーザーに想像の余地が残るよう、デートイベントで焦点が当たるのは着替えのシーンと喫茶店のシーン、そしてデートが終わる時のシーンの三つ。今日かけられた言葉の数々は、ゲームの中でも見たことがなかった。

 だからといって、それらの言葉が彼の好意を表さないわけではない。

 それどころか、ゲームの登場人物が自らのロールに沿った言葉なのではなく、スールという一人の少女に向けて、ジャン=ジャック・スペルビアが紡いだ言葉なのだといやでも実感してしまった。


 正直に言ってしまえば、前世の兄以外を除けば、この世界の人間はゲームの登場人物というくくりで軽んじているのはあった。

 与えられた枠組みから逃れられないキャラクター達。

 興味深く観察したり、その行動に対して考えを講じたりすることはあれど、一人の人間として認識していたかと言われると答えはNoに近い。


 しかし、ジャックは違った。

 スールの友人というゲーム内にないポジションに立った彼を、スールは徐々にゲームの登場人物ではなく一人の人間として認識するようになっていたのだ。

 そんな中で、ゲームのイベントで彼から好意を向けられていると認識してしまった。

 ジャン=ジャック・スペルビアをどう見ればいいのか。

 スールには、それがわからなくなっている。



(フラグなんて、立てた覚えないのに)


 こんな時でもゲーム用語で例えてしまう自分に自嘲しながら、突然激高した自分を見て呆然としているジャックを見つめる。

 ジャックはしばし呆然としていたが、やがてその顔に困ったような微笑みを浮かべた。


「お恥ずかしながら、気取られていたようで」


 そう言いながら、そっと頬に手を伸ばしてくる。

 優しい手つきで撫でられてようやく、スールはいつの間にか自分が泣いていることに気づいた。


「……きっかけは、間違いなく貴方に許しを与えられた時でしょう」


 慰めるように頬を撫でながら、ジャックは言葉を続ける。


「無礼を働いた私を、貴方は私が王族だからではなく、家族を想うがゆえに働いた過ちを理解できると言って許してくださった。第二王子ジャン=ジャック・スペルビアが働いた無礼ではなく、ジャン=ジャックという男が働いた無礼として捉え、許しをくださった貴方に、私の心は動かされました」

「……」

「その時から、私という男は貴方をもっと知りたいと思った。貴方の度量の広さを学びたいと、そう思いました。そうして交流を続けていくうちに、私は自分の認識が過ちだったことに気づかされました」

「……過ち?」

「ええ。貴方は心が広いのではなく、自分の心のままに生きているのだとわかってきたのです。そしてそれが……私にはとても素晴らしいものに見えた。貴方という存在に、より強く惹かれてしまうほどには」


 失礼な物言いかとは思いますがと笑いつつ、触れた時と同じようにそっと手を離す。


「スール。私の想いは、貴方には迷惑でしょうか?」

「……わかんない。だって、男の子にそんな風に想われるの、初めてだし」


 正直に答える。

 嬉しいとは言えない。しかし、嫌だとも言えなかった。

 わからないのだ。

 何せ、前世でもこんな経験はなかったので。


「では貴方の中で答えが出るまで、私の想いはしまい込んでおきましょう。貴方を泣かせてしまうのは、本意ではありません。……ただ」

「ただ?」

「これだけは言わせてください。私に想いを寄せられる覚えがないなんて、そんなことを悲しそうなお顔で仰らないでください。貴方は妙なところでご自身の価値を卑下しがちのようですが……ジャン=ジャックにとって、スール・ルクスリアはとても魅力的な女性なのですから」


 そう言って、ジャックは眩しいものを見るように目を細め、微笑む。

 差し込む夕日も相まって、それは一枚のスチルのようであった。

『サンドリヨンに花束を』には存在しなかった、スールだけが見られた専用のイベントスチルだ。


「……」


 自分の記憶にしか刻まれない一枚絵にしばらく見惚れてから。


「…………イケメン、ずるい」


 スールの口からは、兄がクリストフやセザールに対して零すのと似た台詞が零れた。

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