第29話:兄、攻略する

「スールお嬢様、失礼いたします」

「よろしくてよ」


 ノックとともに堅苦しい挨拶をすれば、中からお上品な声が返る。

 すっかり板についたやりとりを終えてからドアを開ける。中には椅子に座ったスールお嬢様こと妹だけがいて、俺に向かって気安く手を振ってきた。

 ドアを閉めてから、応えるように軽く手を挙げる。


「おかえり、お兄ちゃん」

「おー……」


 妹の挨拶に、対になる言葉を返す気力は今の俺にはなかった。

 とっくにMPはゼロである。それでもがんばってメイドモードは維持していたから、妹だけの空間に戻ってきたのもあって疲れがどっときた。

 力なく返事をしつつ、ふらふらと天蓋付きベッドに歩み寄る。

 そしてそこに倒れ込むと、枕を強く顔に押しつけた。

 なぜかと言えば。


「ぐああああああああああ!!」


 今まで我慢していた絶叫を、少しでも小さくするためである。


「お、お兄ちゃん大丈夫……じゃないわね、うん」

「うおおおおお……」

「お疲れ様……」


 そんな俺の姿を見て、妹はそっと肩に手を置いてきた。

 優しい。

 しかし、こうして身悶えているのは元を辿れば妹が原因だった。


「で、好感度上げどうだった?」

「わかんねえ……あいつ俺から食いもん貰うといつも嬉しそうだし……」


 枕から顔を上げつつ、自信なく答える。

 クッキーを渡した時は嬉しそうにしていた。それは間違いない。でも、あれが特別な反応かと言われるとわからんのが偽りない本音だ。

 ってか、恥ずかしくなったからちゃんと確認できていないというか……。

 情けないのでさすがにそれは言えないけど。


「むむむ」


 そんな俺の返答に、妹は難しい顔をする。

 可愛い。


「やっぱりゲームの世界でも、ゲームみたいにわかりやすく効果は出ないか」


 これで美少女の顔から、オタク脳全開の台詞が出なければなあ。





「クリス王子の好感度ゲージを高くすればいいのよ」


 拉致監禁からのデッドエンドを阻止する手段を考えている最中、妹はそんなことを言い出した。


「好感度……ゲージ?」

「『サンドリヨンに花束を』にはないけど、同じゲームブランドが出したゲームに実装されてるのよね。攻略キャラにプレゼントをすることで好感度ゲージが上がって、イベントフラグが立つってやつ」

「うん。とりあえず一言いいか?」

「なあに?」

「この世界にステータスとかねえだろ!」


 チート系や無双系異世界転生ものなら今日び標準装備だろうが、俺達が転生してきたのはそんなもんない乙女ゲームの世界である。いや、俺が知らないだけで乙女ゲームの中にもRPG的ステータスがついているやつはあるかもしれないけど。

 とりあえずゲーム脳から帰ってきてほしい。

 そんな思いを込めての叫びだったが、どっこい妹は真面目だった。


「私だってさすがに、プレゼントを上げました、好感度がいくつ上がりました、っていうわかりやすい効果が出るとは思ってないわ。でも、クリス王子の元に足繁く通って贈り物を渡すのは、「貴方が好きです」アピールにはちょうどいいと思わない?」

「あー…。そう言われると、確かに」

「お兄ちゃんだって、前世で好きな女の子から頻繁に贈り物もらったら、こいつ俺に気があるんじゃないかって思うでしょう?」

「そんな素敵な体験したことねえわい!」


 男子高校生が一度は夢見るような体験をしていたら、まかり間違っても男に惚れるなんてありえない。……いや、悲しくなってくるな。やめよう。

 こほんと咳払いをしてから、妹の方を見る。


「つまりあれか。会いに行く&プレゼントの二重コンボで、「俺はお前のことが好きで他の男に興味なんてないんですよ」というアピールをしようってこと?」

「そゆこと。これくらいなら、お兄ちゃんにもできるでしょ」

「想像するだけでむず痒くはなるが、い…いちゃいちゃよりは抵抗ないな」


 恋する乙女ムーブみたいなのを自分がやると思うとなんとも言えない気持ちになるが、直接いちゃいちゃよりは全然ハードルが低い。

 どのみち、対策はとらないといけないのだ。何せ俺の命がかかっている。

 多少のむず痒さくらいは我慢すべきだろう。命がかかっているならいちゃいちゃの恥ずかしさだって我慢しろと言われるかもしれないが、こう、なんというかこう……わかってくれ!


「……この前変な追い返し方したし、ひとまずそれのお詫びを口実にして会ってみるかあ」

「そうしよそうしよ」


 妹の案に頷けば、自分の提案が通ったのが嬉しかったのか、弾んだ声で追従してくる。うーん、可愛い。でもお詫びする原因はお前だからな?





 そして現在に至る。

 結果としてはむず痒いどころの話じゃなかった。いや、身悶える羽目になったのは自分が最後に言った言葉のせいだってのはわかってはいるけども。


『……理由ないと、会いにきちゃだめか?』


 がああああああああああ!!

 し、しぬ。

 湧き上がってくる羞恥に、俺の顔は再び枕にダイブした。

 何口走ってんだよ俺!乙女か!いや見た目は乙女なんですけど!


「……お兄ちゃん、プレゼント渡しに行っただけで悶えすぎじゃ?」


 さすがに妹も、労るより訝しげな色が強くなってきた。

 自分でも、恋する乙女ムーブがきつかっただけじゃ言い訳が難しくなりつつあるのは薄々感じている。恥ずかしさにのたうち回るのは自室ですることにして、頭の中で素数を数えて落ち着いてから、俺はもう一度顔を上げた。


「俺が恋愛経験ゼロなのは知ってるだろ」

「堂々と言うこと?」


 情けない言い訳をすれば、妹は呆れた顔をする。

 しかしそれで納得もしてくれたようで、身悶えまくった俺に対するツッコミはなかった。


「ゲームでもプレゼント一つあげたくらいじゃフラグ発生ラインには届かないし、ひとまずは地道に続けていくのが一番かな」

「お、おう。そうだな……」


 羞恥の理由を明かさない代償が早速やってきた。俺は顔を引きつらせながらも、なんとか肯定の返事を返した。

 いや、まあ、うん、次は大丈夫大丈夫。

 今回は口を滑らせたばっかりに恥ずかしい思いしているだけだし!




「クリス王子はこれでいいとして、問題はセザールお兄様の動向よねえ」


 そう言って、妹は悩ましそうに溜息をつく。美少女、こんな仕草でも様になる。


「それな~。ここ数日は報告なりなんなりで忙しいから、食事の時に顔を合わせるくらいで済んではいるが」

「落ち着いたら間違いなく接触してくると思うわ」

「だよなあ……」


 自分に好意を寄せていることがはっきりしている相手(しかも男)と顔を合わせるの、めちゃくちゃ気まずい。

 とはいえ、俺の立場だとあっちから呼ばれたら逆らえないのがなんとも。


「クリス王子好感度アップ大作戦なら、お城に行くことで結果的にセザールお兄様との接触も減らせて一石二鳥ではあるんだけど、どこまでそれでもたせられるやら」


 ふう、と。

 美少女の唇から再び零れる憂鬱そうな溜息。

 その溜息を肯定するように頷いてから、俺は口を開いた。


「そのネーミングセンスはどうかと……」

「わかりやすいじゃん!」


 わかりやすいけども。

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