第24話:兄、日々を過ごす

「…………あちぃ」


 熱を放つ石窯とにらめっこしながら、俺は思わずそう呟いた。

 季節はもうすぐ春が間近という頃合い。暖かい日が増えてきたが、三寒四温とばかりに寒い瞬間もある。しかし、そんな季節と関係なく今いる場所は暑かった。

 中で火がごうごう燃えている石窯の近くにいるんだから当たり前といえば当たり前なんだけど、そうわかっているからといって熱さが和らぐわけもない。額に汗を滲ませながら、襟を掴んで前後に揺らした。


「あ~…」


 入ってくる空気が、汗ばんだ肌に心地よい。熱気がこもった空気でも気持ちいいって感じるんだから、気化熱ってやつは偉大だ。


「……フレール」


 そんな俺の後ろから、呆れた声音のイケボが聞こえた。

 首だけで振り向けば、少し離れた場所にやべーくらいのイケメンが立っている。

 肌は少し浅黒くて、少し長めの髪は鴉みたいに黒い。目つきの悪い三白眼だけど、着ているものが貴族風――もっと正しく言うなら王子風なもんだから、良い意味でのギャップがそこには生まれている。

 国宝級と言ってもいいほどのイケメンだ。

 だがあいにくと、俺はこのイケメンの顔は見慣れている。見飽きていると言ってもいい。いつもながら感心するくらいのイケメンだなと思いつつ、口を開いた。


「あん?なんだよ」

「気軽に服をはだけさせるな」

「?」

「今お前がやっている仕草のことだ」

「……あー」


 しかめっ面の指摘に、少し考えてから言わんとしていることを理解する。

 襟を掴んで動かすということは、つまり服と肌の間に隙間ができるというわけで。胸元を見れば、じっとり汗をかいた肌と、そこそこの谷間が見えた。

 柔らかそうなそれは、紛うことなく女の子だけにあるお胸様。

 一昔前なら見ただけで顔を赤くして顔を背けるような代物だったのに、それが自分の胸から生えているとなるとこんなにもありがたみがない。そんな事実を再認識しながら、俺は仕方なく手を離した。




 俺の名前はフレール、十六才。ファミリーネームはない。

 オリエンス王国という国で貴族をやっているルクスリア家で、お嬢様付きのメイドなんてものをやっている。

 メイド。そう、メイド。またの名を家政婦。

 こんな役職についていることからわかるように、俺は女である。

 それなのにどうして俺なんて一人称を使い、男みたいな喋り方をしているかというと、俺の前世が男だからだ。詳しくは1部を読んでほしい。

 面倒くさいという人は、前世で妹ともども交通事故にあった俺は乙女ゲームの主人公に転生し、前世の妹の方は悪役令嬢(美少女)に転生しているという、意味がわからん事実を前提にしてくれ。

 は?となることうけあいだろうが、安心してほしい。

 前世の記憶を取り戻してもうすぐ半年が過ぎようとしているが、俺だって未だに意味がわからんのだから。

 いやほんと、乙女ゲームに転生ってなに?


 閑話休題。


 ちなみにそこのイケメンは、その乙女ゲームに登場する隠しキャラだ。

 名前はジャン=クリストフ・スペルビア。

 愛称クリス、通称アサシン。

 通称の方が物騒なのは、こいつは攻略ルート以外だと主人公の命を狙う暗殺者だからだ。いや、正確には王城ルートと呼ばれるとこでのみだっけ。

 そのせいなのか、今は暗殺者ではなく王子がメインジョブだというのに、足音や気配を消して背後から近づいてくるのがデフォルトになっている。心臓に悪いから本当にやめてほしい。


 あとは……はい、そうですね。

 めちゃくちゃ言いたくないけど言わないとだな。

 そんな王子様がなぜ厨房にいて調理中の俺を眺めているかと言えば、紆余曲折を経た末に、俺はこいつとオツキアイというやつをしているからだ。いや、別にそういうのを始める前からこいつは俺のこと眺めていたけどさ!

 オツキアイというのはあれだ。またの名を異性間交流ともいう。

 要するに……うん、恋人同士ってやつなのである。

 えっお前の前世は男なんじゃ?って首を傾げた奴は正しい。俺だってオツキアイしてから二ヶ月くらい経っているのに、未だに首を傾げそうになるもん。

 いや、まあ、色々あったんだよ。色々!



