第28話:第一王子、攻略される

 その日も変わらず、俺ことオリエンス王国第一王子ジャン=クリストフ・スペルビアは多忙であった。

 急務はないが、日々の雑務やら勉学やら訓練に追われてなかなか暇も取れない。

 特に俺は第二王子にして義弟であるジャン=ジャックと違い、数日に一度、急務で間隔が空いても十日に一度は外出の時間をとる。

 外出といっても精々が数時間程度だが、当然その分の仕事やら勉強やらは後に回されるわけで。無理やりねじ込んだ自分の時間の代償として、今日も俺は執務机と向き合っていた。



「……ふう」


 手を付けていた案件に、処理の目処がつく。

 決を示す判子を押した書類を脇に退かした後、小さく息をついた。

 こんこんと。そのタイミングを見計らったかのように執務室の扉がノックされる。俺は扉の方を見もせずに口を開いた。


「入れ、イーラ」

「失礼いたします」


 そう言って入ってきたのは、長い髪を一つに束ねた男。執事長のイーラだ。

 予想通りの姿だが、しかし思わず首を傾げる。てっきり一息入れるためのお茶でも持ってきたのかと思っていたのだが、彼は手ぶらだった。

 急ぎの案件なら、書類なり何なり持っているはず。だが、それすら持っていない。怪訝そうにしている俺を見て小さく笑みを浮かべながら、イーラは口を開いた。


「クリストフ様にお客様です」


 その言葉に、露骨に眉をひそめる。


「……事前にアポイントメントをとってない客に会うほど暇じゃない。俺が対応するのが必須じゃなければ、適当な理由をつけてジャックにでも回せ」

「訪ねてきたのはフレールですね」

「通せ。ここに連れてこい」


 我ながら見事な手のひら返しだった。

 いやしかし、これは仕方がないことだろう。別に会いたくもない不意の来客と、可愛い可愛い恋人の訪問。比べるべくもない。


「スール・ルクスリア様のお供として来ているならいざしらず、一人で来ている彼女を執務室に通すのは外聞が悪いので。彼女もそれを承知しているのか、城の裏手口の方から声をかけてきましたよ」

「ちっ…」


 だが、そんな手のひら返しには見事に水が差される。

 そう諌められ、思わず舌打ちを零す。



 フレール。ルクスリア家の令嬢、スール・ルクスリアに仕えているメイドにして、晴れて恋人という枠組みに入れることに成功した俺の想い人である。

 想い人である以上に、彼女はただのメイド。

 主と一緒ならまだしも、フレールだけを招くのは確かに風評を悪くする。

 貴族に仕えているメイドを執務室に呼び出す。下世話な噂を招く上、せっかく築いたその貴族、ルクスリア家との関係も危うくなるようなシチュエーションだ。

 公然とした関係になるのは望むところだが、それはフレールに害を成すような形であってはならない。

 一時の喜びで着々と積み上げている根回しを台無しにするところだったという自身への浅はかさと、一週間会っていない恋人がすぐ近くにいるのに気安く会いに行けないジレンマに、険があると言われる顔がよりしかめっ面になるのを自覚する。



「あいつから足を運んでくるのは珍しいが、何の用だったんだ?」


 気を取り直し眉間のシワを減らしながら問いかける。


「なんでも、クリストフ様に渡したいものがあるとのことで」

「なら受け取ってこい。あまり待たせるのも忍びないし……というより、俺にこうして報告する前に受け取って帰してやればよかっただろうに」


 俺がそうであるように、フレールも仕事の合間を縫って城までやってきたのは想像に難くない。ふらりと行って帰ってこられる距離ではないので過保護すぎる主の許可はとっているだろうが、それにしてもあまり拘束しては可哀想だ。

 そんなことを思いながら話していると、なぜかイーラは思い出し笑いのような微笑みを口元に浮かべて話し出す。


「クリストフ様に直接渡したい。……なんて、実に可愛らしいことを言っていましたので」

「やらんからな?」

「貴方様の物に手を出すほど、このイーラ、不心得者ではありませんよ」


 少し声を低くするが、イーラは肩をすくめるだけだった。

 なるほど。実に執事らしい忠誠心あふれる言葉である。しかしそれは、裏を返せば俺の物でなければ手を出していたということでもあった。

 フレールと幼馴染だというこの執事長は、明らかにフレールを一人の女性として見ていた。直接的な言葉を聞いたわけではないが、そうでなければ俺とフレールの身分違いの恋を引き裂かんとした際、自分がフレールと婚約しているなどという嘘はつかないだろう、と思っている。

 だからこそこうして時折牽制しているのだが、柳に風とばかりにイーラは笑うばかり。

 俺に対して少々行き過ぎた忠誠心を感じさせるイーラのことだから、本当に手を出すつもりはないのだろう。だが、俺がフレールを手放しかけるようなことがあれば、この男は確実にかっさらいにくるだろうという確信があった。

 そんなことはさせるものかと決意を新たにしつつ、椅子から立ち上がった。


「少し席を外す。誰か来たら適当に言い訳してくれ」

「御意に」


 そう言いながらイーラの脇を通れば、彼は恭しい一礼とともに返事をする。食えない執事長に肩をすくめてから、執務室を後にした。

 部屋に呼べないなら、直接出向けばいいだけのこと。

 執事長が暗に伝えてきた言葉通り、俺は裏手口を目指した。





 使用人達の通用口にして、荷物を運び入れる入り口。

 かつては自分にべったりな義弟の目をかわすためによく使っていた出入り口の前に立ち、辺りを見渡す。ほどなくして、目的の人物が目に留まった。

 黒い濡羽色の髪が特徴的な、野原に咲く花のように可愛らしい少女。

 フレールその人である。


「フレール」

「……あっ!」


 なるべく潜めた声で呼びかければ、こちらに気づいたフレールがパアッと表情を明るいものにした。

 社交界でよく見る、はにかむような笑みでもなければ自身をより愛らしく見せようという打算的な微笑みでもない、心からの喜びを表す無邪気な顔。瀟洒たることが求められるメイドとしては不適切なようにも思うが、そんなところが俺の心を惹きつけてやまなかった。