「急に百面相を始めてどうしたフレール」

「うるせーばーか!」


 反射的に罵倒してしまった。

 クリスにとっては理不尽極まりない罵倒である。当たり前のように怪訝な顔をされたが、理由を説明する気はないし謝る気もない。

 代わりに俺は全力で話を逸らすことにした。


「そろそろ焼けたかなー!」


 そう言いながら、石窯の中に平たいスコップみたいな道具を突っ込んだ。ほら、あれだよあれ。ピザ職人が石窯からピザを取り出す時に使うやつ。正式名称は知らないけど、多分正式名称で説明するより「ピザを取り出す時に使うやつ」って言った方が伝わりそうなやつ。

 そんな道具の上に、石窯に入れていた天板を載せる。

 そして振動で灰が降らないよう気をつけつつ天板を引っ張り出せば、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。


「おお……!」


 思わず感動の声が零れた。

 オーブンレンジみたいにきっちり温度調整できるわけじゃないし、時間を測るのも難しい。何度か黒炭としか呼べない代物を作って心折れかけた分、まともな色合いのそれを見た時の感動はひとしおだった。

 やや濃いきつね色なのはご愛嬌。

 四角い形のクッキーに、俺は片手でガッツポーズを作った。


「これがクッキーとやらか?」


 そんな俺の後ろから天板を覗き込んだクリスが、興味深そうにクッキーを見ている。


「見た目はビスケットだが……」


 すん、と鼻を鳴らしながらそんな感想を口にする。



 中世ヨーロッパ風のこの世界に、クッキーは存在しない。いやお前最初にクッキー食べてたじゃねえかというツッコミがあることだろうが、この世界だとあれはクッキーじゃなくビスケットというらしい。

 そういえばイギリスとかでは、あの手の焼き菓子はひっくるめてビスケットって言うんだった。なら、中世ヨーロッパ風のこの世界にクッキーという名前が存在しないのも納得である。

 さてそのビスケットだが、おいしいはおいしいんだけど、いかんせん砂糖が貴重品なので甘みはやや薄かったり、逆にとんでもなく甘かったりする。

 最初のうちはどっちもうまいうまいと食べていたが、前世知識で料理をしていくうちにだんだんと味に物足りなさを感じるようになった。人間の欲というものには際限がない。物足りないから現代風クッキーを作ってみようって発想になるあたり、俺もだいぶクラフト思考に寄ってきているが。



「まあ、味は食べてみてのお楽しみってな」


 興味津々なクリスにそう言ってから、天板を台の上に置く。

 そして、あつあつのそれを一枚、火傷に注意しながら口の中に入れた。


「あふ」


 予想以上の熱さの後、舌の上で生地が砕ける。それに合わせて、甘いはちみつとバターの香りが口の中いっぱいに広がった。

 んまい!

 はちみつ、神調味料すぎる……。砂糖ほど高くないから、あまり気にしないで使えるのが本当にありがたい。


「俺にもくれ」

「ん、どーぞ」


 クリスの言葉に、口元を隠しながら返事をする。

 しかし、いつまでたってもクッキーをとる様子はない。こいつ熱いの苦手だったっけと首を傾げていると、ニィッと腹黒っぽい笑みが向けられた。


「いつぞやのように食べさせてくれないのか?」


 そう言って、小さく口を開けてみせる。

 腹が立つほど様になっている仕草で「あーん」をねだるイケメンに、顔が赤くなっていくのが嫌でもわかった。


「だ、誰がするかばーか!」

「馬鹿とは失礼だな。俺とお前は交際しているのだから、不自然ではないだろうに」

「うっせ!ばーかばーか!」


 かつてポテチであーんをやってしまった自分ごと(あの時はそういう意図なんてミジンコもなかったけどな!)、クリスに子供みたいな悪態をつく。

 そんな俺に肩をすくめた後、クリスは自分の手でクッキーをとった。

 そのまま口に運べば、キリッとしていたイケメン顔がふにゃっとした感じに柔らかくなる。どうやら今回もお気に召してくれたようで、一枚目を飲み込んでから当たり前のように二枚目に手を伸ばしていた。


「ん。フレールが作るものは、いつもうまいな」

「お褒めに預かり恐悦至極」

「堅苦しいな。さっきの幼子めいた感じで喜んでもいいんだぞ?」

「張り倒すぞてめー」

「くっくっくっ……」


 第三者が聞いていたら打ち首間違いなしの暴言には、愉快と言わんばかりの笑い声を返された。意地悪な笑い顔もイケメンなのが腹立たしい。



「さーて、これをスール様のところに持っていくとするか」


 調子に乗って三枚目も食べようとするクリスを制した後、はちみつクッキーを入れるための器を探し始めた。

 このイケメン王子はちゃんと待てができるので、天板の上を物欲しそうにしつつも手を出すことはしない。さすが俺に会いに来るのを二年我慢していた男は違う。


「しかし、これだけ作れるなら城でも即戦力になると思うんだがな」

「城には行かないって言ったろ」


 クリスの言葉に即答する。


「待遇は今より良くするぞ」

「そういう問題じゃないの。俺はスール様が嫁入りした後でも、専属メイドとして仕えるって決めてるんだからな」


 どうにも俺を傍に置きたいらしく、こうやって折に触れては勧誘っぽいことを言ってくる。しかし、俺の気持ちは変わらない。

 お城なんかで働いたら精神がすり減る!

 数日置きに見るこのイケメン面を毎日見ることになるのも御免だ。心臓に悪い。

 何より、俺が仕えているお嬢様、スール・ルクスリアと離れるなんてありえない。

 今でこそ超絶美少女な貴族のご令嬢だが、スールの前世は俺の妹なのだ。クリスに想いを伝えた時にフレールという少女の生を全うすると決めた俺だが、それはそれとして妹が大事なのは転生しても変わらない。

 加えて妹は、この乙女ゲームの世界において、悪役令嬢というポジションに据えられている。これがまたこびりついた油汚れみたいにしつこい呪いで、油断すると世界はすぐあいつを悪役にしようとするのだ。

 攻略対象の一人である執事長イーラこと、フレールの幼馴染いー兄さんと引き合わせた時も、第二王子をかどわかしているだのなんだのって因縁つけて暗殺しようとしてきたし……。俺もかつてはクリスにとって悪影響だのなんだの言われて同じ目にあわされかけたけど、あの人なんですぐ暴力で解決しようとするの?

 まあそんな妹なので、兄としてはきっちり穏やかな余生まで守りたいという思いが強かった。

 兄が何のために早く生まれるのかと言ったら、後から生まれてくる妹や弟を守るためだって有名なバトル漫画でも言っていたしな。


「……やはり早急にジャックとスール嬢をくっつける必要があるな」

「聞き捨てならないことをぼそっと言うのやめーや」


 妹に恋人ができるなんて、お兄ちゃんは許しませんよ!!

 憤慨する俺に対し、クリスは拗ねたように唇を尖らせる。


「俺はもっとフレールと一緒にいたい」

「ぐぅっ」


 変な声が出た。

 こ、この野郎、普段かっこつけたがりなのにここぞって時にはストレートど真ん中でぶつけてきやがる。とんでもねえイケメンだ。

 いきなりダイレクトアタックをされて言葉に詰まっていると、脳裏に俺と同じ顔をした少女が興奮したようにチアリーディングのぼんぼんを振る姿が浮かんだ。楽しそうですね素フレールさん!

 前世の記憶がインストールされていないフレール(命名:素フレール。BL好きのCP厨)、こうしてちょいちょい脳内出演してくるのが困る。

 素フレールの姿を振り払うように頭を振っていると、お得意の気配遮断を使ったクリスがいつの間にか目の前まで近づいてきていた。


「――うおっ!?」

「相変わらず色気がない悲鳴だな」


 驚いた俺に苦笑しながら、クリスは息をするような自然さで俺を壁に縫い止めた。うわあイケメンの壁ドン!顔近い!


「こういうこともあの日以来、お前はちっとも許してくれないし。正直なところ、色々とたまっているんだが?」

「そ、それはぁ……」

「まあ、前世で男だったんだ。想いを受け入れてくれても、そう簡単に心の準備はできないんだろうが」


 そう言いながら、国宝級のイケメンはさらに顔を近づけてくる。


「たまには、待てのご褒美くらいあっても罰は当たらないだろう?」


 うわあああああ。

 耳が孕みそうなイケボで囁かれ、恥ずかしさやら悪寒やらで全身の毛が逆立つような感覚に陥った。思わず体を震わせる俺を見て楽しげに目を細めてから、イケメン王子は息が触れ合うような距離まで顔を近づける。

 あ、やばい。これ。

 そう思い、とっさに目を閉じたところで。


「お兄ちゃん!!」

「!?!?!?!?!?」


 いきなり厨房の入り口から聞こえてきた声に、俺は迷わずクリスを突き飛ばした。

 大きな音が厨房中に響き、台に叩きつけられたクリスはその場に尻餅をつく。そんな彼の頭を、クッキー生地がこびりついたボウルが覆いかぶさった。

 あ、やばい。これ。

 全く同じ言葉を別の意味で思い浮かべ、熱くなった顔から血の気が引くのを感じた。

 そんな俺を後目に、突然厨房に現れたスールお嬢様もとい妹は、あらんかぎりの声で叫ぶ、


「お兄ちゃん!即刻この危険人物と別れて!」

「「……は?」」


 俺とクリスの声がシンクロした。

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