 駆け寄りたい気持ちをぐっとこらえて、彼女の近くまで歩み寄る。

 近づいてきた俺にふにゃと頬を緩めた後、ハッと我に返ったようにキリッとした顔になる。そして、恭しく頭を下げてきた。


「お久しぶりです、クリストフ様」

「その化けの皮も久しく見ていなかったな。心配せずとも、ここは普段人通りがない。俺も人を連れてきてはいないから、いつもどおりに振る舞っても問題ないぞ」

「……化けの皮言うなし」


 俺の言葉に、小声ながらもフレールは素の顔を見せる。淑女らしく体の前にまとめられていた手は、代わりに勇ましく腰に当てられた。

 フレール曰く、前世で男だったがゆえという女性らしからぬ仕草。

 見た目の可憐さにそぐわない勇ましさによる痛快さとギャップが、これまた俺を惹きつけてならない。


 変わった女。

 面白い女。

 そして何より愛しい女は、今日も相変わらずだった。

 緩みそうになる頬を引き締めつつ、口を開く。


「俺に渡したいものがあるとのことだったが」


 口にするのは本題だ。

 目まぐるしく変わるフレールを見ているだけでも十分楽しいのだが、あまり引き止めすぎるのもよろしくない。目撃者を出してしまう意味でも、彼女の拘束時間が延びてしまうという意味でも。


「そうそう、そうなんだよ」


 話を切り出した俺に頷きながら、フレールは持っていた鞄から小さな包みを取り出す。

 ふわりと鼻をくすぐる甘い香り。その正体はすぐに察することができた。


「菓子か」


 問いかけに、また首肯が返る。


「クッキー作ったんだ。この前は勢いで追い返しちゃったからな。そのお詫び」

「あれは本当になんだったんだ……」


 いきなり厨房に飛び込み、別れろなどと叫んだ後に泣きじゃくり始めたルクスリア家の令嬢、スールのことを思い出して遠い目になる。

 彼女が自分とフレールの仲を良く思っていないことは知っているが、それにしたってあまりにも唐突すぎて驚く。彼女に懸想している義弟の恋を応援している俺だったが、あの時は少々考え直しそうになった。


「うちのお嬢様がちょっと情緒不安定なのは知ってるだろ」

「そうだが」


 自分の主に対して堂々とそんなことを言い切るのはひとまず脇に置くとして、あれをその一言で片付けられるのも困るというか。

 しかし、これに関してはフレールも口を割る気もないらしい。


「はい!これ!」


 話を遮るように、包みを俺に押しつけてきた。

 突っ返す選択肢などないので、素直に受け取る。香ばしさが混じったはちみつの甘い香りをより強く感じ、思わず頬が緩んだ。



 だが、素直に喜んでもいられない。

 フレールと包みを交互に見てから、俺は首を傾げた。


「火の調節にはだいぶ苦戦していたそうだが、作る時期を選ぶような菓子でもあるまい」

「それはまあ、そうだな」

「お前から俺のもとを訪ねるなんて初めてだろう?」

「ぅ」

「相応の理由があるかと思ったのだが……なぜ胸を押さえているんだ?フレール」

「いや、はい。自分の不心得というかなんというか、そういうものを再認識したっていうか……」


 話の途中で急に胸を押さえて顔を顰めたフレールは、意味がよくわからないことを言って目を逸らす。より首を傾げていると、急に彼女が距離を詰めてきた。


「うおっ」


 近い。

 思わず声が出るほど近い。

 女に言い寄られたことは数あれど、恋した女の子にこうされるのは初めてだ(これが初恋なのだから、当然といえば当然なんだが)。


「どうした」

「……えーっと、その」


 高鳴りそうになる心臓を押さえながら問えば、近づいてきたフレールは落ち着かなさそうに視線をさまよわせる。

 しばらくそうした後、意を決したようにそっと手を握ってきた。


「……理由ないと、会いにきちゃだめか?」

「――――」

「…………じゃあな!それ、早いうちに食べろよ!」


 呆けているうちに、手を離したフレールは逃げるように去ってしまう。


「ま――って早いな!!」


 追いかけようとするも、想像以上に逃げ足が早かった。

 気づいた時にはあっという間に遠くまで走り去っており、あれを追うなら城をかなり離れる必要が出てくる。さすがにそれは厳しいため、やむなく追跡を諦めざるを得なかった。

 フレールが泣いていただとか、怒っていただとか。

 そういうことならば迷わなかっただろうし、後でイーラやジャックに何か言われても堂々と開き直れただろう。しかし、あれを追いかけた後のことは全くビジョンとして浮かび上がってこなかった。


 ……いや、それは表向きの言い訳だ。

 フレールを追いかけられなかった本当の理由は一つ。

 捕まえた後に我慢できる自信がなかった。


「…………はぁぁぁぁぁ」


 大きな溜息をつきながら、その場に座り込む。


「いきなり可愛すぎるだろ……人の気も知らないであいつは……」

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